Tue 200609 リアル巨人の星、動画発見/バーリ帰還(アドリア海岸探険記12)3942回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 200609 リアル巨人の星、動画発見/バーリ帰還(アドリア海岸探険記12)3942回

 このごろ時々ワタクシは、YouTubeが心配になるのである。こんなにみんながユーチューブばっかり見て、これほどみんながユーチューバーになって、遠慮も何もなしにバンバン投稿して、それでもパンクしちゃわないものなんだろうか。

 

 そういう心配に悩むのは諸君、ユーチューブにはあまりにも貴重な映像が山ほど溢れていて、そういうのが何かの事故でいきなり「パン!!」という破裂音とともに雲散霧消してしまわないか、昭和なアナログ人間として、それをホンキで心配しているのである。

 

 かく言うワタクシにも、他人にはあまり言わないでいる各種「お気に入り動画」が数々あって、例えば10日ほど前に告白した小林桂樹(けいじゅ)出演の時代劇やら、40年も前の大河ドラマ「獅子の時代」も含まれているが、何より大事にしているのが、高校野球と大学ラグビーの映像の数々である。

    (2019年8月31日、灼熱のマテーラ 1)

 

 6月7日午後11時、ワタクシは「おそらくもう一生見ることは出来ないだろう」と諦めていたリアル星飛雄馬の動画を発見。そのまま午前3時まで、繰り返し&繰り返し20回もウットリ眺めていた。

 

 1978年の夏の甲子園1回戦、箕島高 vs 能代高の試合である。和歌山の箕島(みのしま)は、公立校ながら翌1979年の春夏、甲子園を連覇。名将・尾藤監督のもと、押しも押されぬスーパー強豪校であった。箕島の後を池田  PL  横浜  大阪桐蔭が引き継いでいった。

 

 一方の秋田県代表・能代高は、いわゆる「文武両道」の進学校。1978年の甲子園はまだそのタイプの公立校も多く出場していて、岩手は盛岡一高、群馬は桐生高、静岡は静岡高、滋賀は膳所高だし、福岡からも東筑が進出している。

    (2019年8月31日、灼熱のマテーラ 2)

 

 しかし諸君、秋田県という不思議な県は、信じられないほど身体能力に優れた男女が頻繁にポコポコ生まれてくる。バスケで有名な能代工高は全国優勝数知れず。野球でも落合博満に石井浩郎に摂津正、2018年の金足農旋風を牽引した・吉田輝星選手は記憶に新しいが、文武両道・能代高からは日本野球史を代表するサブマリン山田久志も出ている。

 

 1978年の能代高を甲子園に導いたのは、高松直志投手である。打順でも不動の4番。秋田県大会の決勝では、本荘高のエース工藤幹夫に投げ勝った。工藤幹夫はまもなく日本ハムのエースに成長、1982年に20勝4敗の驚くべき成績を残したアンダーハンド(高校当時)であった。

 

 諸君、とにかく(削除されたりするといけないから)今すぐYouTubeでリアル星ヒューマ → 高松投手の勇姿を目撃してくれたまえ。とりあえず、まずは彼の驚くべき投球フォームを写真で確認しようじゃないか。

Wed 110504 アサヒグラフ甲子園特集号(78年版)を入手 福島・双葉高校大活躍のこと

 

 しかしやっぱり、何が何でも動画を見てもらわなきゃいけない。YouTubeでのタイトルは、

【伝説 東北の星飛雄馬】1978能代(秋田) 高松直志【対 箕島】

ほれ、ほれ、今すぐポチッとして見たまえ。今井ブログなんか読むのは、この動画を5回眺めた後でかまわない。

(灼熱のマテーラからクルマで30分、「原罪のクリプタ」ことシスティーナ礼拝堂付近で 1)

 

 ワタクシは秋田県人として「ヒイキの引倒し」をやっているのかもしれない。だからとにかく今すぐ映像で高松君の勇姿を目撃してもらわなければならない。

 

 見たかい? ホントに見たかい? それで感想はどうだい? 感激したなら、今すぐいろいろツイートしてくれたまえ。LINEで友人に感激を伝えてくれたまえ。

 

「全身バネ」とは、スポーツ選手の身体能力に感激しちゃったライターさんがマクラ言葉のようにつかう形容であるが、諸君、この試合の高松選手以上の強烈な全身バネを、今までに目撃したことがあるだろうか。

 

