Fri 210611 ブラウン運動/河口の荒涼/ナマか映像か16(ウィーン滞在記29)4072回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210611 ブラウン運動/河口の荒涼/ナマか映像か16(ウィーン滞在記29)4072回

 昨日の記事みたいに「伴走者」とか「伴奏者」みたいなコトバをつかうと、意地悪な読者の中には「おやおや、今井にしては珍しくキレイゴトを言いだしましたね」とか、ニヤリと苦笑、ないしはプハッと失笑、ついでに「そんなこと考えてもいないくせに」と吐き捨てる人もいるかもしれない。

 

 しかし諸君、「生徒諸君のブラウン運動に徹底的に付きあってあげる」というのは、それこそ今井君の得意中の得意なのである。文法でも読解でも英作文でも、今井の授業に真剣に出席したことのある多くのモト生徒諸君なら、その点しっかり頷いてくれると思う。

 

 ワタクシの真骨頂は、「生徒の間違いに先に気づく」「どこをどう間違うか、先回りして知っている」ということである。授業中に「キミたちはこう考えただろうが、それこそが最初の間違い」と指摘され、「おお、その通り」「何で分かったんですか?」と歓声をあげた経験は、多くのモト生徒が共有しているはずだ。

 

 非論理的なブラウン運動を全面的に否定するんじゃなくて、「どうしてそんなブラウン運動にウツツを抜かすことになったか」、その原因なり理由なりをしっかり明らかにする。そのことを通じて、そういうブラウン運動の陥穽に次回ははまらないようにしてあげる。その辺が伴走者としての講師の真骨頂なのだ。

   (2019年12月27日、ウィーン中心部風景 1)

 

「旧C組」「旧B組」が過去15年にわたって「伝説の講座」として定着したのも、ブラウン運動の原因を明らかにして防止策を授ける丁寧な授業に徹したからこそである。旧センター試験独特の4択問題は、読解でも文法でも、そういう授業にもってこいの超良問がズラリと並んでいた。

 

 つまり、正解以外の3つの間違い選択肢が、受験生の多くが迷い込むブラウン運動の結果として、マコトに典型的なものばかりだったのである。その3つの間違い選択肢を、1つ1つ吟味するのが最も効果的な授業に直結する。今井は今も、センター試験の間違い選択肢を制作した人を敬愛する。

 

「どうしてその選択肢を選んじゃったのか」「次回同じ愚かなブラウン運動に迷い込まないためには、思考と思索をどう修正すればいいか」。それを丁寧に説明すれば、生徒諸君はしっかりと今井のアドバイスを吸収し、みるみる学力を伸ばしていってくれた。

 

 かつて受験英語の神様と誰もが認めた伊藤和夫師の授業も、ほぼこれと相似形だった。難解な英文の正確な訳文をいきなり提示して、自らの和訳の鮮やかさを誇るような愚かな授業はなさらない。生徒の誤訳に典型的な過ちを3つ4つと示し、どうしてそのような間違いをおかすのか、どう修正すべきか、詳細に解説を加えるのである。

 

 今井の「新E組」「新D組」「新C組」でも、ほぼ完全に同じタイプの授業構成にしている。ライティングの問題を通じて文法語法を鍛えるセクションでは、例えば「もし仮定法を知らない生徒なら」「もし関係代名詞を理解していない生徒なら」という想定で典型的な間違いを含む英作文を提示し、それを修正していくプロセスを通じて、ブラウン運動を排除していく。

   (2019年12月27日、ウィーン中心部風景 2)

 

 理想的な授業というのは、90分のブラウン運動を生徒とともに満喫して、最後の最後に「こんな愚かな苦労は2度としないようにしよう」と決意させてあげる、そういう授業なんじゃないか。ワタクシが「伴走者」と表現するのは、そういう発想である。

 

 もちろん、今でも理想はあの鮮やかな長岡亮介師の授業なのである。駿台本部校舎の講師室で、ワタクシの音読指導を絶賛してくれた思い出だって忘れないでいる(Fri 210528 昔の講師室風景/個室状態へ/ナマか映像か7(ウィーン滞在記22)4062回)。あんなカッケー授業は、他になかなか考えられない。多くの有名講師たちが今もなお憧れを口にするのも当然なのである。

 

 しかし諸君、「カッケーにもほどがある」のであって、その点ワタクシみたいな「生徒のブラウン運動に付き合ってあげる」「ブラウン運動の典型を示して『再び愚かなことはしない』『もっと賢い思考を身につけよう』と決意させる」、そういう授業の絶大な効果もまた決して否定できない。

   (2019年12月27日、ウィーン中心部風景 3)

 

 繰り返すが、論理とはマコトに酷薄な容赦のないもので、もしもそれを大河に例えるとすれば、上流と下流の高低差に従ってひたすら突き進む暴力的な奔流のことである。水は高きから低きに向かって流れるのが論理であって、要するに上流域と河口域を直結する大きなベクトル、地球に描かれた極太のヤジルシなのである。

 

 この極太のヤジルシを、現代の教育論では「論理的思考力」と名付け、全国の高校生も中学生も、みんなこれを身につけなければいけないことになっている。新聞も雑誌もネットもドラゴン桜も、躊躇なしにこのヤジルシこそ目標と断じ、これに刃向かうことは錦の御旗に敵対する以上の愚か者として断罪される。

