Tue 180306 桜と憂鬱/ボンダイビーチ/臀部のドラ焼き(またシドニーの12月 17)
3月29日・30日・31日とは、そういう日々なのである。高校を卒業して、大学の入学式が迫る。大学を卒業して、入社式が刻一刻と迫ってくる。特に入社式の方は容赦がなくて、4月1日には絶対にやってくる。そりゃ深い溜め息が漏れて当たり前だ。
と思ってカレンダーを眺めて見たら諸君、今年の4月1日は日曜日だ。「おお、1日助かった」であって、「これから退職の日まで30年も40年も、毎日必ず6時起き → 9時出社」、そういうベターッと変化のない人生の開始に、ほんの24
時間の猶予が与えられたようである。
もっとも猶予はたった24時間。「そんな中途半端な猶予なら、ない方がよかった」。3月末の日本のこの異様な暑さ&暖かさも同じことだ。どうせなら、新生活の始まりはギュッと冷え込んでくれたほうがいい。
(シドニーの荒海。鳥たちも飛び込むのに躊躇する)
昭和の昔から、新入社員の初仕事は「職場の花見の場所取り」と相場が決まっていた。それなのにこの暑さじゃ、東京の桜はもうすぐ花吹雪になっちゃう。
職場の花見はとっくに終わって、場所取り役の必要はナシ。緊張感も暑さで萎えて、ちっとも仕事のない新入社員はデスクで頬づえでもついているしかない。
大学の新入生にとっても、「満開の桜の下で入学式」「満開の桜を眺めながら新生活スタート」の華々しさは、もう望めなくなっちゃった。花吹雪的新生活の開始、葉桜的新生活スタート。何やら気合が入らない。「ボッテリ重たい八重桜の下で入学式」というのも、暑苦しいことこの上ない。
だからそのぶん諸君、3月末の不安や躊躇を、もっともっと楽しみたまえ。噛めば噛むほど味があるはずだ。高校でやり残したこと、大学でやり残したこと、それに対する深い後悔を、奥歯でギュッコギュッコ噛みしめたまえ。苦い汁が滲み出てきて、これほど味わい深い苦さは考えられない。
「やり残したことは、いつになったら出来るんだろう?」であって、その答えは「今」どころか、おそらくチャンスは2度と来ないのである。やり残した夢をどうするのか。完全に捨てちゃうか、それとも趣味として細々と続けるのか。
(シドニー、マッケンジー岬付近の荒波。こりゃ躊躇もしますな)
もっとも、そういう後悔や躊躇は、新生活のスタート時だけに限ったことではない。ある程度の年齢を過ぎれば誰でも気づくことであるが、要するにその種の憂鬱と躊躇は常にそこに存在するのである。
別に環境が大きく変わらなくても、新しいことに飛び込むのはコワい。長年の夢をいつ捨てるか、やりかけの人生をどう処分するのか。中途半端に細々と続けるか。続けるとして、それは粘り強い執念なのか、それともただの優柔不断か。いやはや、人生は難しい。
昔から今井君はたいへん軽薄で、しかも粘り強さの欠如したサトイモであったから、そういう悩みはたちまち軽挙妄動に直結した。「ええい、ヤメちゃえ」であって、ヤメて新天地を求め、幸いなことにほとんどの新天地で大成功を収め続けた。
しかし考えてみれば、10歳代に「こうなりたい」とオボロゲに思い描いていたのとは、全く次元の違う成功であって、「10で神童、15で才子、20過ぎればタダの人」というヤツである。いやはや、いやはや、いやはやや。
(ボンダイビーチ名物、海水プールも閑散としていた)
諸君、こういういふうだから、海なんか見て午後を過ごしちゃいけないのだ。海を眺めていていいのは、朝か夕方。いざとなれば昭和の青春ドラマみたいに「バカヤロー」と叫んで、海に向かって石の4つか5つでも投げれば、憂鬱も躊躇もみんな吹っ切れる。
しかし午前10時から午後4時の時間帯、海を見ているのはマコトに危険なのである。憂鬱に満たされ、重い敗北感に愕然とする。アナログ時計のお顔を眺めているのも危険。永遠とか悠久を意識する気だるい午後は、いけません。普通の人間が覗き込んではいけない黒い深淵というものが存在するのである。
(マッケンジー岬付近で、果敢なサーファー諸君に声援をおくる)