 1回表、箕島の1番バッターが三塁打を放つ。たちまちスクイズで1点を奪われる。このあたりまでは、「おやおや、むかし懐かしい東北の弱小チーム」の雰囲気であるが、そこから先の高松投手、ウナリをあげるような豪速球に、是非とも驚嘆してくれたまえ。

 

 こりゃもう、相手バッターとしても苦笑いするしかないじゃないか。彼が左腕を振り抜く前に、もうボールはキャッチャーミットに届いている。バッターがバットを振り始める前に、もうキャッチャーミットから砂ボコリがあがっている。

(灼熱のマテーラからクルマで30分、「原罪のクリプタ」ことシスティーナ礼拝堂付近で 2)

 

 これって、もしスピードガンがあったら、160kmぐらい表示してるんじゃないの? 「振りおくれ」なんてものではない。ホントにキャッチャーが捕球した後でバッターがバットを振っている。そういうシーンがどこまでも続く。

 

 もう一度確認するが、当時の箕島高の打者というのは、30年前のPL、今の大阪桐蔭に匹敵する強打者ぞろいなのである。2年前の大阪桐蔭の藤原や根尾や宮崎や中川に該当するエリート打者が、「キャッチャーが捕球した後にバットを振り始める」、そういう恐るべき速球が、次々と高松投手の腕から放たれる。

 

 特に注目すべきなのは、3回1アウトから先の快投である。実際に4回以降は、ヒットはおろかランナーさえ1人も出していない。打たれたヒットは3本だけなのだ。

 (灼熱のマテーラにて。前日と同じメニューを満喫する 1)

 

「全身バネ」の恐るべき肉体から、もうボール君自身さえヤケになったような、強引とも言える豪速球がビュンビュン飛んでくるから、いやはや何とも緩く見える変化球も面白いように決まる。

 

 4回からさき試合終了まで、もちろん当時の撮影技術の問題もあるんだろうが、高松選手の指先を離れたボールは、視界からホントに消えるのである。星ヒューマの代名詞「消える魔球」があったが、彼の場合はホントにそのままストレートが消える魔球だったのかもしれない。

 

 諸君、スクイズで1点先制される初回のシーンに、どれほど凄い速球だったかが如実に示されている。バックネットまでまっすぐ飛んでいった彼の暴投が、バックネットのコンクリートにぶつかって、そのままのスピードで直接キャッチャーに帰ってくる。是非そのシーンにも注目してくれたまえ。

 (灼熱のマテーラにて。前日と同じメニューを満喫する 2)

 

 大きく振りかぶった姿勢がまたスッキリ、あまりにもカッコいい。そうかと思えば、コミカルな部分もキチンとあって、まさにこれは「男ゴコロに男が惚れる」という星ヒューマの世界。そう言われてみれば、当時の能代高のユニフォームは、もう読売巨人軍のコピーと言っていいぐらいだ。

 

 マコトに残念なことに、試合は初回の1点が重くて、結局そのまま「スミ1」の1−0で箕島の勝利。YouTubeには唖然とするほど若々しい尾藤監督のインタビューも収録されている。

 

 数々の名勝負を演じた名将がどれほどホンキで虎の子の1点を守りにいったか、ひしひしと感じ取れる雰囲気だ。というか、まさにこの男の姿こそ、昭和の男の象徴だ。豊かな黒潮の中を泳ぎまくった力強いサカナを貪り食い、そのエネルギーで世界を席巻したのは、こういう男たちだったのだ。

 (灼熱のマテーラにて。前日と同じメニューを満喫する 3)

 

 足を頭上高く振り上げる、高松選手の強烈なフォーム。体力を目いっぱい消耗しそうな不経済な投げ方で、気温40℃の灼熱甲子園を勝ち抜こうとした闘志。味方打線の不甲斐なさにも、最後まで笑顔をなくさずに戦い抜いた強いココロ。素晴らしいじゃないか。

 

 ワタクシは2018年の金足農に負けない力強さを、その40年前の秋田人にも見出して、熱い涙を止めることができない。21世紀の青年諸君、スマホばかりネロネロしてる場合ではない。高松選手と、尾藤監督と、この動画をもう5回は見て、諸君の人生の指針としてほしいのだ。

 

