Sun 170903 田沢湖の記憶/瑠璃色からコバルトグリーンへ/宝船の貯金箱/倹約の美徳 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 170903 田沢湖の記憶/瑠璃色からコバルトグリーンへ/宝船の貯金箱/倹約の美徳

 岩手県花巻まで北上したついでに(スミマセン、昨日の続きです)、奥羽山脈を横切って日本海側に入り、秋田県の田沢湖や角館を散策してこようと思う。

 さらについでだから、故郷である秋田市土崎港まで足をのばし、懐かしい「白樺」の味噌ラーメンもすすりたい。最初からそのつもりで、東京から秋田までの乗車券を買ってきた。

 同じJR東日本なら、東京から秋田まで何度も途中下車が可能。仙台で1回、お仕事のあった新花巻で1回、田沢湖で1回、角館で1回、終点の秋田まで、4回も途中下車を繰り返して、でも乗車券代は9800円ほどでOK。マコトにリーズナブルに旅が楽しめる。

 田沢湖駅に降りるのは、おそらく中2の冬以来のことである。遥かな遥かなむかしむかし、小3から中2にかけての冬は、毎週日曜日に父・三千雄とスキーに出かけた。青森県の「大鰐温泉スキー場」も稀に訪ねたけれども、スタンダードはあくまで田沢湖周辺のスキー場だった。

 田沢湖にはスキー場が3つ存在し、むかしは麓に近い方から ① 田沢湖国際スキー場 ② 田沢湖高原スキー場 ③ 乳頭温泉スキー場と呼んだ。

 初心者は③、旨くなるに連れて②から①へ、③でコドモ扱いされていた男子として、②から①へと昇格すれば、華々しい晴れ舞台に立った誇らしい気持ちだった。

 今ではすっかり有名になってしまった乳頭温泉郷であるが、当時はまだ無名だった。深い山の奥の奥まで入り込んだところに、リフト1本だけの小さなスキー場。小学3年から4年にかけては、こんな平和な深い雪の中で、基礎基本をたっぷり鍛えるのもいい。
たつこ
(懐かしい田沢湖、辰子姫の像)

 だからワタクシにとって、田沢湖駅は本来マコトに懐かしい駅なのである。今からちょうど20年昔、名ばかりとは言っても「新幹線」と名のつく電車が走り出してからは、駅前の風景もすっかり様変わりしてしまった。

 昔は駅前に大っきなバスターミナルがあって、スキー場に向かう人々でごった返していた。秋田駒ヶ岳が小噴火を繰り返していた頃で、麓のバスターミナルにも噴火の音が盛んに轟いていたものである。

 9月25日、昼下がりの田沢湖駅前に立ってみると、客待ちしているタクシーはたったの2台。バスターミナルの影も形もない。飲食店が3〜4軒。店のノボリが寂しげに秋の風にはためいているばかりであった。

 昼寝の真っ最中だった運転手さんを起こして、とりあえず田沢湖畔まで行くことにする。直径6km、周囲20km、深さ423m。気の遠くなるほどの深さはもちろん日本最深であって、コドモの頃はその深さを思って恐怖に震えた。
神社
(懐かしい田沢湖、御座石神社)

 かつてはその透明度でも日本で1〜2を競うほどの、澄みきった水が自慢だった。深さのおかげで真冬でも凍らないのは、北海道の支笏湖と同じである。

 だから真冬でも、駒ヶ岳中腹のスキー場から眺めると、湖は瑠璃色に見えた。「るり色の湖に突っ込んでいくような」というのが、当時のスキー場の宣伝文句になっていた。

 ところが最近「玉川」という小河川の水が湖に流れ込むようになって、透明度は大きく落ちてしまった。かつての美しい瑠璃色は、酸性の強い河川の水の影響を受けて、コバルト色に変わってしまった。

 もちろんコバルトブルーも瑠璃色に負けず劣らず美しいが、恐怖や悲哀をそそるほどの神秘性は和らいだ。まろやかな悲哀、穏やかな恐怖。少なからず拍子抜けを伴う色である。

 しかも今年は、8月の秋田を襲った豪雨の泥水もたっぷり流入し、コバルトブルーからコバルトグリーンに変化。城下町のお堀の水みたいな、とろとろお昼寝したくなるような、たいへん優しく穏やかな色合いである。
田沢湖
(田沢湖風景。昔のような瑠璃色の神秘を感じない)

