Mon 171023 赤本のこと/津和野の日本三大稲荷/津和野盆地を蒸気機関車が通過する
自転車で津和野を回るには、まず西周(あまね)と森鴎外の生家を見て、次に「日本三大稲荷」のうちの一つ「太鼓谷稲荷」に参拝し、ついでにイナリ寿司をワシワシ貪るのが定番ルートである。「いかにも小京都」な雰囲気の旧市街は、自転車を返却してからのんびり散策すればいい。
西あまねの生家から、清流に沿って町外れまで走り、「道の駅」に出たら清流沿いに引き返す。往路15分、復路15分、久しぶりの自転車でも、秋風はマコトに爽快である。
ワタクシは秋田県立秋田高校の出身であるが、当時の自宅から高校まで、自転車で片道45分ほどの道のり。電車通学も出来るし、秋田駅から高校までバスも利用できるが、若き今井君は高校合格直後に「3年間、雨の日も雪の日も自転車で通おう」と決意した。
だから毎日往復1時間半、ひたすらペダルを踏んだ。今でもアンヨに自信があるのは、あの3年間のおかげである。雨が降れば合羽を着たし、雪の日は「ブレーキをかけると強烈にスリップする」という甚だ危険な日々が続いた。
![SL1](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/39/19/j/o0400030014070971177.jpg?caw=800)
(津和野盆地をSLがゆく 1)
猛吹雪の真っただ中を、自転車で駆け抜けるのである。向かい風の時は前なんか見ていられないし、追い風の日は我が肉体が帆船の膨らんだ帆のように機能して、物凄いスピードが出た。しかも地吹雪の中、「ブレーキをかけられない」という条件付きである。
もちろん、良い子の皆さまには決してオススメできない。というか、絶対に止めたまえ。マネなんかしてはなりませんぞ。あれは、昔々の昭和の時代に、英語の授業で「いいか、こなれた日本語に訳さないと減点だゾ」というセリフが飛び交っていた時代だからこそ許された行動なのだ。
日本海側の吹雪というものは、諸君、真横から雪が吹き付けてくるのである。ホントに真横から大量の雪がぶつかってくる。秋田の季節風は西から吹いてくるから、南に向かって自転車をこぐと、肉体の右側だけが雪まみれになる。北に向かって駆け抜ければ、肉体の左側が雪にまみれる。
だから高校に到着する頃には、今井君は半月みたいになっている。朝は上弦の月、帰りは下弦の月。お顔の真ん中あたりで、ウサギさんの餅つきが始まりそうなありさまだった。
![SL2](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/f2/f4/j/o0400030014070971179.jpg?caw=800)
(津和野盆地をSLがゆく 2)
以上が、自転車にまつわる懐かしい思い出である。いま津和野の清流に沿って爽快にペダルを踏めば、決して雪だるまにも半月にもならないが、記憶は一気に高校時代に溯っていく。高3の11月、カバンにはそろそろ赤本が入っていた。
若き今井君が受験勉強を始めたのは、高3の11月だったから、驚くなかれワタクシは、単語集も参考書も問題集も、何もかも吹っとばして、いきなり赤本から入ったのだ。模擬試験もすっとばしたので、11月3日の駿台模試を1回受験しただけである。
その赤本だって、オカネを出すのはもったいないから、「東大文科」と「早稲田政経」の2冊しか買わなかった。というか、「赤本を買うぞ!!」と張り切って本屋さんに出かけ、どういうわけかペーパーバックスの原書を3冊買い、参考書コーナーからは手ぶらでスゴスゴ引き上げてきたりした。
そのとき購入したのが、カポーティとクリスティとグレアム・グリーンだったというのだから恐れ入るが、それでも11月下旬には赤本2冊を手に入れて、一応ペラペラめくってはみたのである。
そしてその感想が「何だ、そんなに難しくないや」「これなら合格できそうだ」というんだから、おそれ入谷の鬼子母神、「こんなにカンタンなら、年末までペーパーバックスの原書を読んでてもいいや」とまで豪語した。
