Fri 210604 尺に入らない/スタッフの苦労/シリーズ11(ウィーン滞在記26)4067回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210604 尺に入らない/スタッフの苦労/シリーズ11(ウィーン滞在記26)4067回

 昨日の記事のようなことを書くと、「何を偉そうに♨︎」と怒り出す人もいるかもしれない。

 

 しかし諸君、実際に今井は偉いのであって♡、招待選手に交じって一般参加のランナーが先頭集団を引っ張り、無名馬が何かの弾みでダービーのトップに喰い込みつつあるとすれば、ちょっとぐらい偉そうにしたって許されるはずだ。

 

 いつか予告した「スタジオ収録授業の陥穽」という不吉なコトバについても(Mon 210531参照)、近いうち必ず語らなければならないが、まあ慌てなさんな。語り部イマイの長広舌は、こういう自慢話まで我慢しながらでも、最後まで読み続ける価値は十分に存在する。

 (ベートーヴェンの町、ハイリゲンシュタットを訪問する) 

 

 前回書いたように、「タイムマネージメントの欠如」が失敗の原因であることを痛感している講師たちは、せっかく関脇&小結クラスまで昇進していた予備校を辞めてまで新天地を求めるのだから、移籍当初に心に誓うのは「同時ナマ中継タイプは、もうヤメにしよう」の一事なのである。

 

 そこにマコトに都合よく、完全スタジオ収録タイプの映像授業が優勢になった。2006年から2010年ごろの状況である。そういう情勢の変化の必然については、このシリーズの前半から中盤にかけてすでに詳述した。「忘れちゃった」という人は、ぜひシリーズ1から11まで、次の土日にもう一度読み返してくれたまえ。

  (早朝のウィーン地下鉄。危険を感じるほど空いている) 

 

 大教室は分解されてすでになく、ド派手な大講師室も消滅して、講師の控え室は個室に近い状況。何とかサバイバルに成功した講師たちはみな孤独であり、他のセンセたちとヒソヒソやって何か小さな悪事を企む楽しみも消えた。ヒラヒラ系とのいろいろなんか、もう絶対にありえない。

 

 どこの予備校でも事情は同じだと思うが、スタジオ収録時に立ち会ってくれるのは、ディレクターとスイッチャーを兼ねた放送制作部のスタッフ。あとは教科担当の専門家が1人と、事務方の担当者が1人。KでもYでも、スタジオ収録の規模はまあそんなところだ。民放テレビ局みたいな派手な世界とは違う。

 (ハイリゲンシュタットへは、こんな地味な郊外電車で行く) 

 

 これはどこまでも自慢であるが、我々の放送制作部の人々はプロ意識が極めて高く、1本1本の授業をベストのものにしようと、熱く懸命にサポートしてくれる。

 

 ワタクシなんかも、極めて珍しいことであるがホンの一言の言い間違いをして、そのために90分の授業を「全体を収録し直しましょう」とまでスタッフに言われたことがあった。こういう熱心さほど嬉しいものはない。

 

 科目担当の専門家も優秀で、数学担当が東京大学の数学科からドクターコース修了のヒトだったりしたこともあった。万が一ワタクシなんかが不正確な発言でもしてしまったら、英語担当の専門スタッフと、双方が納得するまで討論することになっている。

  (ハイリゲンシュタット、ベートーヴェンのオウチ 1) 

 

 そういう静かな環境で授業を収録すると、かつてタイムマネージメントで失敗した記憶のあるセンセとか、語りたいことを残らず語り尽くしたいという熱意に溢れたセンセなんかは、「あまりにも丁寧に授業を組み立てる」という陥穽にハマる危険性に直面する。おお、いよいよ来ましたぜ、「陥穽」。

 

 今井はどこまでも「90分で一気に完結派」。ナマ授業でも同時ナマ中継でも常に「90分完結」を心がけたことは言うまでもないが、ここまでの人生で90分授業を2万回も行い、聞いたチャイムは2万×2=4万回というワタクシだ。身体に染み込んだ90分という1単位を、あえてブチこわしにする気持ちにはなれない。

 

 そしてその90分感覚こそが、授業に強力な臨場感を与えるのである。画面を通してではあるが、講師と生徒諸君が同じ90分を共有することから生じる臨場感や感動や感激は、何ものにも代えがたい。

 

 というか、90分という長いストーリーを繰り返し経験することによってしか、90分の思索力を育てることはできない。「90分の思索力」については、もっとずっと後に言及することにするが、実は「陥穽」は、このせっかくの90分を細切れ&ブツ切りにすることから生ずる。

  (ハイリゲンシュタット、ベートーヴェンのオウチ 2)  

 

「丁寧に作ろう」「一切の瑕疵なく完璧に作ろう」と腐心することが、かえって大きな陥穽になってしまうというのだから、諸君、「授業」「講義」とはマコトに難しい作品なのである。

 

 初めて静かな環境に置かれた先生たちは、「何が何でもカンペキな授業にしたい」「制限時間内に、語るべきことを全て語りたい」「語り残しは絶対にイヤだ」と、盛り上がる熱意、心の中で燃えさかる真っ赤な炎に、みんな悶え苦しむことになる。

 

 要するに、やってもやっても、どれほど努力を積み重ねても、「90分では尺が足りない」のである。テキストの1レッスン分を、どんなに早口で語っても、100分どころか120分もかかってしまう。スタジオの外で見守るスタッフたちも、何度やっても尺に収まりきらない熱意の炎に、やがて辟易しはじめる。

   (ハイリゲンシュタット、ベートーヴェンのオウチ 3)

 

 だってそうじゃないか。スタッフとしては「きっとこのセンセは90分で一気に完結する」「1回でカンペキな授業にしてくれる」「だって先頭集団を引っ張ってきた神と天才と専門家なんだから」と期待している。

 

 ところが、90分が迫っても、まだ長文は半分ちょい、終わる気配はゼロ。そのまま100分へ、120分へ、センセの若々しいイケメンが、まもなく苛立ちと苦悶に歪んでくる。「体調でも悪いんちゃう?」というレベルの歪み方だ。

 

 そしてついに「どうしても尺に入りきりません」と、暗い諦めの告白とともにスタジオから出ていらっしゃる。「精も根も尽き果てた」というセンセの表情に、慰める言葉もない。むかしむかし、というかこの10年、いろんな予備校のスタジオ収録で頻発した光景だ。

 

 するともちろん収録は「最初からやりなおし」であって、ここまでの100分とか120分、みんなの努力は全て帳消しになってしまうのだ。いやはや、かつてスタッフの溜め息は、さぞかし深かっただろう(次回は詳しく「陥穽」の正体を明らかにします。さらに「ナマの逆襲」「映像の再逆襲」と続きます)。

 

1E(Cd) Zagrosek & BerinSCHREKERDIE GEZEICHNETEN 1/3

2E(Cd) Zagrosek & BerinSCHREKERDIE GEZEICHNETEN 2/3

3E(Cd) Bobby CaldwellHEART OF MINE

4E(Cd) Boz ScaggsBOZ THE BALLADE

7D(DMv) THE DEER HUNTER

total m22 y628  dd26468