Fri 090911 忙しい夏だった どれほど旅行しても、お土産を買ってこないのは何故か | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090911 忙しい夏だった どれほど旅行しても、お土産を買ってこないのは何故か

 いや、忙しい夏だった。7月&8月の2ヶ月間、自宅で過ごした記憶はほとんどない。7月上旬から中旬にかけては講演会が相次いだし、7月下旬は東進「河口湖合宿」が10日間。8月上旬にも講演会が連続し、その合間を縫って参考書「今井の英文法教室」の最終仕上げ。8月8日にニューヨークに出発して、帰ってきたのが8月18日。帰ってすぐ、吉祥寺のスタジオで「過去問演習講座・早稲田大学篇」の収録4学部分。その収録終了が8月24日。8月26日にはアイルランド・ダブリンに出発。ダブリンから船でリバプールに渡り、夏とは思えないエジンバラの冷たい雨に真っ青になりながら、まあドタンバタンいろいろあった。


 9月9日午前10時、ようやくアイルランド&スコットランド旅行から帰ってきた。さすがの今井グマでも、いくら馬力があっても、ここまで忙しいとブログの進行がままならなくなる。1週間まるまるパソコンから離れてしまったこともあって、更新は遅れに遅れた。8月31日になってようやく8月16日付のブログを書いているから、最大で半月分遅れたことになる。


 昔なら、ここまでうまく進行しなくなれば、おそらく面倒くさくなってカンタンに投げ出してしまっていただろう。ヤメてしまうのに必要な理由なんか、いくらでも見つかるのである。しかし今やこのブログは自分にとって大切なペースメーカーであって、これなしに日々の生活は考えられない。すっかり中年になって、ヒゲに十数本の白髪が混じるぐらいになっても、まあ努力は継続してみるものである。帰国後1週間、疲労と時差ボケをものともせずに書き続け、「1週間遅れ」まで何とか差をつめることができた。

 

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(「おーい、クマがくるぞお!!」、または、プジョーの雄叫び)


 大きな荷物をゴロゴロ引きずりながら帰宅すると、白いネコとキジトラのネコが階段の両脇に狛犬のように控えて、しばらくぶりに見るクマさんを冷たく見おろしている(ネコたちはいつも2階を走り回っているのだ)。これだけ留守ばかりしても、2匹ともチャンと今井君を記憶していて、まずニャゴロワが高い声で威嚇気味の挨拶をし、続いてナデシコが投げ槍に「ああ、今井どんですか」と呟くなり、身軽に走ってどこかの物陰に姿を消してしまった。

 

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(ウィンダミア湖畔アンブルサイドで発見したニャゴロワ。そっくりだ)

 今井君はとても偉いので、帰ってすぐにソファに転がってダラシなく眠りこけたりはしない。すぐに半地下の書斎に入り、デカイ荷物を開け、ダブリン→リバプール→ウィンダミア→エジンバラ→ロンドンと長い旅を共にした、13枚のシャツと13組の靴下と13枚のパンツ類を洗濯物に出す。おお、偉い。あまりに偉いので、ネコたちも次第に近寄ってきて、「まあ、ちょっと撫でなさいよ」「いいから、撫でな」「早く撫でろって」と背中を向けてみせたりする。

 

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(ナデシコは、散歩の達人である)


 ニャゴロワもナデシコも、「抱っこはキライ」という珍しいネコである。ナデシコなんか、ちょっとでも抱っこしようとするとエビぞりになって、意地でも逃げようとするし、それ以上しつこくすると、クマさんの額に見事なネコパンチ攻撃をする。その顔がたいへん賢そうである。ニャゴロワは無理に抱っこするとビーンとカタい棒状の姿勢をとって、しばらく抱っこに耐えるが、その有り様は、よーく太った新巻き鮭を抱っこしているようなものである。