というわけで、12月26日の今井君は午後の過ごし方に失敗したのである。13時半まで、ヨットレースを見ようとワトソンズ・ベイの岬にいた。そこでカメムシどんとの激戦を制し(スミマセン、昨日の続きです)、しかしヨットレースはあっけなく遥かかなたに去っていった。
すると、岬はあっという間に閑散としていく。「祭りの後」の寂寥、イベントの後の哀愁、熱く盛り上がった後の喪失感は深い。シドニーの人々はみんなマコトに悲しそうだ。だってこのヨットレースの興奮、来年のこの日まで味わい直すことはできないのだ。
(シドニー市庁舎前のクリスマスツリー 1)
だからみんな、次の興奮を求めてボンダイビーチを目指す。気温は18℃だけれど、海水浴をしてもいい。18℃の海水に飛び込む勇気がなければ、他人の海水浴を眺めて歓声を上げればいい。みんなたいへん無責任に、超満員のバスで30分、ボンダイビーチに向かったのである。
ところが諸君、この波の高さ&激しさは何なんだ? 水に飛び込む勇気なんか、とても湧き上がってくるはずがない。冷たい波をみているだけで、命の危険を如実に感じるのである。
ビーチに設けられた「海水プール」でさえ、閑散としているのである。海水をそのままプールに取り入れる形式だから、確かに塩辛いけれど波は皆無。ならばみんなが「ドブーン」とやるかというに、泳いでいる2〜3人が悲しい笑いの対象にされている状況である。
(シドニー市庁舎前のクリスマスツリー 2)
ほとんどの人が、ビーチウォーキングを選択。巨岩を噛む白く激しい波を左手に眺めつつ、恐る恐る高台のマッケンジー岬まで歩くのである。波しぶきを浴びて歓声をあげながら、でも表情はみんな寂しそうだ。
寄せては返す波を眺めて、悠久と永遠と自らの矮小を感じたりするのは、とにかくいけないのだ。今にも雨の降り出しそうな重い曇天の下、大人気だったのは、小鳥を捕まえ損なった幼い野良ネコである。
もう誰も海なんか見たくない。ひたすらドジな野良ネコにカメラを向けて、悠久より永遠より、今日のインスタ映えとフォロワー数の計算に夢中になるのであった。
こうして考えてみると、昨年のボンダイビーチは幸せに溢れていた。やっぱり諸君、夏は青空がいいのだ。陽光と明るい歓声に満ち溢れているのがいいのだ。
試しに、2016年12月のボンダイビーチについて、今井君の記事をクリックしてみてくれたまえ。「Sun 170108 Xmasのボンダイビーチ/サンタ帽が目立つ(シドニー夏のクリスマス16)」。気温と日照と、お空と海の色1つで、どんなに気分が変わるものか、実感できるはずだ。
(晩飯はまたまたチキンの丸焼き。だって旨いんだからいいじゃないか)
こうして2017年12月の今井君は、ボンダイビーチからもスゴスゴ退散。ワトソンズ・ベイのカメムシ君も打撃だったが、ボンダイビーチの閑散ぶりも同様に重い打撃だった。
ホテルに帰った今井君は、旅の初日に電車の中で負った臀部の打撲傷がさらに悪化。右の臀部にドラ焼き大のコブが形成され、日を追うごとにドラ焼きが大きくなっていくようである。
痛くはないが、重くこわばるのである。こりゃ致し方ない。クリスマスツリーを眺めた市役所前広場付近のスーパーで、またまたチキンの丸焼きを購入。1時間かけてゆっくり噛みしめつつ、今夜もまた13人制ラグビー中継を眺めて過ごすことになった。
1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 1/9
2E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 2/9
3E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 3/9
4E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 4/9
5E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 5/9
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