Thu 160407 10年前の懐かしいホテルは変わり果てていた(ドイツ・クリスマス紀行32) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 160407 10年前の懐かしいホテルは変わり果てていた(ドイツ・クリスマス紀行32)

 12月28日、唖然とする話だが、今回のドイツの旅は28日が最終日。翌29日の午前中には荷物をまとめて、ホテルもチェックアウトしなきゃならない。いやはや、時の経つのは速いものであって、つい2~3日前にベルリンに到着したと思ったら、もう東京に帰っちゃう。

 いつもの今井君の旅のスタンダードは、2週間。例えば火曜日に日本を出発したら、翌々週の火曜日に帰国する。丸々2週間のギャップがあっても、同じ曜日に帰ってくれば、元の生活に復帰しやすいものである。

 ところが年末の旅は、そこんトコロが思うに任せない。どうしても年末の公開授業が12月20日ぐらいまで続くし、「海外で年を越す」となると帰国後のスケジュールがいろいろギュッと詰まってしまって大変だ。

 ホンの4~5年前までは、年末の公開授業は12月15日あたりで完了していたのだが、2015年は19日まであったし、その前の年もやっぱり20日ぐらいまで続いて、年末の旅をグッと短縮せざるを得なくなった。

 そこで年末の旅は「パリ」がしばらく定番になっていた。10日前後の短い旅の場合、空港での乗り継ぎに時間をとられたくない。日本からの直行便がビュンビュン飛んでいる街を選べば、パリ・ミュンヘン・NY・ロンドン、そういう街が年末の定番になるのは当然である。
KaDeWe
(ベルリン最大の百貨店「KaDeWe」。10年前が信じがたいほどの大繁盛であった)

 だから今回、短期の旅なのに乗り継ぎの面倒なベルリンを選択したのには、まあ「ワケがあった」ということにしておこう。だってベルリンへの乗り継ぎはホントに面倒だ。間もなく首都にふさわしい大空港が完成するらしいが、今はまだちっちゃな地方空港に過ぎない。乗り継ぎ便の本数も呆れるほど少ないのだ。

「おやおや、ワケアリですか?」
「どんなワケがあったのか、是非お聞きしましょう」
みたいに、センテンススプリング的な人たちがワッと駆け寄ってくる有名人と違って、今井君レベルの一般人のワケアリなんか、どうせ大したことではない。

① もう10年もベルリンにご無沙汰してきた
② ドイツ屈指の百貨店「KaDeWe」だって、10年前とはずいぶん様変わりしただろう
③ 10年前に宿泊した懐かしいホテル「ブランデンブルガー・ホーフ」が、今どうしているか見てみたい
「ワケアリ」のワケは、拍子抜けするほどマコトに些細な、以上3点なのであった。
旧ブランデンブルガーホーフ
(ブランデンブルガー・ホーフ。今は名前も変わってしまったが、10年前に4泊した懐かしいホテルである)

 しかしドイツに到着してからの8日間、ラム酒入りホットワインに浮かれ放題に浮かれるばかりで、旅先にベルリンを選んだモトモトの理由は、もうどうでもよくなってしまった。

 次々に小旅行を敢行したこともあった。ライプツィヒ・ドレスデン・ブレーメン・ハンブルク。たった9日の滞在で、こんなに忙しく小旅行を繰り返していたら、ほとんど団体ツアー並みに忙しい。「10年前の思い出の地がどうなったか」なんか、「別にどうでもいいじゃないか」の対象になりやすい。

 しかし滞在最終日の12月28日朝、今井クマ助は「あーあ、もう旅は終わりか♨」という深い哀愁に満たされた。哀愁に満たされた割には、9時近くまでベッドの中でモタモタしていたし、ゆっくりお風呂に入った後はまたハイネケンなどを痛飲していたのだが、午前11時、とりあえずお部屋を出ることにした。

 諸君、12月下旬の北ドイツの太陽は低い。あんまり低いので、真昼でも夕暮れのようなオレンジ色の日差し。まぶしい光の矢が眼の中に直接差し込んでくるので、最初のうちはサングラスでもなければマトモに眼を開けているのが困難である。
最寄り駅
(ベルリン地下鉄「アウグスブルガー・シュトラーセ」。懐かしいホテル「ブランデンブルガー・ホーフ」は、この駅から徒歩1~2分だった)

