Tue 160503 歴史的な1日 ロマン・ロラン 栗田定之丞とランドの森(ボルドー春紀行14) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 160503 歴史的な1日 ロマン・ロラン 栗田定之丞とランドの森(ボルドー春紀行14)

 5月27日があまりにも歴史的な1日だったので、暢気にブログ、暢気に旅行記、そういう自分が何となく情けない。夕暮れの広島にヘリコプターが到着した瞬間から、原爆ドーム前でオバマ氏が専用車に乗り込むまで、息をするのも忘れてテレビ中継にかじりついた。

 確かに、感情としては物足りないのである。せっかく広島までやってきて、原爆資料館の中にいらっしゃったのは約10分に過ぎない。長い演説も「事前の原稿そのまま」というか、つまり「国民感情に十分配慮した」タイプの、慎重この上ないものであった。

 就任直後のプラハ演説みたいな、感動と感激・驚嘆と喝采を期待していた者としては、配慮がスミズミまで行き届いたカンペキにオトナな話しぶりに、もどかしさを感じないこともなかった。 

 しかし、歴史はゆっくり着実に進むしかないのである。いきなり「ゼロ」「廃絶」と発言するわけにはいかなかった。「減らしていく」「かつての愚かさから少しずつ脱却する」。世界の現状を見るに、そういう文言しか使えないのはおそらく致し方ないのだ。

 例えば、ここに20世紀フランスの大作家が書いた小説の一節を紹介する。ロマン・ロラン「魅せられたる魂」。当時の世界を代表する作家の、「ジャン・クリストフ」と並び称される代表作の一節である。執筆は、1922年から1933年。翻訳は、日本のフランス文学界を代表する宮本正清である。
ロマンロラン
(ロマン・ロラン「魅せられたる魂」より、リセの生徒の夢が語られる場面。中央公論社「世界の文学」29巻、訳:宮本正清。90年前、世界を代表する大作家の作品にすら、こんな表現があった)

 ロマン・ロランほどに人類の文明を熟知していた人はいない。彼による伝記は、ベートーベン・トルストイ・ミケランジェロ・ヘンデル・サヴォナローラ・カリグラ・ミレー・ガンジー・ロベスピエール・ダントン・エンペドクレス・ゲーテ・ルソー・聖王ルイ。歴史と人間について、彼ほどの叡智と熟慮は考えられないのである。

 そのロマン・ロランが、第1次世界大戦の戦後処理からナチス台頭にいたる10年を費やして書いた小説が「魅せられたる魂」。その中で、リセに通う男子の「すばらしい夢」として描かれたのが、今日の1枚目の写真である。

「地球の端から端までトンネルを掘る」「火星と地球を結びつける」と一緒に、全くネガティブな色彩なしに語られる「ボタン1つで」の節を、諸君、写真では読みにくいだろうが、我慢して読んでみてくれたまえ。日本での出版は、1960年代の半ばであった。

 90年前の最も優れた人々の認識でさえ、この程度だったのである。悲劇はちっとも減少しないし、状況は加速度的に悪化するようにしか見えないが、少なくともそれを大悲劇と認識し、状況の加速度的悪化と理解する能力が身についただけでも、大きな光明なんじゃあるまいか。
アキテーヌ1
(フランス・Aquitaine地方を走る各駅停車 1)

 さて、大きく話題が変わって申し訳ないが、4月6日のワタクシは、ボルドーからスペイン国境の町・バイヨンヌに向かっていた。ピレネー山脈の北麓、1000年も前に、イスラム教勢力 vs キリスト教勢力の、激烈な文明の衝突が起こっていたあたりである。

 バイヨンヌについては、「ドイツ・クリスマス紀行」の中でも触れた。今もブレーメン大聖堂の前に立つ英雄ローランドは、フランス語読みならローラン。ピレネー山中での非業の死を描いた中世文学が「ローランの歌」である。詳しくはMon 160404 BECK’S ローラント像(ドイツ・クリスマス紀行29)を参照してくれたまえ。

 バイヨンヌは、バスク地方の中心でもある。ボルドー・サンジャン駅を午前10時前に出発したTGVは、バスクに向かってひたすら南下を続ける。フランス国鉄の技術の粋を尽くしたTGVだ。最高速度は時速300kmを超えるが、在来ローカル線を走る時は、ごく普通の各駅停車と同じ速度しか出せない。

 TGVがひたすら南下するのは、アキテーヌ地方。フランス語のスペルで書けばAquitaine。そのスペルも、西に広大な砂浜が広がる地形も我が故郷Akitaとソックリだ。
アキテーヌ2
(フランス・Aquitaine地方を走る各駅停車 2)

