Fri 081010 赤本には間違いが多いという噂で悩むな 過去問の正解で右往左往するな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081010 赤本には間違いが多いという噂で悩むな 過去問の正解で右往左往するな

 1週間前に赤本のことについて触れたが(081003参照)、この時期になると「赤本には間違いが多いと聞いたが、信用してもいいのか」と質問に訪れる生徒が増える。

 予備校の講師などで、ちょっとした思いつきをベラベラ喋ってしまうような軽率なヒト(私自身その一人かもしれないが)がいて、「赤本には間違いが多い」と授業中の雑談で話したのが、いつの間にか都市伝説のようになってしまったのだろう。

 講師が授業中に「赤本に間違いを発見したぞ」などと発言すると、生徒が一斉にこっちを向く。後ろのほうでケータイでメールしているような生徒でも「間違い発見」情報にはきわめて敏感なものである。

 あまり人気がなくて、雑談をしても全く笑いを取れない、質問に訪れる生徒もほとんどなし、そういう先生にとっては、この瞬間は至福のものだろう。ついつい調子に乗って「間違いを発見した」は「間違いが多い」に変わり、やがて「間違いだらけだ」になってしまったとしても、そこに情状酌量の余地がないこともないのだ。

 「赤本は大学生が書いている」などという都市伝説もあるようだが、いやしくもキチンとした出版社ともあろうものが、そんな無責任なことをすることはありえない。

 おそらく原稿を依頼された若手の予備校講師あたりが、忙しさのあまり顔見知りの学部生に原稿の下書きか何かを依頼し(そういう困ったことをする人がいないこともないのだ)、その学部生が調子に乗って「オレが書いたんだ」「私が書いたのよ」の類いのバカ話をしたのが、都市伝説の火元と思われる。

 万が一そういうことがあったとしても、出版社の側で2重にも3重にもチェックして、余りにもだらしない原稿が続く先生には翌年から依頼しなくなるから、読者がこういう伝説を信じて心配している必要はないのである。

 

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(写真上:語り合うニャゴ姉さんとナデシコ)


 確かに、赤本の正解例の中には、ごく稀に明らかに誤っていると思われるものがないわけではない。しかしその出現の頻度は非常に低いのであって、青本でもグリーン本でもその他予備校の出している解答例でも同じような頻度で誤りと思われるものはある。

 一つの問題に対する解答が(それが選択肢問題であっても)各出版社・各予備校で異なることもよくあるが、その時とりわけ赤本だけが間違っているわけではないのである。

 しかも間違っている場合、あるいは出版社間・予備校間で解答が食いちがっている場合、むしろ大学の出題者の側に問題がある場合が多い。出題の意図が曖昧だったり、選択肢の作り方が杜撰だったりして、正解にいろいろな見解が出ても仕方のない問題が多いのだ。

 しかもそういう質の低い難問(難問とは、質の低い問題のことである)は、受験生の立場としては、解けても解けなくても合格不合格には影響しない「どうでもいい問題」であって、そんな問題で悩んで時間を無駄にすることは、決して得策ではないのである。


 受験生としては、赤本のようなものの解答にはごく低い確率で間違いが含まれているけれども、それはその他の出版物でも同じことだと認識することが大事である。

 疑ってかかれば、どんな書物だって間違いを含むのであって、絶対無謬の書物など全世界に一つとして存在しない。入試問題5年分に1~2箇所ぐらいの割合で見つかるかもしれない間違いぐらいは、充分に許容限度内である。

 しかも、極端なことを言えば、過去問題集の解答なんか実はどうだっていいのだ。その問題は、あくまで過去の問題であって、自分が受験する年には、もう決して出題されることはない。

 キワメツキの出題可能性ゼロであって、絶対出る可能性のない問題の解答なんか、実際にどうでもいいはずだ。その問題の解答が合っているか間違っているか、あっちの出版社が正しいかこっちの予備校が正しいか、そういうことで右往左往しているのは全く意味のない時間の無駄である。

 

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(写真上:時事問題の好きなナデシコ。裁判員制度について考える)


 他教科のことはよくわからないが、数学とか物理とかで「赤本の解き方はダサイ」「解き方がイモだ」などという批判もよく耳にする。

 しかし「ダサイ」「イモだ」というのは、逆に考えれば褒め言葉にもなるのであって、つまり誰でも無理せず同じように解けるオーソドックスな解き方なのである。余りにも鮮やかで、とてもマネの出来ないようなスマートな解き方などというものは、実際の試験の場では自分で使えないのだから読んでも何にもならない。

 そもそも学部入試のレベルの問題で、いちいち「感動した」だの「目からウロコが落ちた」だのと言って騒いでいる必要は皆無である。

 感動やウロコはせめて学部に入学してから、できれば大学院に進んでからにとっておいたほうがいい。ごく普通の高校教育を受けた人なら誰でもマネできるようなダサくてイモっぽい解き方を見せてくれるほうが、受験生の役に立つのである。

 過去問題集に取り組む目的は、もう2度と出題される可能性のない過去の問題の正解を知ることではないはずだ。

 似たような問題形式の、似たような難易度の問題を実際に解いてみることによって、試験の場での時間配分を計算し、どの問題に力を入れどの問題は軽くパスするか、そういう作戦を事前に立てることが過去問題集をやる目的なのである。ある科目では合格点をとれそうにないから、その分をこの科目で補おう、それを考えるのもポイントの一つである。

 

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(写真上:続・時事問題とナデシコ「自衛隊について考える」)


 むしろ受験生としては「よーし、間違いを探してやる」ぐらいの意気込みで過去問題に取り組んでもらいたい。1冊の中に1箇所か2箇所、あるかないかわからないぐらいの間違いを探しながら解答集と格闘する日々は、受験生の思考訓練の場として絶好のものである。

 5年分の中で、どうしても解答例に納得のいかない問題があったとする。解説を徹底的に読み込み、友人と語り合い、塾や高校の先生と語り合い、それでも納得がいかなければ、出版社宛にハガキを1枚書いて送るのだ。自分の疑問点や、友人や教師との話し合いの結果を1枚のハガキにまとめることは、記述論述の最高のトレーニングにもなるだろう。

 受験勉強の最終盤でそうした緻密な思考訓練を重ねることが、積み重ねてきた学力に決定的な得点力を与えてくれる。礼儀をわきまえたしっかりした質問状を出せば、出版社からは回答のハガキが送られてくることもあるし、場合によってはお礼状が届くこともあるだろう。

 執筆者の先生からの回答のハガキ、ということもある。ハガキを送った側が合っていることもあれば、間違っていることもあるだろうが、そういうハガキやお礼状こそが最高のお守りになるのであって、そのオマモリは神社で購入したお手軽なオマモリとは全く違った重みのあるオマモリである。

 そういうオマモリをカバンの中に忍ばせている受験生なら、どんな難関でも確実に合格できるはずである。

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 1/6
2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 2/6
3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 3/6
4E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 4/6
5E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 5/6
6E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 6/6
7E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1
10D(DvMv) BARBERSHOP
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