この時期になると、むかし書いたブログの中で必ずPV数の急上昇する記事がある。「Fri 081010 赤本には間違いが多いという噂で悩むな 過去問の正解で右往左往するな」である。赤本をやり始めて、ショックを受ける諸君がシコタマ多い証拠だと思う。
中身については、是非クリックして読んでもらったほうがいい。「赤本には間違いが多い」というウワサに悩んだり、実力との大きな乖離に衝撃を受けたり、この時期に多発する悩みの数々に、我ながらマコトに見事に答えていると感動するほどだ。
![参道](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/a6/c6/j/o0400030014070971694.jpg?caw=800)
(津和野、太鼓谷稲荷神社への参道)
さて、「恐れ入谷の」ならば鬼子母神であるが、自転車で津和野を回っている場合には、鬼子母神ではなくて「お稲荷さん」を訪ねなければならない。何しろ「日本三大稲荷」のうちの1つだ。ここをパスしたんじゃ、津和野を旅したことにならない。西あまねちゃんや鴎外どんに叱られる。
「3大」ということになると、誰だって「他の2つはどことどこ?」という好奇心がムクムクするに決まっている。しかし諸君、さすがに「伏見稲荷」を外す人はいないにしても、自ら「3大」「5大」を称するお稲荷さんが、約15社はあるらしいのだ。東から西に並べてみると、以下のようになる。
志和稲荷(岩手県紫波郡)
竹駒神社(宮城県岩沼市)
福島稲荷(福島県福島市)
笠間稲荷(茨城県笠間市)
箭弓稲荷(埼玉県東松山市)
鼻顔稲荷(長野県佐久市)
豊川稲荷(愛知県豊川市)
千代保稲荷(岐阜県海津市)
源九郎稲荷(奈良県大和郡山市)
瓢箪山稲荷(大阪府東大阪市)
玉造稲荷(大阪市中央区玉造)
最上稲荷(岡山県岡山市)
草戸稲荷(広島県福山市)
太鼓谷稲成(島根県津和野町)
祐徳稲荷(佐賀県鹿島市)
高橋稲荷(熊本県熊本市)
まさに「おお、すげーな」であって、「ボクは3大の1つ」「うちは5大の中の1社」と主張するお稲荷さんは、他にもまだまだいろいろあるんじゃないか。
ワタクシは間違いなく20世紀終末期の「代ゼミ4天王」の1人であって、最近もどこかの業界雑誌の中で、「予備校の歴史」みたいな記事に、実名で登場しているらしいのである。ほめてもらっているらしい。
「おお、オレもとうとう歴史の一部分になっちゃった」であって、感慨はそれなりに深い。今やすっかり色あせた「代ゼミ4天王」であるが、やっぱり「3」「4」「5」の中に入れてもらえるのは、誰でも嬉しいものらしい。
![太皷谷稲成](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/f0/27/j/o0400030014070971695.jpg?caw=800)
(太鼓谷稲荷は、日本三大稲荷の1つである)
しかも津和野の太鼓谷は、「稲荷」が「稲成」の文字になっていることもある。さすがにここは島根県、出雲大社も至近であって、神さびた雰囲気も他とは別格のように感じる。
11月の夕暮れ、だんだん冷え込んでくる空気を爽快に感じつつ、人影のマバラな険しい参道を約10分、無数の鳥居をくぐりながらゆっくりと登っていく。秋田高校正門への険しい坂道を、ふと思い出したりする。
そして神社の前の広場からは、のどかな津和野の町を丸ごと一望できるのである。山があり、川があり、小京都の町並みがあって、足許には島根県立津和野高校の校舎とグラウンドがある。野球部の諸君は日曜の練習を終え、黙々とグラウンド整備に励んでいた。
![SL3](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/37/17/j/o0400030014070971698.jpg?caw=800)
(津和野盆地をSLがゆく 3)
そしてこの高台から、川沿いをゆく蒸気機関車の勇姿が眺められる。さっきワタクシが新山口から乗ってきた列車が、終点の津和野で折り返す。到着から約2時間半。津和野発15時45分、夕暮れの山道を新山口まで戻るのである。
