Tue 170905 「ラーメン白樺」再訪/売るのもバーチャン買うのもバーチャン/シャッター街 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170905 「ラーメン白樺」再訪/売るのもバーチャン買うのもバーチャン/シャッター街

 せっかくだから、懐かしの味噌ラーメンを食べに行こう。9月25日、角館やら田沢湖やら、今井君の小学生時代の記憶がギュッと詰まったあたりをほっつき歩くうちに、秋田市土崎港「白樺」の味噌ラーメンをすすりたくなった。

 どのぐらい懐かしいかというに、ここは2つの意味で懐かしい。
① 中3のクラス担任におごってもらった。
② 4年前「秋田への日帰り旅」以来である。

 中3の冬から春にかけて、クラスの仲間たち数人と青春したわけである。当時のテレビドラマは青春もの一色。何かと言えば絶叫と殴り合いのスポ根系と、1時間に3回は命の危険が迫る山口百恵どんの「赤いシリーズ」が全盛で、15歳の我々もラーメン屋で青春しちゃった。

 担任の佐藤先生(仮名)は、社会科の担当。今思えば当時20歳代後半か30歳代前半の女子だったが、我々15歳の男子にとっては、叔母さんか伯母さんに近い感覚、おごってもらっても、それほどの感慨はなかった。

 男子&女子半々で店の座敷に座り、「うっせーぜ」「うぜぐね?」「ざけんなよ」「なめんなよ」とか、お互いにジャレ合っているうちに、ラーメンなんかあっという間に平らげてしまった。高校進学の直前である。

 ②の「4年前」については、「Mon 131125 原点回帰 秋田への旅 ラーメン白樺の感激(第1999回 カウントダウン1)」を参照のこと。ブログ更新を続けて1999回から2000回に至る直前の12月18日、ワタクシは日帰りで秋田市土崎港を訪れた。

 あれから4年、2017年9月現在で、ブログの更新はすでに3000回を超え、10年毎日更新 ☞ 目標3652回の実現に向けて驀進中。まだ2000回だったあの頃が、今ではすっかり懐かしい。
味噌
(秋田市土崎港「白樺」の味噌ラーメン)

 秋田駅前から路線バスに乗るのである。土崎まで10分に1本の間隔でバスが出ているから、鉄道で行くよりずっと便利だ。その昔、ワタクシが中学生の時代には、このバスが5分に1本、通勤通学時間帯には3分に1本あったはずだから、ずいぶん本数が減ってしまった。

 秋田駅前を出ると、秋田市の目抜き通り「広小路」を西進する。目抜き通りなのに、片側はお城のお堀であって、店が立ち並ぶのは進行方向左側だけである。

 お堀にはハスが生い茂って、なかなかワイルドな眺めである。上野の不忍池も十分にワイルドなハスだが、秋田広小路のハスは、「このまま放置すれば街全体をワッシリ飲み干しそう」という激しいワイルド感。早めにチョキチョキ刈り取らないと、ホントに秋田の街が飲み込まれてしまう。

 最近は、あっという間に飲み込まれてしまう。10年前に政権交代を実現し、新聞とテレビの大喝采を浴び、3年も4年も日本の屋台骨を支えた政党も、あれれ、脱出が相次ぎ、崩壊し瓦解し、融解し溶解したあげく、ありゃりゃ、あっという間に飲み込まれちゃったぞ。

 盛者必衰、おごれる者は久しからず、夢&幻のように、跡も形も残らない。あんなに真っ赤になって応援していたはずの大新聞もテレビも、ソッポを向いて、コメントさえあまり見当たらない。
みずうみ
(田沢湖駅前「みずうみ」で一杯やっていく)

 まして秋田の広小路なんか、もうすぐハスの葉っぱに覆い尽くされて、影も形もなくなりそうだ。そもそも昭和の秋田を席巻していた大規模店舗が、すでにほとんど消滅している。

