Wed 180117 西院と書いて「さい」/サイのこと/京都の大盛況(関西満腹旅1) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180117 西院と書いて「さい」/サイのこと/京都の大盛況(関西満腹旅1)

 2月6日、厳寒の京都でのお仕事は、京都駅前「キャンパスプラザ」が会場である。1年に2回平均でこの会場で公開授業をやっている。すっかりお馴染みさんというか、「勝手知ったる他人の我が家」という世界。昭和の頃なら「余裕のヨッちゃん」もいいところだけれども、緊張感がなさすぎるのもまた問題だ。

 

 主催は「京都・西院校」である。大阪梅田から阪急電車に乗って桂川を渡り、地下に入ってすぐのあたりに「西院」という駅がある。マコトに不思議な駅であって、阪急の駅は「西院」と書いて「さいいん」と読むが、京福・嵐山本線の駅は、全く同じ字なのに「さい」と発音する。

 

 修学旅行ないし学部の卒業旅行で京都にくることがあったら、若い諸君もぜひ嵐電「さい」駅を目撃しにきたまえ。別に若くなくてもいい、オジサマもオバサマもみんな寄っといで。漢字は「西院」なのに読み方は「さい」。おお、不思議じゃないか。駅名だけで十分インスタ映えしそうだ。

19452 平野屋

(京都・化野「平野屋」。夏は鮎、冬はいのししの店である)

 

 むかしむかし、ここに淳和天皇の離宮があって、「淳和院」と呼ばれた。この離宮が御所から見て西にあたるので、西院と呼ばれ、付近の地名にもなった。

 

 平安期、この一帯は東の鳥辺野と並ぶ風葬の場でもあった。桂川に流れ込む寂しい川の河原が存在し、西院の河原はやがて人々に「賽の河原」と呼ばれるようになった。「西院」が「さい」と発音されるようになった歴史はかくのごとしである。

 

 もちろん他にも説はいろいろあるようで、関心のある人はグイグイ文献にあたってみるといい。「学生の数だけ解答がある」「コドモの数だけ答えがある」「みんな違ってみんないい」であって、何しろ東京大学副学長のお墨付きだ(昨日の記事参照)。異説の存在は、素晴らしいことである。

19453 柚子

(最初に、ゆずの皮を蜜で煮たお菓子が出る。絶品でござったよ)

 

「西」という文字は「端」「はずれ」「外との接点」を暗示し、同時に人々の信仰の対象。「西方浄土」であり、「西行」に「西遊記」、昔の京都の西のハズレは「賽の河原」なのであった。諸君、ぜひ「サイ」という発音に注意してくれたまえ。

 

 例えば「際」という文字がある。「サイ」でもあるし「キワ」でもある。人間の生活圏のハズレを「際」という文字で表し、だから危険な言い回しを「際どい」と表現する。

 

 そのキワとキワとが交わると「交際」に発展する。1人の人間の生活圏と、もう1人の人間の生活圏が、まるで数学の集合の「交わり」の図みたいに重なり合うと、その状況を「交際」と呼ぶわけである。

 

 それがある国のキワともう一国のキワとの重なりにも応用されれば「国際」。国際関係とか国際経済とか国際政治という概念が発生する。グロチウスは「国際法の父」。フェルメールの故郷デルフトにデカイ銅像が立っているが、まあグロチウスの時代に、国と国のキワが頻繁に重なり合うような世界になっちゃったのだ。

 

 20世紀になって、学問と学問のキワとキワが盛んに重なり合い、学者さんたちには気難しい人が多かったから、最初はお互いに激しく反発しあっていたけれども、いやはや、いつまでもプンプンいがみ合ってばかりもいられないから、「学際的」とか「学際研究」とかに発展した。

 

 さすが「みんな違ってみんないい」「コドモの数だけ答えがある」の東京大学なんかは、「学際」ではなくて「学環」と呼ぶのがお好き。キワとキワが重なり合うんじゃ、なんだかキワモノな感じがしてイヤ。「つながりあって、みんなで輪っかになろう」ということなのかもしれない。

19454 鹿肉

(ぼたん鍋だが、最初に鹿の肉を投入する)

 

 さて、町でも村でも集落でも、そのハズレに近づくと神様が待っている。「ここから先は異界でござるよ」と神様が警告してくれるのかもしれない。「ここから先に進むなら、異界に入る覚悟をせにゃならん」。この神様を「塞の神」といい、「サイの神」と発音する。