 諸君は信じてくれないかも知れないが、ワタクシも海外ではサングラスを愛用したことがあって、このブログ内を探せば「グラサン♨今井」の勇姿を発見できるはずだ。

 2010年11月、いきなり「網膜剥離」と診断されたワタクシは、右の眼球のど真ん中にメスを入れる大手術に耐えた。「部分麻酔」という恐ろしい状況のまま、眼球のど真ん中にメスが入ってきた。

 担当医師は「はーい、コワくないですよー♡」と言いながら、ブスリとメスを突き刺したものだったが、手術直後の猟奇的な写真もブログにはたくさん掲載しているから、猟奇的な彼女や彼氏は是非2010年11月から12月の記事を参照してくれたまえ。

 しかもその大手術から1週間後に、ワタクシは早くも公開授業の教壇に立っている。サングラスで公開授業に出たのはこの時1回のみ。諸君、「Thu 101111 11月20日、船橋で講演会 サングラスで講演会を実施 快気祝いの連続」をクリック、5年半前のワタクシの勇姿をご鑑賞あれ。

 ただし、10年も前に勇を鼓してドツキ♡グラサンと言ふものを購入したまではよかったが、これをせっかくの海外旅行中にかけてしまうと、外国の風景をありのままの色彩で見ることが出来ない。

 美術館や博物館に入るたび、いちいち普通のメガネにかけかえなきゃいけないのもわずらわしい。いつの間にか「オクライリ」ということになってしまって、最後に活躍したのはクダンの船橋公開授業の時である。

 そもそも「オクライリ」だなんて、ヤタラにネバネバしそうじゃないか。おっと間違い、それは「オクラ入り」であって、「お蔵入り」とは違う。オクラ・納豆・山芋・メカブ、そういうものをマゼマゼして不気味な糸を引かせ、酒の肴にすることはあっても、サングラスじゃお酒は旨くならない。
中庭1
(かつての「ブランデンブルガー・ホーフ」レストラン。ガラス張りは同じだが、すっかり寂れてしまった)

 さて、何だか突然ワタクシ独特のオフザケに火がついてしまったが、10年前のベルリンで4泊したブランデンブルガー・ホーフは、いくら探しても見つからない。

 冷戦時代のベルリンで最大の百貨店だった「KaDeWe」は今も健在、というか「ますます意気軒昂」であって、10年前とは比較にならないほどの繁盛ぶりであるが、うーん、20世紀ドイツのガッシリ&ガシガシな硬派の味わいがなくなってしまった。

 重厚長大、どんな品物でも頑丈さと堅固さが基準。ベビー用品でも紳士下着でもボーシでも、どれもみんな「ぶつかったらケガします」というぐらいガッシリしていたが、今や全てが軽薄短小であって、これじゃ日本のスーパーとちっとも変わらない。

「確かKaDeWeから徒歩で10分ほどだった」
「地下鉄『アウグスブルガー・シュトラーセ』の駅近くだった」
今井君の記憶はそれだけ。それっぽっちの記憶を頼りに、10年前のホテルを捜しあぐねて右往左往した。
中庭2
(旧ブランデンブルガー・ホーフ。クリスマスツリーさえ、何だか哀愁を漂わせている)

 それもそのはず、かつての5つ星ホテル「ブランデンブルガー・ホーフ」は、他社に買収されてビジネスホテル並みに格落ち、名前も変わっている。エントランスに立って待ち受けるホテルマンもいないし、フロントもガラガラ、誰一人クマ助に声をかけてこない。

 かつてはたくさんの観葉植物が並ぶ豪華なレストランだったあたりにも、今や全く人影がない。ガラス張りの天井からは白けた昼の光が燦々と降り注いでいるが、ここは10年前の2月、ヨーロッパ40日の旅の冒頭を飾った懐かしい朝食会場なのである。

 どれほど花やかなホテルだったかは、「ウワバミ文庫」から「Mon 140317 KDWとノルドゼー クーダムと東ベルリン地区(ヨーロッパ40日の旅5)」をクリックしてくれたまえ。その記事5枚目の写真が、10年前のこのレストランを5階の部屋から撮影したものである。

 あえて「変わり果てた」という表現を使わざるを得ない。あの時はベルリンの壁の崩壊から15年。今は崩壊後25年。若い世代にはもう、冷戦時代の記憶がほとんど残っていないのだ。加速度的に重厚さを失っていくのは、世界共通の現象であるらしい。

1E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 2/2
2E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3
3E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 2/3
4E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 3/3
5E(Cd) Harnoncourt:BACH/WEIHNACHTSORATORIUM 1/2
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