 夕陽が海に沈む様子も、やっぱりAquitaineと日本のAkitaは相似形。海岸沿いにどこまでも松林が続く車窓も、やっぱりAkitaを想起させる。「ランドの森」と呼ばれる広大な松林は、Akitaの海岸と全く同じ「砂防林」。親近感はどこまでも高まっていく。

 江戸時代の秋田藩は、北西風に乗って移動する砂が水田地帯を浸食するのに悩まされていた。「何とかして砂丘の東進を止められないか」、進行する砂漠化を食い止めようとたどり着いた結論が、砂地に強い松による砂防林であった。

 しかし、いくら「砂地に強い」「乾燥に強い」と言ったって、植えられた松クンたちは塩分と乾燥と強風のトリプル攻撃に直面する。植えても植えても、意地でも諦めずに植え続けても、松の苗は一向に育たない。18世紀末のことである。

 秋田藩の砂防林の担当者だった「栗田定之丞(くりたさだのじょう)」の悩みは深かった。来る日も来る日も砂浜をトボトボ歩きながら、「この最悪の環境の中で何とかして豊かな松の砂防林が作れないものか」を思案した。名案はちっとも浮かばない。
車内風景
(TGV、車内風景。デザイン優先で、乗り心地はイマイチだ。新幹線なのに、山手線や地下鉄みたいにみんなで横向きに座っていく車両すら存在する)

 そんな懊悩が続いたある日、栗田定之丞どんは砂浜で腐りかけたワラジの片方を発見する。おやおや、不思議なことに、ワラジは棒切れで支えられたように、斜め45°の角度で宙に持ち上げられている。なんとワラジを持ち上げていたのは、松の苗だったのである。

「これだ!!」と、ポンと膝を叩いた定之丞どん、さっそく大規模な砂防林育成計画に取りかかる。ワラのムシロの風よけを海岸沿いに延々と立てていく。松の苗は、風も塩分も砂もムシロの陰で守られて、スクスク元気に育っていった。

 21世紀の今でも、Akitaの海岸を訪れるヒトは、見事な松林がどこまでも続いているのに驚くことだろう。南は山形県境から、北は男鹿半島を越えてバスケの町:能代の米代川まで、海岸は途切れることなく松林に守られている。

 ボルドーからバイヨンヌに至る大西洋岸、詳しくはビスケー湾岸は、それより遥かに大規模な砂防林に覆われている。総面積100万ヘクタール。TGVでボルドーから南下すること3時間、右も左も果てしない松林が連続する。
ランドの森
(ランドの森。荒涼とした松林の風景が、3時間延々と続く)

 一見したところ、マコトに荒涼とした風景だ。町も山も谷もなし。どこまで走っても、見えるのは変化のない暗く低い松林の広がりばかり。ヒトもクルマも全く姿を現さない。舗装すらされていない砂の道が鉄道沿いに続き、これは山林火災に備えて、消火チームの進路を確保したのだという。

 近世まで、ここは20万ヘクタールの大湿地帯。人々は竹馬を利用してヒツジを追い、細々と牧畜を営んでいた。しかしやっぱり砂の攻撃にさらされ、砂漠化の危機に瀕した。

 19世紀半ば、フランスの栗田定之丞 ☞ ニコラ・ブレモンティエというヒトが、1860年ごろから松の植林を本格化させた。今や、モト湿地帯の面影もない。かつては松の樹脂が主な収入源だったが、今はフランス最大の林業地帯を形成しているんだそうな。

 こうして、ますますAquitaine地方への親近感が強烈になっていくAkita人☞イマイなのであった。科学というものは本来、こういう方向にこそ進むべきなんじゃないか。

 地球を貫くトンネル。火星と地球を結ぶ架け橋。そういうものをリセの生徒の夢として語らせたロマン・ロランの時代、フランス南西部では着々と砂防林が育っていたのである。

 100万ヘクタールの「ランドの森」に成長するまで、100年以上が経過。諸君、いたずらに焦燥に駆られることなく、1メートルずつ着実に歩を進めようじゃないか。

1E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOFF SYMPHONY No.2
2E(Cd) Four Play:YES PLEASE
3E(Cd) Peter & Patrik Jablonski:2 Pianos
4E(Cd)Akiko Suwanai:BRUCH/VIOLIN CONCERT No.1 & SCOTTISH FANTASY
5E(Cd) Wand:BRUCKNER/SYMPHONY No.8②
total m15 y783 d18488