 徒歩で10分ほどのこの通りには、「ジャスコ」「長崎屋」「丸三」「秋田プラザ」「木内百貨店」「恊働社」「本金」「辻兵」、以上8つの大規模店舗が軒を連ねていた。

 当時の人口24万。30万にも満たない地方都市に、これほどの大規模店舗が集中して、人々は意気軒昂。トラムとバスだけで渋滞するほど、街は活気に溢れていた。

 あれから人口は30万を超え、今もなお漸増しつつはあるけれども、8つの大きなお店のうち、残ったのは「木内」「本金」2つだけ。とは言っても、「木内百貨店」は1フロアだけを残し、細々とバーチャン&ジーチャンの衣料品を並べているだけだ。

 店員さんもバーチャンズ・オンリー、お客もバーチャンズ・オンリー。優しい正調♡秋田弁が、静かな店にうつろに響き、今まさに「希望の党」よろしく街を飲み込もうとするハスの葉っぱに対して、なすすべを知らぬ様子である。
白樺
(土崎「ラーメン白樺」の勇姿)

 バスはそのまま西進を続け、秋田県庁と秋田市役所の向かい合う「山王」に至る。「山王」と書いて「さんのう」と読む。ともに昭和30年代に建てられたはずの県庁&市役所であるが、やっぱり諸君、唖然とするほど古色蒼然として、ハスの葉っぱの勢いはすでにここまで迫っている。

 山王十字路を右折して、バスは一気に北上する。かつてはここもトラムの通り道。「秋田の横浜」を自称する土崎港まで、約10分の道のりだ。左の車窓からは、かつて秋田城のあった高清水の岡が見える。築城733年、奈良時代の北日本を支えた名城である。

 こうして土崎の街に入り、懐かしのバス停「港入口」で下車すると、そこはユネスコ世界文化遺産「土崎港 曳山祭り」の山車が行き来する通りである。祭りは7月20日から21日にかけて。21日深夜の「戻りヤマ」は、ぜひ諸君にも体験していただきたい豪快なイベントだ。
店内風景
(ラーメン白樺、店内風景)

 ただし諸君、そこからは先はまさにシャッター街の見本のような寂しい道が続く。ここから母校・土崎小学校まで、全力疾走すれば30秒もかからない通りであるが、かつての賑わいがウソのように静まり返っている。

 高度成長期、こんな狭い街に、10万以上の人が住んでいた。国鉄の大きな工場が存在し、石油精製工場と石油化学工場もあった。港湾関係の人々もいた。いろんな工場のサイレンが朝夕街に鳴り渡った。

 精肉店が2軒(千田・斉藤)
 生花店が2軒(吉田・山本)
 洋品店が2軒(タナカ・さくらんぼ)
 パチンコ屋が2軒(アイチセンター・さざなみホール)
 飲食店が3軒(銀水・白樺・高橋食堂)
 文房具屋が4軒(門間・幸野屋・おきな・柴英)
 書店が3軒(金子・石田・いわや)
 菓子屋が2軒(たてやま・いわや)
 家具屋が2軒(佐野・奈良)
 カバン屋が1軒(かがや)
 スポーツ用品店が1軒(ヤマモト)
 タクシー営業所が2つ(港きんぐ・双葉)

 もちろんこの他に、スーパー(ふせ)瀬戸物屋(土屋)歯科医(中道・須磨)、屋号は失念したが常にドジョウの樽が3つも4つも並べられていた鮮魚店があり、時計屋、青果店、フルーツ屋(つしま)も並んでいた。
餃子
(焦げ気味に見えるギョーザ、おいしゅーございました)

 あの賑わいは、みんなどこに行っちゃったんでしょうかね。ラーメン「白樺」のオバサマに問いかけるまでもなく、みんなみんな高齢化して、店を畳んでしまったのである。今や街に残るのは、2軒の中規模病院だけ。10年後20年後の日本の縮図が、まさに目の前にあった。

 写真で見るとチョイと焦げすぎの感じのギョーザであったが、カリカリした歯触りで、たいへんおいしゅーございました。ラーメンも、4年前より少し味噌が濃くなった感じではあったけれども、相変わらず涙が出るほどおいしゅーございました。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN③
2E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN⑤
3E(Cd) Candy Dulfer:LIVE IN AMSTERDAM
4E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
5E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
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