 それでは「今井どんがキライ」かというと、決してそんなことはなくて、ニャゴロワは撫でてやらないかぎり「撫でるまで許さない」という気合いの入った大声で鳴き続け、イスでも机でも押しのける驚くべき力でぐいぐい押して押して押しまくる。ナデシコは2階から降りる階段の上から2段目で撫でてもらうのが好き。クマどんが階段を降りる気配を感じると、どこからともなく突進してきて、2段目にうずくまって激しく鳴きまくる。

 

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(ダブリン城で発見。豪族の紋章の中にいたナデシコの祖先。キュートである。鹿と鳥も悪くない)

 土産物をたくさん買い込んでくるタイプではないから、片付けはすぐに終わる。今回のお土産は、ヒツジさんの絵のデザインが可愛いマグカップ(ウィンダミアで購入)と、アイルランドの田舎町キルデアのスーパーで買った学習用ノート10冊(何だそりゃ?)、ダブリンのギネスショップで見つけた「GUINNESS」の文字の入った5ユーロのボール(何だそりゃ?)ぐらいだ。

 

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(ヒツジのマグカップ。飲みやすい)


 土産を買わないことでは、小学生の頃から有名。小5の時の遠足で秋田県の田沢湖に行き、500円もする「七福神の宝船貯金箱」を1個買って帰り(何だそりゃ)、それを家族に爆笑されてムカついてから、土産物には興味を失った。しかも金色をしたその「七福神の貯金箱」は、当時まだ流通していた「大きな50円玉」がうまく穴を通らないという粗悪品。「大きな50円玉」には、穴の空いたのと穴の空かないのがあったが、小学5年生にとって50円玉は宝物である。それが貯金箱に入らないのでは、ますますムカついてくるし、入らない粗悪品であることを姉にいろいろ言われて、ムカつきはおさまらなくなった。


 「自暴自棄」ということを知ったのもあの時である。持っていた「大きい50円玉」のうちの1個を「意地でも入れてやる」と力ずくで穴に押し込もうとしたのだ。可哀想な50円ダマ君はついに穴につっかえて、中に入りもしなければ、取り出すことも出来なくなった。にっちもさっちもいかなくなったのは、たった50円。一方の貯金箱、500円。しかしこの金色の貯金箱は、言わば「恥の象徴」である。進退きわまった幼い今井君は、500円の土産を金槌で破壊してでも、大きな50円玉の救助を選んだ。

 

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(現行50円玉をはさんで、左が「穴のない50円玉」、右が「穴のある50円玉」。何を隠そう、子供の頃は古銭コレクターでもあったのだ。植物・昆虫・岩石・タイル・切手&古銭コレクター。おお。なかなか激しいコドモである。なお、右こそまさに、宝船貯金箱から救出された現物である)

 どんな人間にでも、思い出したくない過去があって、今井君にとっては、キラキラ光る七福神の貯金箱を前に家族に爆笑されたあの夜がそれである。だって、岩谷も三浦も桜田も松本正規(まさのり)も松本元(げん)も、田沢湖でみんな同じ貯金箱を買ったのだ。「なぜ自分だけ?」という鬱憤は、挟まって動かなくなった50円玉の救助のために、遠足の思い出を破壊させるのに十分だったのである。宝船の帆のところに硬貨を入れる穴が空いていて、そこに50円玉がつまって動かない光景は、今でも私を苦しめる。


 あの時から、今井は「お土産に興味のない男」として有名になった(何だそりゃ?)。小6の修学旅行では、せっかく十和田湖&奥入瀬渓流に1泊したのに、お土産はおざなりな絵葉書ワンセット。中1(男鹿半島)、中2(何故かまたまた男鹿半島)、ともに「お土産ゼロ」。中3の修学旅行は北海道で3泊もして、それなのにお土産は、何と大沼公園で拾った「カラスの羽」1本。何てことだ。だから、親たるもの、兄姉たるもの、子供や弟をバカにして、軽はずみに大笑いなんかしてはならないのである。