 一周40分の遊覧船に乗って、秋の田沢湖の真ん中に出てみた。北国の山の中ではあるが、9月25日は真夏の日差しが戻って、湖水の上を漂っていても汗ばむほどの陽気。悲哀も恐怖もますます穏やかに丸みがついて、緊張感なんか全く感じる余地がない。

 出来るだけブログ映えしそうな写真をいろいろ撮影してみたけれども、うーん、コドモの頃に見たような憧れの瑠璃色は、どうしてもカメラに残ってくれない。

「せめてグリーンぐらいキレイに撮れないものか」と思うのだが、もともとこのカメラはグリーンが苦手なのだ。ペリエのボトルのグリーンさえ、黒く濁って写ってしまう。

 フランス・ニーム駅前やエクス・アン・プロヴァンスのカフェで味わった「マント・ア・ロー」の色も、同じように黒く濁って、煤けたグリーンにしか撮れなかった。

 それでもまあ何とか頑張って、キンキラキンの「辰子姫の像」の前と、「御座の石神社」の前とで、何とか湖のキレイな緑を記録することは出来た。ここに掲載して、その美しさの一端だけでも感じてもらえたらと願うのである。
おみやげ
(小5の時と同じたたずまいの「おみやげプラザ」)

 湖畔には、土産物屋さんが3軒ほど並んでいる。バス停前に「田沢湖レストハウス」、駐車場の向こう側に「おみやげプラザ」、もう1軒は名前を失念したが、すべて昭和の真っただ中から延々と続くお店である。

 店構えも屋号もワタクシが小学生の頃からちっとも変化していない。特に「おみやげプラザ」の店構えは、今井君の記憶にマザマザと残っている。

 秋田市の小学生は、小学校5年の春の遠足には、必ず田沢湖を訪れた。1年生が「金照寺山」、2年生が「大森山」。3年生は「寒風山」、4年生が「象潟」。5年生になると田沢湖で、6年生の修学旅行が「奥入瀬と十和田湖」。この定番は滅多なことでは揺るがなかった。

 だから今井君も、5年生の5月に田沢湖を訪れ、まさにこの「おみやげプラザ」に立ち寄ったのである。あれ以来、すでに数百年の時が流れたが、店内の様子にほとんど変化は見られない。10歳のワタクシは、金色に光る貯金箱をお土産に購入したのである。

 宝船に乗った七福神の貯金箱は、高々と掲げた帆の上部に穴があいて、そこから硬貨をチャリンチャリンと入れられる仕組み。クラスの友達がみんなそれを買うから、「お土産」というものを買う習慣が全くなかった今井君も、大枚500円も出して仲間たちのマネをした。
矢印
(店の奥で、秋田犬と比内鶏を見学できる)

 それがどんな大惨事につながったかについては、8年前のブログに書き記しておいた。「Fri 090911 忙しい夏だった どれほど旅行しても、お土産を買ってこないのは何故か」を参照のこと。

 貯金箱に引っかかった50円玉を救出するために、500円の貯金箱を破壊する結果になったこと。その行動を揶揄した4歳上の姉と、この貯金箱をめぐって決定的に仲違いしたこと。家族との会話には細心の注意を払わなければならないこと。全てはこの「おみやげプラザ」で学んだ教訓である。

 「おみやげプラザ」のオーナーは、どうやら今でも貯金箱が大好きであるらしい。駐車場をはさんで向かい合った「田沢湖レイクプラザ」では1個も見かけなかった貯金箱であるが、こっちには秋田犬の貯金箱、ナマハゲの貯金箱、その他2種類も3種類も並べて、今井君を誘惑するのである。

 すっかり中年になった今井君は、今でも貯金が大好きだ。
「タクシーに乗らなかった日は、ご褒美として○○円」
「ポイントを貯めて0円で…した日は、その金額をそのまま貯金する」
みたいに、ペットボトルや梅酒の瓶を利用して、あれこれ貯金に励むのである。

 あの小5の日、確かに貯金箱への嫌悪感が決定的なものになったが、そこはそれ、宝船やら七福神やらのご利益で、チャンとした正しい倹約の美徳が、ギュッと身体と心の奥底まで染み入ったようである。

1E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
2E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
3E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
6D(DMv) THE HUNT FOR RED OCTOBER
total m18 y1664 d21613