Thu 181220 この世とあの世を行ったり来たり/小野篁と幽霊飴(京都すみずみ4)3774回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 181220 この世とあの世を行ったり来たり/小野篁と幽霊飴(京都すみずみ4)3774回

 さすが1200年の歴史を誇る京都であって、街の西でも北でも東でも南でも、「あの世とこの世を行ったり来たり」というマコトに不思議な体験ができる。

 

 常宿のウェスティン都ホテルからなら、まずは東山通りを八坂神社の先まで南下して、東山安井の交差点を目指したまえ。進行方向右手の目の前に「安井金比羅宮」というたいへん地味なコンクリートの鳥居があって、ここに祀られているのは、やれ恐ろしや、崇徳上皇さまである。

 

 平安の最末期、保元平治の乱で徹底的に苦杯をなめ続けた崇徳上皇さまであるから、その祟りも1000年にわたり消えることがない。「国家転覆を謀る」というレベルの、超濃厚&超強烈なものである。「あぶないから、シロートは安井金比羅宮に近寄ってはいけません」という人さえいる。

(京都東山「安井金比羅宮」の絵馬型巨岩。あの世とこの世の往復を実現する亀裂が入っている)

 

 崇徳天皇には「ホントの父親は、実は白河上皇なのだ♡」とする真偽不明のウワサがあり、正式の父親の鳥羽上皇から疎んじられていた。天皇に即位した後も理不尽に譲位を迫られ、譲位して上皇となってからは「次の天皇を呪い殺した」とウワサも立つ。

 

 正式の「父親」である鳥羽上皇は、このウワサに激怒。後白河天皇が即位することになる。おお、時代を代表する超クセモノ、平清盛でさえ勝てなかった後白河どんの登場で、崇徳サマの立場は大きなスパイラルでさらに急降下する。

 

「名目上の父親」とされた鳥羽法皇が亡くなっても、その亡骸との対面も許されない。ついにウワサは「上皇は、国を傾けたてまつらんと欲していらっしゃる」とまでエスカレート。やがて崇徳サマの元に、側近の公家やいろんな不満分子&不平兵士が集結して、ついに「保元の乱」「平治の乱」に至る。

(崇徳上皇の霊を祀った安井金比羅宮。いろいろ怖い言い伝えもある)

 

 結果は後白河側が完全勝利、崇徳上皇は讃岐へ流される屈辱を味わう。流された先で熱心に写経して恭順の意を示すが、後白河どんは「こりゃきっと、強烈な呪いがかかってるよん」と受け取りを拒絶。讃岐に送り返してしまう。だって諸君、「写経は血液で書かれていた」という怪談まがいの伝説があるぐらいでござるよ。

 

 絶望した崇徳上皇は舌を噛んで自害をはかる。日本国を呪いつづける決意を、自らの血液で書き記した(と言ふ伝説になっている)し、その後は天狗になったとか、怨霊になったとか、どこまでもまことしやかな濃厚な呪詛話が続く。

 

 実際にその直後から、京の都にも政権内部にも、悲劇やら災害やらが頻発。大きな地震が来たり、疫病が発生したり、比叡山の僧兵が大挙して攻め降りてきたり、源平が激しく血で血を洗う戦乱を続けたり、大火が京の町の半分近くが焼け野原にしたり。後白河院の心もついに追い詰められ、怨霊を鎮める各種対策に励んだと言ふ。

(コワいお話に震えたあとは、「とんちんかん」のとん料理も悪くない)

 

 そういうコワーい伝説の崇徳上皇を祀った「安井金比羅宮」であるが、中に入ってみるとそれこそ一目で「シロート」と分かる人々が長蛇の列を作っている。ここは「悪縁を切る神社」であり、同時に「良縁を結ぶ神社」でもあって、老若を問わず女子のお詣りが特に多いようだ。

 

 高さは1.5メートル、幅が約3メートル。巨大な岩は、よく見ると絵馬の形をしている。中央に大人1名やっと通れるぐらいの穴が空いていて、マコトにありがたい神様のお力が、この円形の穴に注がれているのだという。

 

 悪縁切りや縁結びを願う人は、まず本殿に出向いて「身代わりのお札」をもらう。正式名称は「かたしろ」、漢字で書けば「形代」だ。縁切りでも良縁結びでも、スーパー深刻なものから、ごく他愛ないものまで、真剣でありさえすれば何でも構わない。お札にその願いをギュッと書き込むのである。

(近くには「六道の辻」。小野篁どんがあの世とこの世を往還していたあたりである)

 

 あとは長蛇の列に並んで、順番が来たらまずこちら側から向こう側に穴をくぐる。この時「願い事を念じながら」であることは論を待たない。向こう側に抜けた段階で、まずツラい悪縁がスパッと切れている。

 

 次はすかさず穴をこちら側に引き返す。またまた「願いを念じながら」であって、無事にこちら側に戻って来た段階で、今度は良縁が結ばれる可能性がグイッと高まっている。最後に「かたしろ」ないしお札を絵馬の形の巨大な岩に貼り付ければ、一連の穴くぐりは完了だ。

 

 諸君ももちろん気がついただろうが、穴を向こうにくぐり、その直後にこちらに向かってもう一度穴をくぐり直すのは、いったんあの世に旅をして、向き直ってこの世に帰還する「よもつひらさか往還」、漢字で書けば「黄泉比良坂往還」の物語なのだ。イザナギ&イザナミ神話を思ってもいいし、オルフェウスの物語を考えてもいい。