だからお稲荷さんの高台は、テツの皆様のお写真スポットになっているらしい。プロ級のカメラ、プロ級の三脚、プロ級の鋭い視線と身のこなし、なかなか強烈なオジサマたちが、おそらく何時間も前から場所取りをして、じっとカメラの前で待ち構えている。
そういう錚々たるプロテツに混じって、今井君もデジタルコンパクトカメラ(死語)を片手にかまえた。時計は15時40分。晩秋の陽を浴びて、津和野盆地がオレンジ色に染まっていく。向かい側の山の紅葉が日を浴びて、マコトに鮮やかな赤と黄色が映える。
![余韻](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/7e/93/j/o0400030014070971699.jpg?caw=800)
(津和野盆地にケムリが残る)
やがて津和野駅の方角から、長く深い発車の汽笛が響いてくる。一気に活気づくプロテツのオジサマたち。谷間から稲荷の高台まで響きわたる列車の轟音。そして眼下の鉄橋に、C57の勇姿が現れる。黒い煙が噴き上がり、機関車の足許には白い蒸気が激しく噴き出して、5両の客車を豪快に牽引していく。
いやはや、これほど感動的なテツ風景があるだろうか。秋の夕暮れの津和野盆地の空に、機関車の残した黒い煙がいつまでも漂って、列車が遥かなトンネルに消えた後も、なかなか立ち去りがたい余韻が支配する。
鴎外どんも西あまねどんも、かつてこの轟音に耳を澄ませ、煙のカホリにお鼻をヒクヒクさせ、そうやって「単なる暗記とは違うホンモノの思考力」を磨き続けたのかもしれない(スミマセン、昨日の続きなのでした)。
1E(Cd) Münchinger & Stuttgart Chamber:BACH/MUSICAL OFFERING
2E(Cd) Hilary Hahn:BACH/PARTITAS Nos.2&3 SONATA No.3
3E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 1/2
6D(DMv) THE ICEMAN
total m138 y2055 d22001
西あまねの生家から、清流に沿って町外れまで走り、「道の駅」に出たら清流沿いに引き返す。往路15分、復路15分、久しぶりの自転車でも、秋風はマコトに爽快である。
ワタクシは秋田県立秋田高校の出身であるが、当時の自宅から高校まで、自転車で片道45分ほどの道のり。電車通学も出来るし、秋田駅から高校までバスも利用できるが、若き今井君は高校合格直後に「3年間、雨の日も雪の日も自転車で通おう」と決意した。
だから毎日往復1時間半、ひたすらペダルを踏んだ。今でもアンヨに自信があるのは、あの3年間のおかげである。雨が降れば合羽を着たし、雪の日は「ブレーキをかけると強烈にスリップする」という甚だ危険な日々が続いた。
![SL1](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/39/19/j/o0400030014070971177.jpg?caw=800)
(津和野盆地をSLがゆく 1)
猛吹雪の真っただ中を、自転車で駆け抜けるのである。向かい風の時は前なんか見ていられないし、追い風の日は我が肉体が帆船の膨らんだ帆のように機能して、物凄いスピードが出た。しかも地吹雪の中、「ブレーキをかけられない」という条件付きである。
もちろん、良い子の皆さまには決してオススメできない。というか、絶対に止めたまえ。マネなんかしてはなりませんぞ。あれは、昔々の昭和の時代に、英語の授業で「いいか、こなれた日本語に訳さないと減点だゾ」というセリフが飛び交っていた時代だからこそ許された行動なのだ。
日本海側の吹雪というものは、諸君、真横から雪が吹き付けてくるのである。ホントに真横から大量の雪がぶつかってくる。秋田の季節風は西から吹いてくるから、南に向かって自転車をこぐと、肉体の右側だけが雪まみれになる。北に向かって駆け抜ければ、肉体の左側が雪にまみれる。
