Mon 210531 シリーズは後半へ/夏スケジュール/さあワクチン/神田ランチョン 4063回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 210531 シリーズは後半へ/夏スケジュール/さあワクチン/神田ランチョン 4063回

「ナマか映像か」といいタイトルでシリーズ物を書いてきて、ここまで7回の記事で「過去」と「現在完了」の状況まで、ほぼ書き終わった。過去をしっかり辿れば、映像の圧倒的優勢への道のりや、同時ナマ中継から完全スタジオ収録への変遷も、よく分かっていただけたと思う。

 

 このシリーズは、まだ続く。過去を書き、現在完了まで書けば、次に現在進行形と近未来形も書かなければならない。実は「圧勝」と見えた完全スタジオ収録の映像授業にも、思わぬ陥穽が見えてきた。

 

 その陥穽についてしっかり指摘した上で、陥穽をどう逃れるのか、より望ましい未来形は何かを描くのが、語り部イマイの役割であるはず。大学入試や大学の授業への提言まで含めて、マスメディアには論ずることのできない独特の展開を期待していただきたい。

 

 本日は、中休み。というか、一昨日と昨日も更新をお休みにして、ここまで7回のシリーズを再読していただく時間をとったつもりなのだ。今日もシリーズをもう1日中断して、明日から始まる6月への英気を養いたいと考える。

(あと3週間の籠城に備え、神田駿河台下「神保町ランチョン」で腹ごしらえ。目玉焼きのせ巨大ハンバーグ、オイシューございました)

 

 ここまで、籠城することすでに約2ヶ月。最後に思い切り仕事をしたのは、3月25日だった。その後「まん防」が出て、マジメな今井君は籠城を選び、変異株がキバを剥いて緊急事態宣言に至ると、「食糧が続く限り」「心が耐えられる限り」みたいな悲壮な決意で籠城を続けてきた。

 

 オスマントルコに包囲されたロードス騎士団の籠城にも、ワタクシは負けない覚悟でここまできた。同じくオスマントルコのスーパー大軍に包囲された1453年のコンスタンティノープルの籠城も、4月5月の今井君の頭を離れなかった。

 

 しかしいよいよ籠城戦は終わりに近づいている。6月20日まで、残り3週間だ。今度こそはウィルス軍の包囲を突破して、諸君、いよいよ「今度は我々が攻める番だ」と笑顔で絶叫したいじゃないか。

 

 ワタクシにも、ほぼ確定した夏スケジュールが届いた。冒頭の2回はまだ緊急事態宣言下。少し心配だけれども、6月7月8月で合計約25回、全て文句のつけようがない豪快な大成功に導きたいのである。

 

  6月17日 和歌山

  6月18日 岡山

  6月23日 奈良

  6月24日 奈良県 橿原神宮

  7月2日  岐阜

  7月4日  福岡県 小倉

  7月6日  熊本県 八代

  7月7日  兵庫県 西宮

  7月8日  兵庫県 伊丹

  7月9日  千葉

  7月11日 兵庫県 塚口

  7月12日 神奈川県 二俣川

  7月14日 広島県 呉 

  7月15日 静岡県 沼津

  7月16日 神奈川県 平塚

  7月17日 滋賀県 草津

  7月19日 新百合ヶ丘

  7月20日 岡山

  7月21日 広島県 西条

  7月22日 高松  

  7月23日 静岡

  7月28日 吉祥寺

  7月30日 富山

  8月9日  愛媛県 伊予三島

 

(神田「神保町ランチョン」の前にスックと立ったコックさん。「お酒はダメです」の一言が悲しい)

 

 ボクチンは時々、菅首相のお顔を眺めつつ、ムンクの「叫び」を思い出すのである。マコトに突飛で申し訳ないが、叫ぶ男のお顔のところに、我が愛する総理大臣のお顔を貼りつけたら、ありゃま&こりゃま、どうしたことだ。そっくりそのまま、21世紀の世界の危機を象徴するように見えるじゃないか。

 

 この総理、諸君が思っているより、遥かに実行力に富んでいる。そりゃ会見は頼りない。プロンプターを横目で睨んで読んでるだけだ。記者たちの質問にも、ピシッとスイートスポットに当たった感触の返答はない。6月初旬の党首討論だって、同郷の者として心配でならない。

 

 しかし諸君、ケータイ&スマホの料金は、びっくりするほどのスピードで下がったじゃないか。温暖化対策の数値設定だって、デジタル庁だって、ワクチン大規模接種の実現だって、こんな豪腕&剛腕、歴代の日本の首相で彼に匹敵する人は、そんなにたくさん見当たる気がしない。