 (六道珍皇寺は、閻魔さまの臣・小野篁どんの旧跡である)

 

 臆病な今井君は「あの世に行ってみる」「死んだら、驚いた」みたいなのはあまりにもオッカナイし、穴の向こうで崇徳上皇の血文字の写経なんかがボンヤリ見えでもしたら、恐怖のあまり唖然&茫然として、この世に帰還するのを忘れそうだ。あくまで安全を優先して、穴くぐりを遠慮する。

 

 しかし諸君、ここから徒歩でほんの5分のところに「六道珍皇寺」というお寺があって、有名な小野篁という人が、この寺の井戸を通ってこの世とあの世を自在に行ったり来たりしたという伝説が、これもまたマコトシヤカに語り続けられている。

 

 この難しいお名前、「タカムラ」と発音するのである。閻魔大王の役人だった言われ、昼はこの世で朝廷に出仕し、夜は閻魔サマに仕えていたという奇怪千万な伝説がある。タカムラどん、全く眠くなかったのかね?

 

「今昔物語」その他にも出ている有名な話である。お寺の庭の奥に、タカムラどんが冥土通いに使用した井戸が残っている。「黄泉がえりの井戸」という。

 (というわけで、六道珍皇寺には賽の河原の光景が存在する)

 

「六道」とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の6つの世界。因果応報に応じて、この世の生き物は死後にこの6つのうちのどこかに輪廻転生する。お寺のある「六道の辻」は。この世とあの世を行ったり来たりするのにたいへん便利な場所なのであった。

 

 だから、死んじゃった人が冥界からこの付近に出現することだって頻繁に起こる。「死んだママが毎夜のように我が子のための飴を買いにやってきた」などという逸話があり、付近には実際に「幽霊飴」を売っているお店もある。「みなとや 幽霊子育飴本舗」である。

(京名物「幽霊子育飴」。看板がすでにコワい。今井君は7〜8年前に購入して食してみた)

 

 ママが埋葬されたのは1599年のこと。埋葬の数日後に土まんじゅうの中から子どもの泣き声が聞こえてきた。掘り返してみると、死んだママが男児を出産していた。男児は奇跡的に生きていた。

 

 毎夜毎夜、この店に飴を買いに来る女性がいた。しかし男児が土まんじゅうから助けられた後には、パッタリと買いに来なくなった。京の人々は「ママが幽霊になって飴を買いに来ていたんだ」と結論。「幽霊子育て飴」と呼び、男児は8歳で出家、やがて高僧に成長した。

 

 篁が行ったり来たりの話にしても、幽霊ママの話にしても、京の東の鳥辺野が遺体放置ないし風葬&鳥葬、または「野辺のおくり」に長く使用された土地だったからであり、中世から延々と冥土への入り口とされていたことから発生した。

  (あだし野の石碑。「西院乃河原」の文字が見えている)

 

 もちろんさすが京の都であって、同じような冥土への入り口は京都の北西にも存在する。京の東南部に位置する「六道の辻」と、京都御所を直線で結んでみよう。その直線をそのまま同じ距離だけ真っ直ぐ北西部まで伸ばせば、そこは奥嵯峨野、化野念仏寺である。

 

 懐かしい高校入試の数学でいえば、京都御所を中心に180°点対称の位置を求めると、東南にここまで述べて来た「六道の辻」、北西にこれから話の中心になる「化野念仏寺」および「愛宕念仏寺」が存在することになる。

 

 こんな長距離の点対称を電車やバスで移動するのはもちろんたいへんだから、怠惰な今井君はタクシーと言ふマホーのジュータンで奥嵯峨野に向かう。奥嵯峨野にも「賽の河原」があり、遺体を放置したり安置したりする風葬&鳥葬の場が連なっていた。

 

「賽の河原」は、六道の辻あたりにもあり、四条大宮と桂川に挟まれた西院あたりにもあり、実際に「西院の河原」と書いて「サイの河原」と発音する。阪急電車の駅は「西院」とかいて「さいいん」と読むが、嵐山電鉄では「西院」を今も「サイ」と発音している。

 

 だから11月下旬の今井君が、広島からの帰りにわざわざ大阪に立ち寄って見た人形浄瑠璃「桂川連理柵」でも、40歳の長右衛門と14歳の少女お半は、あえて桂川を死に場所に選択する。三途の川も、恐ろしい奪衣婆も、桂川ならすぐ近くで待っていてくれるのである。

(化野からさらに山中に分け入ると、愛宕寺がある。次回はこのお寺から話を始めたい)

 

 ただし、京都西院と「サイ」についての論考は、すでに今年の2月に書いた。「サイ」と発音する多くの漢字、例えば「賽」「塞」「際」「才」「西」「祭」「斎」「斉」「歳」「幸」「彩」「障」から、本来は「さいのかみ」と発音する道祖神まで、実はきわめて密接な関係が存在するのである。

 

 しかしその論考をここでまた繰り返すわけにもいかないだろう。この10年書きまくってきた文庫本200ページ分のブログ傑作論考の中でも、こいつは出色の出来栄えだ。

 

 次回の記事で「愛宕念仏寺」の紹介を読む前に、ぜひ諸君、「Wed 180117 」西院と書いて「さい」/サイのこと/京都の大盛況(関西満腹旅1)」をクリックして、しっかり予習しておいてくれたまえ。そのぐらいの価値は間違いなくある、きわめて価値の高い論考が待っているはずだ。

 

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