だから高校に到着する頃には、今井君は半月みたいになっている。朝は上弦の月、帰りは下弦の月。お顔の真ん中あたりで、ウサギさんの餅つきが始まりそうなありさまだった。
![SL2](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/f2/f4/j/o0400030014070971179.jpg?caw=800)
(津和野盆地をSLがゆく 2)
以上が、自転車にまつわる懐かしい思い出である。いま津和野の清流に沿って爽快にペダルを踏めば、決して雪だるまにも半月にもならないが、記憶は一気に高校時代に溯っていく。高3の11月、カバンにはそろそろ赤本が入っていた。
若き今井君が受験勉強を始めたのは、高3の11月だったから、驚くなかれワタクシは、単語集も参考書も問題集も、何もかも吹っとばして、いきなり赤本から入ったのだ。模擬試験もすっとばしたので、11月3日の駿台模試を1回受験しただけである。
その赤本だって、オカネを出すのはもったいないから、「東大文科」と「早稲田政経」の2冊しか買わなかった。というか、「赤本を買うぞ!!」と張り切って本屋さんに出かけ、どういうわけかペーパーバックスの原書を3冊買い、参考書コーナーからは手ぶらでスゴスゴ引き上げてきたりした。
そのとき購入したのが、カポーティとクリスティとグレアム・グリーンだったというのだから恐れ入るが、それでも11月下旬には赤本2冊を手に入れて、一応ペラペラめくってはみたのである。
そしてその感想が「何だ、そんなに難しくないや」「これなら合格できそうだ」というんだから、おそれ入谷の鬼子母神、「こんなにカンタンなら、年末までペーパーバックスの原書を読んでてもいいや」とまで豪語した。
この時期になると、むかし書いたブログの中で必ずPV数の急上昇する記事がある。「Fri 081010 赤本には間違いが多いという噂で悩むな 過去問の正解で右往左往するな」である。赤本をやり始めて、ショックを受ける諸君がシコタマ多い証拠だと思う。
中身については、是非クリックして読んでもらったほうがいい。「赤本には間違いが多い」というウワサに悩んだり、実力との大きな乖離に衝撃を受けたり、この時期に多発する悩みの数々に、我ながらマコトに見事に答えていると感動するほどだ。
![参道](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/a6/c6/j/o0400030014070971694.jpg?caw=800)
(津和野、太鼓谷稲荷神社への参道)
さて、「恐れ入谷の」ならば鬼子母神であるが、自転車で津和野を回っている場合には、鬼子母神ではなくて「お稲荷さん」を訪ねなければならない。何しろ「日本三大稲荷」のうちの1つだ。ここをパスしたんじゃ、津和野を旅したことにならない。西あまねちゃんや鴎外どんに叱られる。
「3大」ということになると、誰だって「他の2つはどことどこ?」という好奇心がムクムクするに決まっている。しかし諸君、さすがに「伏見稲荷」を外す人はいないにしても、自ら「3大」「5大」を称するお稲荷さんが、約15社はあるらしいのだ。東から西に並べてみると、以下のようになる。
志和稲荷(岩手県紫波郡)
竹駒神社(宮城県岩沼市)
福島稲荷(福島県福島市)
笠間稲荷(茨城県笠間市)
箭弓稲荷(埼玉県東松山市)
鼻顔稲荷(長野県佐久市)
豊川稲荷(愛知県豊川市)
千代保稲荷(岐阜県海津市)
源九郎稲荷(奈良県大和郡山市)
瓢箪山稲荷(大阪府東大阪市)
玉造稲荷(大阪市中央区玉造)
最上稲荷(岡山県岡山市)
草戸稲荷(広島県福山市)
太鼓谷稲成(島根県津和野町)
祐徳稲荷(佐賀県鹿島市)
高橋稲荷(熊本県熊本市)
まさに「おお、すげーな」であって、「ボクは3大の1つ」「うちは5大の中の1社」と主張するお稲荷さんは、他にもまだまだいろいろあるんじゃないか。