 

 しかし諸君、今井君はむしろ、生徒諸君のブラウン運動を愛し、ブラウン運動を繰り返しながら成長することにこそ学習の豊穣を感じ、もしも豊かな青少年時代を満喫しようとするなら、あえて極太ヤジルシのジェットコースターに乗らないことを推奨したいのだ。

   (2019年12月27日、ウィーン中心部風景 4)

 

 下流域に向かう大河の奔流は、ヤジルシの極太ぶりが際立っている。それがドナウ河なら、水源地域はドイツのシュバルツバルト。そこから10カ国を貫いて流れ、支流まで含めれば、インスブルック・ミュンヘン・パッサウ・ウィーン・ブラチスラバ・ブダペスト・ベオグラード・ブカレストを経て黒海に至る。

 

 これほど豊かな大河でも、これに論理の極太ベクトルを当てはめれば、「3000km近い長大な奔流」の一語で片付けられる。他はほとんど「枝葉末節の知識」と、ヒトマトメでポイ捨て。万が一細部に踏み込めば「知識偏重」「暗記優先」「単なる物知り」「思考力が育たない」と、メディア総「好かん」の対象になる。

 

 しかし諸君、大河の流れを観察すれば、高低差による論理的な極太ベクトル以外に、マコトに興味深いブラウン運動を楽しむことができる。停滞・逆流・堂々巡り・蛇行・三日月湖・底流の腐敗・支流とのせめぎ合いなど、本来の極太ベクトル以外の、様々な愛すべきブラウン運動を観察する学習もあっていいんじゃないか。

 

 論理一辺倒の学習は、あまりに荒涼としている。原因と結果を直線で結んで、あっという間に無味乾燥な結論にいたり、教師はドヤ顏、生徒は唖然&呆然として「あまりにも鮮やかな解法だ」「とても自分にはできそうにない」とため息をつく。

   (2019年12月27日、ウィーン中心部風景 5)

 

 しかし、大河の河口域の荒涼を知っているだろうか。どんな大河でも、最も美しいのは若い上流域であり、最も楽しいのは歴史と独特の文化を育て上げた都市や村落の並ぶ中流域であり、最も豊かなのは流域の富を集めた下流域の大都市である。しかしさらに下って河口域に至ると、多くの人はその荒涼とした風景に呆然とする。

 

 河口域は、メコンでもラプラタ川でも、ドナウでもポーでガロンヌでもロワールでも、川の砂と海の砂がせめぎ合って荒れ果てた砂丘やデルタが続き、流れは澱んで水は腐敗し、海岸独特の多肉植物が生い茂り、見渡す限りの葦の間を不毛な風が吹き荒れるばかりである。

 

 ドナウの流れを確認してみたまえ。ヨーロッパの歴史を彩ったあれほどたくさんの都市を貫いて流れる栄光の大河川なのに、河口域はこれ以上ないほどに荒涼としている。もはや流れも砂に覆われて細分化され、河口の町の名称さえ地図には記されていない。

 

 マルセイユから西に電車で1時間、エグ・モルトという町がある。ここも大河の河口域、中世には十字軍の兵士たちが出航する港町として隆盛を極めたが、今はすっかり荒涼と荒れ果てた田舎町。そもそもエグ・モルトとは「死んだ水」の意。河口域の荒涼を感じるには、エグ・モルトを旅するのが一番だ。 

   (2019年12月27日、ウィーン中心部風景 6)

 

 もしもワタクシが伴走者であるなら、若者たちをいきなり河口の荒涼の中に導きたいとは思わない。水源地と不毛の河口を直結する極太ヤジルシにそって、一気に結論に導く論理の鮮やかさをひけらかしたいとは思わない。

 

 むしろナンボでも思考の停滞と逆行と堂々巡りと蛇行をともにしながら、「先生、楽しいですね」と目を輝かせて欲しい。みんなで立ち止まる瞬間も、センセがふと「あれれ、分かんないや」「道に迷ったかな?」と呟く瞬間も、「じゃあ先生、こっちに行ってみませんか?」と生徒が先導し始める瞬間も、全て豊かな旅の一部である。

 

 だから若い講師諸君、そんなにカッコつけて、「オレはこんなに賢いんだ」「ボクはこんなにシャープなんだ」「こんな鮮やかな解法、今まで見たことないだろ?」みたいな授業に憧れなさんな。むしろ「こんな迷い道もある」「こんな停滞や濁流もある」「そこはこうして乗り切ればいい」、そうやって自らの弱点を生徒たちに見せてあげるほうがいい。

 

 なぜなら、そうやって伴走者の苦労を見ながらでなければ、生徒諸君は自ら独立して走る能力をつけられないからだ。「すげー先生だ♡」と憧れられるのもいいが、「ボクならこうするけどな」「ワタシなら別のやり方をするけどな」と首を傾げる生徒が増えてきたときこそ、先生は見事に発酵したコヤシになっていると、思い切り胸を張るべきなのだ(まだまだ続きます)。

 

1E(Cd) Corboz & LausanneMONTEVERDIORFEO 1/2

2E(Cd) Corboz & LausanneMONTEVERDIORFEO 2/2

3E(Cd) Festival International de SofiaPROKOFIEVIVAN LE TERRIBLE

4E(Cd) The BeatlesSGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND

7D(DMv) THE GRAPES OF WRATH

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