 

 きっとこのまま彼が政権にいれば、電気自動車の価格がグイグイ下がる。200万円を切れば、消費者は一斉に電気自動車に切り替える計算だが、「だったらやりましょう」とスガさんが言い出したら、話はマコトに速そうだ。

(神保町のビヤホール「ランチョン」のメニュー。もちろんお酒は一切ナシだが、ビールが旨けりゃ世界もうまくいく。一刻も早いコロナ終息を願う)

 

 実現可能と不可能のギリギリの線で数字を設定し、不可能の側に1歩も2歩も踏み出したところに目標を決め、「やりましょう♨︎」と笑うのが彼の政治手法。ワクチン大規模接種の話に転じた時、おお、目ヂカラがギュッと強烈になった。

 

「意地でもやります」「押して押して押しまくります」という叩き上げの執念が、プロンプターの透明の壁を突き破ってメラメラと燃えた。もしもマンガのフキダシがあったら、「今度はオレたちが攻める番だ」と、殴り書きの文字がみえるほど、熱い決意に燃えていた。

 

 支持率は屈辱的なほど下がり、オリ&パラの件でマスメディアの失笑と冷笑を浴び、「街の人」はワイドショーのコメンテーターそっくりのテンプレートしか口にしない。「いったい何故、何のために、誰のために開催するんでしょうかね?」。おお、プロのコメンテーター顔負けだ。

 

 しかし諸君、今のワタクシのイメージでは、ムンク「叫び」の下から1/3のあたり、例の男の位置に我が首相の肖像を貼りつけて、「今度はオレたちが攻める番だ!!」と、大っきなフキダシをつけてあげたいのである。

 

 こんどこそ、終わらせようじゃないか。あと3週間で、籠城を終わらせようじゃないか。今井君はこの3ヶ月の籠城にじっと耐えて、変異ウィルス軍のなすがままになった戦況を眺めつつウンザリ、6月21日には「反撃だ!!」と絶叫しながら、大攻勢に出たいのである。

 (巨大ハンバーグが来る前に、熱いクラムチャウダーをすする。オイシューございました)

 

 いつの頃からだろう、「ムンクの叫びは、実は叫んでいないのだ」という説が有力になった。「実際は耳を塞いでいるんだ」とおっしゃるのである。

 

「叫んでいるのは彼ではない。どこからか自然を貫く不安の叫びが聞こえて、彼は怯えているだけなのだ」

「顔の両脇の両手は、叫ぶ口に添えられているのではなくて、実際にはどこからかやってくる叫びを聞くまいと、固く耳を塞いでいるのだ」

と言ふわけである。

 

 いやはや、小難しいことを言う人がいるものだ。諸君、もしも「耳を塞いでいる」というのなら、では何故あの男はあんなにも大きく口を開き、あんなにも大きく両目を見開いているんだ?

 

 他者の叫びに怯えて耳を塞ぐような時、人は果たして目を見開き、口を最大限にまで開くものだろうか。怯えて耳を塞ぐなら、目も口も固く閉じ、他者の叫びによる空気の振動が、視覚や味覚から侵入することをさえ拒絶するんじゃないのか。

 

 諸君、例えば強い臭気を味覚で感じたことはないか。騒音を視覚で感じたことはないか。戦闘機の爆音を、嗅覚や視覚で感じ、火山の噴火の衝撃を、味覚や嗅覚や皮膚感覚で感じることもあるはずだ。他者の叫びに強烈に怯えた男なら、必ず口と目も固く閉ざすはずである。

(お酒ナシのお昼のビアホールは、ほぼ無人。ここが満席になる頃に、また来たい) 

 

 ワタクシは、「やっぱり彼も叫んでいる」に一票を投じたい。目も口も全開である以上、彼も確実に絶叫している。問題は「彼も」という点であって、彼も確かに叫んでいるが、他にも叫んでいる存在が彼を取り巻いている。

 

 暗い北欧の不安な自然かもしれないし、その自然に取り巻かれた人間たちかもしれないが、彼は叫ぶ他者に囲まれ、他者の叫びを遮るために、自らも叫んでいる。耳を塞いで他者の叫びを排除するだけでは足りない。耳を塞いだ上で、自らも絶叫することでしか、他者の叫びを拒絶することはできない。

 