ワタクシは間違いなく20世紀終末期の「代ゼミ4天王」の1人であって、最近もどこかの業界雑誌の中で、「予備校の歴史」みたいな記事に、実名で登場しているらしいのである。ほめてもらっているらしい。
「おお、オレもとうとう歴史の一部分になっちゃった」であって、感慨はそれなりに深い。今やすっかり色あせた「代ゼミ4天王」であるが、やっぱり「3」「4」「5」の中に入れてもらえるのは、誰でも嬉しいものらしい。
![太皷谷稲成](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/f0/27/j/o0400030014070971695.jpg?caw=800)
(太鼓谷稲荷は、日本三大稲荷の1つである)
しかも津和野の太鼓谷は、「稲荷」が「稲成」の文字になっていることもある。さすがにここは島根県、出雲大社も至近であって、神さびた雰囲気も他とは別格のように感じる。
11月の夕暮れ、だんだん冷え込んでくる空気を爽快に感じつつ、人影のマバラな険しい参道を約10分、無数の鳥居をくぐりながらゆっくりと登っていく。秋田高校正門への険しい坂道を、ふと思い出したりする。
そして神社の前の広場からは、のどかな津和野の町を丸ごと一望できるのである。山があり、川があり、小京都の町並みがあって、足許には島根県立津和野高校の校舎とグラウンドがある。野球部の諸君は日曜の練習を終え、黙々とグラウンド整備に励んでいた。
![SL3](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/37/17/j/o0400030014070971698.jpg?caw=800)
(津和野盆地をSLがゆく 3)
そしてこの高台から、川沿いをゆく蒸気機関車の勇姿が眺められる。さっきワタクシが新山口から乗ってきた列車が、終点の津和野で折り返す。到着から約2時間半。津和野発15時45分、夕暮れの山道を新山口まで戻るのである。
だからお稲荷さんの高台は、テツの皆様のお写真スポットになっているらしい。プロ級のカメラ、プロ級の三脚、プロ級の鋭い視線と身のこなし、なかなか強烈なオジサマたちが、おそらく何時間も前から場所取りをして、じっとカメラの前で待ち構えている。
そういう錚々たるプロテツに混じって、今井君もデジタルコンパクトカメラ(死語)を片手にかまえた。時計は15時40分。晩秋の陽を浴びて、津和野盆地がオレンジ色に染まっていく。向かい側の山の紅葉が日を浴びて、マコトに鮮やかな赤と黄色が映える。
![余韻](https://stat.ameba.jp/user_images/20171115/15/imai-hiroshi/7e/93/j/o0400030014070971699.jpg?caw=800)
(津和野盆地にケムリが残る)
やがて津和野駅の方角から、長く深い発車の汽笛が響いてくる。一気に活気づくプロテツのオジサマたち。谷間から稲荷の高台まで響きわたる列車の轟音。そして眼下の鉄橋に、C57の勇姿が現れる。黒い煙が噴き上がり、機関車の足許には白い蒸気が激しく噴き出して、5両の客車を豪快に牽引していく。
いやはや、これほど感動的なテツ風景があるだろうか。秋の夕暮れの津和野盆地の空に、機関車の残した黒い煙がいつまでも漂って、列車が遥かなトンネルに消えた後も、なかなか立ち去りがたい余韻が支配する。
鴎外どんも西あまねどんも、かつてこの轟音に耳を澄ませ、煙のカホリにお鼻をヒクヒクさせ、そうやって「単なる暗記とは違うホンモノの思考力」を磨き続けたのかもしれない(スミマセン、昨日の続きなのでした)。
1E(Cd) Münchinger & Stuttgart Chamber:BACH/MUSICAL OFFERING
2E(Cd) Hilary Hahn:BACH/PARTITAS Nos.2&3 SONATA No.3
3E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 1/2
6D(DMv) THE ICEMAN
total m138 y2055 d22001