Wed 110504 アサヒグラフ甲子園特集号(78年版)を入手 福島・双葉高校大活躍のこと | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 110504 アサヒグラフ甲子園特集号(78年版)を入手 福島・双葉高校大活躍のこと

 大震災の5日前(3月6日)、和歌山・箕島高校の尾藤公・元監督が死去した。1979年、例の「星稜-箕島」延長18回の死闘を演じた中心人物である。
 「ホントに昭和が終わっていく」ことが寂しかった今井君は、ネットを駆使して(と言うほどでもないが)、30年前の夏の甲子園大会を記録した「アサヒグラフ」を手に入れた。「尾藤監督の面影だけでも忍ぶことができれば」と思ったわけである。
 ついに手に入れた古本は、震災直前、福島県須賀川市の古書店から届いた。78年、星稜-箕島の激闘の前年のアサヒグラフである。おお、横浜高校のピッチャーは、その後ロッテで活躍したアイドル・愛甲、まだ1年生である。ということは、この翌々年は早稲田実業が1年生荒木大輔の力投で横浜と決勝を戦い、準優勝するのである。
高松
(78年甲子園。能代・高松投手のフォーム。アサヒグラフより)

愛甲
(横浜のアイドル愛甲。うぉ、カッコいい。これが1年生である。アサヒグラフより)

 おお、山口県代表は南陽工だ。広島カープの守護神、急死した伝説の故・津田投手が「エースで4番」である。
 おお、文武両道の理想をそのままに、多くの有名進学校も出場している。福岡県から、東筑。滋賀県からは、膳所。静岡県は静岡高校。岩手県は盛岡一高。群馬県は桐生高校。桐生のピッチャー木暮は、早稲田大学で活躍した、あの木暮だ。うーん、文武両道、遠い昔の話になってしまったのかねえ。
南陽
(78年、天理vs南陽工のスコア。アサヒグラフより)

 早稲田実も出場していて、メンバー表の「9番キャッチャー和泉」とは、斉藤祐樹で優勝したときの監督・和泉である。おお、おお、みんな名選手で、みんな有名になって、いろんな所で活躍しているじゃないか。
早稲田実
(78年、早稲田実vs倉吉北のスコア。アサヒグラフより)

 おお、裏表紙なんか「太陽神戸銀行」でござるよ。太陽銀行と神戸銀行が合併して「太陽神戸銀行」になって、その太陽神戸が三井と合併して「太陽神戸三井銀行」になって、名前が長過ぎて面倒だから「さくら銀行」になって、それでも何だか不安だから住友と合併して「三井住友銀行」。合従連衡を繰り返すうちに、いつの間にか存在さえ消されてしまった、太陽&神戸銀行であるよ。
太陽神戸
(78年、太陽神戸銀行の広告。アサヒグラフより)

 我が秋田県代表は、能代高校。ここも文武両道の名門である。「リアル星飛雄馬」として有名だった高松直志投手の、星飛雄馬だってシッポを巻いてしまうような、まさに恐るべき投球フォームが写真入りで解説されている。このフォームから、ちょっと左手が下がり気味のスリークォーターで出てくる。星飛雄馬の大リーグボール2号とほぼ同じ投げ方。アニメ版・巨人の星でも、確かに大リーグボール2号の星飛雄馬はスリークォーターになっている。
もう一度
(もう1度、能代・高松投手の力投)

 タイトルには「惜しまれる好投手高松の敗退」とある。確かに、翌年に全国優勝する箕島相手に、4回以降パーフェクトに抑えたというのだから、このピッチャーは間違いなく非凡だったのだ。1-0、名将・尾藤公監督率いる強豪箕島相手に、「スミ1」での敗退は確かに惜しまれる。その1点も、1回裏先頭打者が「前進したセンターの頭上を抜いた」という驚きの三塁打と、直後のスクイズでの1点。惜しまれて当たり前だ。
能代
(78年、能代vs箕島のスコア。アサヒグラフより)

 それにしても、東筑vs日大二の試合、「締まりのない試合の締まらない終幕」という書き方はヒドいねえ。高校野球の解説も、ほんの30年前まで遡ってみると、おお、ここまでハードだったのである。21世紀の今では、甲子園のプレーは何でもかんでも絶賛の嵐で、「勇気もらった」「感動与えた」「感激をありがとう」ばっかりになってしまった。昔の方がよかったかもしれないですね。
しまらない
(「締まりのない試合の締まらない終幕」。アサヒグラフより)