 

 同じ神を「道祖神」とも呼ぶ。奥の細道の最初のページを読んだことがあれば、「予もいづれの年よりか(中略)漂泊の思ひやまず(中略)春立てる霞の空に白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」という松尾芭蕉の述懐を知っているはずだ。

 

 その道祖神こそ、「塞の神」なのである。「賽の神」「障の神」「岐の神」「幸の神」とも書き、村はずれ・町はずれ・三叉路や街道の四辻に祀られている。今昔物語集中の説話では「道祖神」と書いて思い切り「さいのかみ」と読ませている。

 

 賽の河原とは、この世とあの世の境であって、この世のキワとあの世のキワが重なり合う場所である。だから「サイの河原」。サイコロというものも、確実性の世界と不確実性の世界が接するキワモノの概念を、数学的に抽象した六面体である。

 

 せっかく「六面体」などと難しそうに気取っていると、Mac君が出現して「六明太」などと変換してくれるが、諸君、その他にも「サイ」と発音する単語を思い浮かべてみると、「斎場」「祭礼」「才能」「異彩」「歳末」など、いま我々がいる場所と、その向こうにある不思議な異界の接点をなすような言葉が次々と現れる。

19455 猪肉

(ぼたん鍋のいのしし肉。ぼたんの花のようである)

 

 京都西院校が主催してくれた公開授業で熱く喋りまくりつつ、今井君の脳細胞の一部は「さいいん」と「さい」の違いのことからどこまでも発展して、とどまるところを知らない。

 

 出席者160名。京都の高校生ばかりか、滋賀県からの参加者も多い。選抜高校野球に出場が決まったばかりのスーパー名門・膳所高校の生徒諸君が最も多い。膳所の駅から東海道線の電車で20分、こんな寒さをものともせずに京都に駆けつけてくれた。

 

 さらに琵琶湖の東を回って、なんと彦根とか長浜から参加した諸君もいた。こうなると、何しろ北陸は大雪だ、「長浜までチャンと電車は動くのか」「無事に帰れるのか」が心配だ。

 

 だってついさっき、今井君が大阪から京都まで乗ってきた敦賀ゆきの新快速では「北陸地方大雪のため、本日に限り『米原ゆき』に変更いたします」と車内放送が繰り返されていた。

 

 公開授業が大いに盛り上がるのは構わないが、「帰れない生徒が出る」という事態だけは絶対に避けなければならない。使用した「C」テキストを時間通りにスカッと締めくくって、今井君も走って懇親会の店に向かったのである。

 

 懇親会は祇園の南側。マコトに雰囲気のいい高級店「みずおか」で、「いかにも京都」な和食をいただいた。どの料理も、どの日本酒も、たいへんおいしゅーございました。

 

 スタッフ4人との熱い会話も楽しかったけれども、今井君自身も帰り道が心配。だって大阪に戻るのだ。午前0時、お店の人にMKタクシーを呼んでもらって、授業もスカッと&飲み会もスカッと、全て颯爽と切り上げる晩ということにした。

19456 猪鍋

(ひたすら肉を貪って、夜の授業への体力を整える)

 

 さて、「では今日の写真5枚はなーに?」なのであるが、これは翌日訪れた京都の店の思い出である。京都嵐山からタクシーに乗って、化野の奥の超老舗「平野屋」で、昼食にイノシシ鍋を貪った。

 

 嵐山から化野までクルマに乗れば、車窓からたっぷり嵐山観光を楽しめる。渡月橋・天龍寺・野々宮神社・竹林・二尊院・清凉寺・化野念仏寺。目指す平野屋は、その先の緩い坂道をしばらく行った先にある。

 

 実は昨年の夏も、ワタクシはこの店を訪れた。本業は「鮎の店」であり、看板にも「あゆよろし」と風流な文字で書かれている。鮎のない季節には、豪快なイノシシ鍋が食べられる。

 

 京都もここまで登ってくれば、庭には聞いたこともないような鳥の声が響き、店の人の話では、庭の垣根まで猿たちもやってくるんだという。どうやらこのあたりも、観光客の世界と自然の世界のサイなのかもしれない。

 

1E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 3/18

2E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 4/18

3E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 5/18

4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 6/18

5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 7/18

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