 ついでに、実況しているNHKの渡辺アナも、解説の池西増夫氏も、まだコドモだった今井君の理想を体現している。「ヒット!!」と叫ぶところを「ヒッt」「ヒッt」という発音でカッコよくまとめているアナ。落ち着いた優しさの中に厳しさも込めた池西氏。ともに当時の今井君が「話し方はこうでなきゃ」というお手本に定めた人だった。

(マテーラで人気のピッツェリア。あまりの暑さに遠慮した)

 

 というか、要するに6月上旬のワタクシはそんな日々を過ごしていた。ユーチューブにかじりついていただなんて、ホントはそんなことを告白してはいけない立場にいるのかもしれないが、何しろ自粛&自粛が続いていて、夏のスケジュールがなかなか確定しない。

 

 読者諸君もなかなかツラい日々らしくて、受験生でも学部生でも社会人でも、長い巣ごもり生活が明けて1週間ないし2週間、テレビのインタビューでは「友達に会えて幸せです」とかヤセ我慢を言って苦笑していても、その実やっぱり何となくオウチが恋しくて、5月病ならぬ6月病に悩まされているんじゃないか。

         (マテーラの灼熱)

 

 そういう弱っちい青年でいてはチト困るから、ぜひ今井君を見習って、どんどん歩き回ってくれたまえ。2019831日、マテーラに滞在中だっったワタクシは、この朝もまた猛暑の予感に包まれていたにも関わらず、朝6時には起床した。

 

 まずは長々と1時間のお風呂、もちろんそのあとはビール。その「ビール」という部分は若い諸君のマネや追随は許さないが、朝8時にはもうホテルを出てマテーラ散策を始めていたのだから恐れ入る。

 

 マテーラ市街の中心部からクルマで15kmほど。幹線道路からはずれ、ブドウ畑からクルマはやがて荒れ果てた渓谷地帯に入り、畑のあちこちから黒々とした煙があがるあたりが「ピチャーナ渓谷」、この渓谷の暗い小さな洞窟に「システィーナ礼拝堂」がある。

   (マテーラ発15時19分の電車でバーリに帰還する)

 

 日本の代表的なガイドブックには「原罪のクリプタ」という大きな記事が掲載されていて、まるでここがマテーラのmustであるような書き方になっている。

 

 しかし湿り気の多い窮屈な洞窟に導かれ、8世紀から9世紀に描かれた稚拙な宗教画をフラッシュライトの明かりで15分ほど示されて、うーん、こりゃどうなんだろう。

   (バーリ駅に着く頃には、豪雨も雷鳴も止んでいた)

 

 ホントはもっと強烈に感激して感涙に目頭を熱くしていなきゃいけないんだろうが、今井君の信仰心は呆れるほど希薄なのだ。思わず「来て損したかも」とか、天罰のあたりそうな感想をもらしつつ、溜め息をつきながら灼熱のマテーラ市街に戻ってきた。

 

 マテーラは、前日に続く灼熱の世界である。この灼熱は、おそらく1ヶ月も前から続き、これから1ヶ月近く変わることなく続くのだ。それを考えただけで、北国育ちの今井君は心の底から全てが萎えていく。

    (アドリア海岸バーリ、ホテルからの夕景 1)

 

 マテーラに帰った段階で、時刻は11時半。あまりの暑さに面倒になって、昨日と同じレストランに入り、昨日と同じビールを飲み干し、昨日と同じワインと昨日と同じエビにステーキにパスタを注文して、昨日と同じ金額を支払った。

 

 1519分、雲行きの怪しいマテーラから、私鉄アップロ・ルカーネ線でバーリに帰ることにした。途中の荒野に、次々と鋭角的な稲妻が光り、同じように鋭角的に強烈な雷鳴が轟いた。

    (アドリア海岸バーリ、ホテルからの夕景 2)

 

 イタリアの交通機関は、この種の鋭角的な自然現象には常にたいへん脆弱な反応を示す。交通機関の中でも特に「私鉄」は、あっという間に神の怒りへの恭順を示して停止、そのままふがいなく運行を停止して、2時間でも3時間でも地にうずくまったままピクリとも動かなくなる。

 

 しかしこの日の私鉄アップロ・ルカーネ線は、たいへん雄々しく稲妻や雷鳴に対抗し、予定の17時半には堂々とバーリの駅に到着したのである。めでたし&めでたし。雨上がりのバーリの海岸には、かすかに初秋の涼風が流れていた。

 

1E(Cd) The BeatlesABBEY ROAD

2E(Cd) The BeatlesSGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND

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