 その場合、他者の叫びは、必ずしも「叫び」という形式をとらない。叫びは、むしろささやきの集合体としてやってくる。イングマル・ベルイマンの映画「叫びとささやき」を見ていただけば分かるかもしれない。

 

 原タイトルは「CRIES AND WHISPERS」、1973年、スウェーデン作品。他者のささやきの集積は精神に深く侵入し、むしろ絶叫の及びもつかないほどの力で精神を侵す。暗いささやきの力を排除するには、自らの絶叫で対処するしかない。

(ビアホールの至るところで、高倉健が笑っている。「飲んで貰います」のモトは、もちろん彼の名セリフ「死んで貰います」だ)

 

 今井君はずっと「ベルイマン」を「ベイルマン」と勘違いしていて、大学の学食で熱い映画論を交わしていた時にも「ベイルマン」「ベイルマン」と連呼し、都立青山高校出身・チョー都会人の西山君に「ベルイマンだろ?」と指摘された。あれ以来、恥ずかしくて&恥ずかしくて、「もう映画論も演劇論も絶対にしない」と心に誓った。

 

 しかし諸君、ささやきの集積の影響を排除するには、耳を硬く塞ぐだけでは対処できないのは間違いないことあって、両手で耳を塞ぎ、目を見開き、口も大きく開けて、胸の奥底というより、胃袋や小腸&大腸、内臓の筋肉すべてに最大限の力を込めて絶叫するしかないのである。

 

 ムンクは、ノルウェー。ベルイマンは、スウェーデン。オスロでもベルゲンでも、ヘルシンオアでもヘルシンボリでもマルメでも、北欧の暗い海や黒い山や静かな樹々は、みんな静謐な佇まいで絶え間なくささやき続けている。トナカイの暗い血の色の肉を噛みながら、ささやきの排除には絶叫しかないと心に沁みた。

 (トイレにも、高倉健のポスターだ。昔のアルミ缶は、今よりはるかに薄かった)

 

 ずいぶん話が逸れて、いったい何の話を書いていたのかさえ忘れてしまったが、まあ別にいいじゃないか。無数の変異コロナ君たちが不気味な囁き声をあげながら、今もわれわれ籠城サイドを脅かす。無数のウィルスの囁きは耳を聾するほどであって、怯えて絶叫しても何の効果もなさそうだ。

 

 しかしワクチン接種が一気に拡大&加速化して、籠城にはどうやら先が見えた。「そろそろ我々が攻める番だ」と高らかに宣言したのが、あのハニカミ屋の令和おじさんであるという部分がいささかパッとしないが、諸君、あんまり贅沢を言うものではない。

 

 秋田弁の令和おじさんの号令で、医師もナースも、歯科医も医療関係者も、薬剤師も自衛官も、役場の人々も国民全員もギュッとみんな立ち上がる。

 

 これがもし映画なら、草原に集合した疲れ切った人々に向かい、「戦いの準備ができている者は?」と、年老いたヒーローが声を張り上げるところだ。

 

 一瞬、誰も声を上げない。それどころか、否定的で冷笑的なささやきが風のように草原に広がっていく。雲が流れ、一陣の風が吹きわたる。その時、かつてもっとも反抗的だった若者がスックと立ち上がり、「I am!!」と絶叫する。「オレは、戦うぜ」と叫ぶのである。

 

 それを合図に、女も男も若い者も老いた者も、初夏の夕陽に疲れた顔を輝かせながら、そこいら中でスックスック&スックスックと立ち上がる。

 

I am!!」「I am!!」。雷鳴のような歓声と拍手が湧きおこり、ついに最も冷笑的だった者も立ち上がってコブシを掲げ、人々は笑いながら彼の肩をたたき熱い握手を交わす。

 

 もちろん映画みたいな展開になるわけはないが、もしも集団免疫という状況を映画で描くなら、そうやってみんなが次々と立ち上がった映像になるんじゃあるまいか。

 

 いやはや、バカな話はこのぐらいにして、6月7月8月、粛々とワクチン接種会場に足を運ぼうじゃないか。今井君は臆病だから、注射が痛そうでコワいが、秋から先の仕事を200%エンジョイするためなら、ホンの一瞬の痛みぐらい、チャンと我慢ができそうだ。

 

1E(Cd) Gregory HinesGREGORY HINES

2E(Cd) John ColtraneSUN SHIP

3E(Cd) Joe SampleRAINBOW SEEKER

4E(Cd) Joe Sample & Lalah HathawayTHE SONG LIVES ON

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