 さて、原子力発電所事故があって、福島県双葉町は被災地の真っただ中。町民の多くは埼玉県加須市などでつらい避難生活を続けている。しかし、その双葉町にある福島県立双葉高校が、実は高校野球の強豪校であることを知っている人は、あまり多くないかもしれない。
 夏の甲子園には3回の出場歴があって、戦績は2勝3敗。全国から有名選手をかき集める新興私立高校なら別だが、地元の高校生だけで固めた超・地域密着型のチームで、この戦績は立派である。どこのメディアでもいいから、是非そのことに触れてほしい。
 何しろ学校は原子力発電所から3km圏内だから、被災後は野球部員も散り散りになってしまっていた。しかし5月3日のNHKニュースによれば、お隣のいわき市のグラウンドで、夏の大会に向けて練習を始めたとのこと。ひとまず、どんなことであれ「よかったよかった」である。
 出場したのは1973年・1980年・1994年の3回。73年は1回戦で広島商に12-0で敗れている。しかし諸君、1970年代の広島商は全国屈指の強豪、73年は決勝で静岡高校を破って全国優勝した年である。佃、楠原、川本、金光など名選手が目白押しで、春センバツも準優勝。広島カープで活躍した達川光男もいた。双葉高校の1回戦負けは、まさに名誉の敗退といっていい。
アサヒグラフ
(78年のアサヒグラフ。諸君、この夏は全力を尽くそう)

 1980年は1回戦で鹿児島の川内実業を3-1で撃破。今でこそ鹿児島代表は「鹿実」か「樟南」が多いが、30年昔の鹿児島は川内(せんだい)実業と玉竜高校が健在。当時の男の滋養強壮♨と言えばマムシ入り「玉竜ドリンク」が主流だったから、玉竜高校が鹿児島予選を勝ち上がってくるたびに、オジサンたちはウキウキしながらその戦いぶりを見守ったものである。
 「玉竜ドリンク」がドリンク剤の王座を奪われたのは、「男には男の武器がある」のアルギンZが発売された頃。その後バブル経済が来て、1本700円のユンケルを「別に高くない」と感じるヒトも増え、「24時間働けますか!?」のリゲイン(=当時300円)が流行するに至って、玉竜ドリンクはほぼ過去の遺物と化した。まあ、そのあたりの話は、今日の記事の趣旨を外れすぎるから、また今度、詳しく「白熱教室」をやることにしよう。
 1980年の双葉高校は、2回戦で札幌商と対戦、5-7で惜しくも敗れる。この頃の札幌商は、チアリーダーの派手すぎるユニフォームについて、オエラガタの苦言というか、お叱りというか、まあ「度を超している」「いかがなものか」「もう少し控えたらどうか」の指摘で有名だった。
 うーん、まだ今井君はコドモだったのでよく覚えていないが、それこそ「キャンディーズもマッサオ」「ピンクレディーかい?」という、ヒラヒラした恐るべきデザインだったような、おぼろげな記憶はある。その手の趣味のオヒトが高価なカメラを構え、甲子園のアルプススタンドを埋め尽くした。ちょっと困った騒ぎだった。
 1994年は、市立和歌山商業に1-0で勝利した後、鹿児島の樟南に1-4で敗れている。樟南は、1回戦で今井君の母校・秋田高校を撃破したニックキ相手。その後も勝ち進んで、準優勝に輝いた。うーん、双葉高校は1回戦や2回戦で超強豪校と対戦してしまう、そういうクジ運なのかもしれない。
右へ

左へ
(それでもまた夏が来る。諸君、それぞれの持ち場で奮闘しよう。今井の夏は東進河口湖合宿。BAD TORO のTシャツで奮闘する)

 まあこんなふうに、高校野球だってホントにいろんなことがあった。今井君は「双葉町」と聞いて、すぐに「お、双葉高校の双葉町か」と思ったものである。松戸に住んでいた時代、仙台に帰省するのに、電車賃を節約するために常磐線の各駅停車を利用することがよくあったが、「双葉」という駅名を見るたびに「おお、双葉高校ね」と頷いたものである。
 大津波の被災地・大船渡についても、同じような記憶がある。1984年の春センバツ、一気にベスト4まで勝ち進んだ「大船渡旋風」は、今井君ぐらいの年齢の人間やクマやウワバミにとっては、まさに記憶に新しい。ダークホース多々良学園や、優勝候補・明徳義塾を次々に撃破。あれよあれよのうちに準決勝まで勝ち上がって、優勝した東京・岩倉高校に1-2で惜敗した。
 あと1ヶ月半も過ぎれば、また今年の夏が始まる。双葉高校の選手にも、大船渡高校の選手にも、精一杯の奮闘を期待したい。
 「人々に勇気を与えたい」とか、そんな難しいことは考えなくていい。ただ自分たちのために奮闘して、泥だらけになりながら県大会を勝ち上がって欲しいと思う。今井君は、ほとんどそれを見るためだけに朝日新聞をとって、目を皿にして夏の県大会の軌跡を追っている。同じような人間が、全国に驚くほど存在するはずだ。

1E(Cd) Grover Washington Jr.:ARIA
2E(Cd) Anne Queffélec:PIANO WORKS 1/2
3E(Cd) Anne Queffélec:PIANO WORKS 2/2
4E(Cd) Grover Washington Jr.:ARIA
5E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
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