Sun 150331 「先生ですか?」と他山の石 クマ助にロシア料理ブームが来た(2493回)
見栄を張っていない時ほど、不本意にもヒトに見つかって「あ、今井だ!!」「もしかして、今井先生ですか?」「授業、ウケてました!!」の声がかかる。
ヒコーキだって、いつもならプレミアムクラスに乗り、必要以上にふんぞり返って見せているのに、「今回は遊びだから」「大阪まで文楽を見に行くだけだから」「1時間の旅だから、特割28のエコノミーで十分」と気を抜いている時に限って、「先生ですか?」のヒトビトに目撃される。
今週の大阪往復でも、またまたCAさんに声をかけられた。いきなり「今井先生♡」と来たから、エコノミー席のクマ助はもう大慌て。何しろあの日の服装ときたら、30年前のジャケットに、25年前のズンボ。靴は雨に濡れ、オヒゲも湿気を含んでヨレヨレ。こんな姿を昔の生徒に見られたんじゃ、センセーの威厳も台無しだ。
「先生♡覚えてらっしゃいますか?」とニコヤカに尋ねられても、さっぱりワケが分からないが、「3年前にも機内でお目にかかりました」「ジャンボ機の1A席に乗っておいででした」など、さすがCAさんであって、敬語もしっかり整っていらっしゃる。
しかし、「覚えてらっしゃいますか♡」と言われたって、覚えているはずもないじゃないか。今井君がどのぐらいの頻度でヒコーキに乗っているか、かつどのぐらいの頻度でモト生徒のCAさんに挨拶されるか。それを考えたら、「覚えている」なんてのは、ほぼ不可能に近いのである。
(御茶の水というか神保町、ロシア料理の名門・サラファン)
ただし、マナーの悪いお客の存在はしっかり記憶に刻み込む。「他山の石」にするためである。「新聞は何になさいますか?」と尋ねられて、「日経、ちょうだい」。「お食事のご準備をいたします」と言われて、ヒトコト「いらない!!」。対等の関係なんだから、ボクチンなら敬語をつかいますがね。
2年半前、パリの「うなぎ 野田岩」でも、同様のオジサマに出会った。せっかくのウナ重を半分まででヤメてしまい、「どうかなさいましたか?」と尋ねられて、何と冷酷にも「もういらない。旨くない。下げて」ときた。
いやはや、余程のグルメ様なんだろうけれども、、「パリのうなぎ」という悪条件の中、あんなに健闘しているお店に対する礼儀と言ふものがあるんじゃないか。今井君はあれがショックで、ますます敬語のトリコになってしまった。
ヨーロッパの空港ラウンジには、「スリッパ♡オジサマ」なんてのも存在する。日本のオジサマたちには、困ったヒトビトが多いのである。なぜか彼は、インターコンチネンタルホテルから頂戴してきたスリッパを空港ラウンジで着用におよび、スタスタ音をたてて闊歩していらっしゃる。
このオジサマには、何度か繰り返して出会っている。ホテルの部屋から頂戴してきたスリッパを履くのは、せめて機内に入ってからのほうがいいんじゃないかと思うが、彼はどうにも待ちきれないらしく、ラウンジで長時間スリッパ姿を披露するのである。
(神保町「サラファン」名物・ロールキャベツ)
さて、他山の石がそこいら中にゴロゴロしている東京で、先週から今週にかけてのクマ助は何故かロシア料理の店に入り浸っていた。渋谷「ロゴスキー」が閉店したショックだと思うが、無性にボルシチとピロシキが食べたくなったのである。
ある夜は、御茶の水「サラファン」に出かけた。御茶の水で40年営業を続けている店である。正確には御茶の水というより神田神保町であり、三省堂書店のすぐそばであるが、「40年」ということになると、何と今井君の上京よりずっと前からこの場所で営業を続けてきたことになる。
古本屋街も近い。店の位置は、むかし文庫本専門の古書店「文庫川村」があったあたり。古書を求めて神保町をブラブラしたのももう大昔のこと、今まで気づかなかったが、しっかり着実に経営を続けて来たんだと思う。
古色蒼然とした雑居ビルを地下に降りていくと、「20人も入れば満員」というセミ穴蔵のような店舗があって、いかにも経験豊富そうなウェイターがテーブルに案内してくれる。よほど丁寧に案内しないと、そこいら中で客が天井や壁にぶつかってケガをしそうである。
(西新宿、名店「スンガリー」名物の壷焼き)
今ではあまり目立たないロシア料理だが、1980年代まではソビエト連邦に憧れるヒトビトがワンサといた時代。ソ連を天国として憧れれば、召し上がるものももちろんソ連じゃなきゃいけなくて、ボルシチにピロシキこそ天国フーズと信じて疑わない人も少なくなかった。
大学の経済学部では、「近経にする? マル経にする?」と学部1~2年生がまだ真剣に討論していた。「限界革命」「新古典派」「ケインズ」が中心の近代経済学を専攻するか、それともマルクス経済学を専攻するか。学部生にとって、将来を決める重大な分かれ道だった。
そのぐらい、まだマルクス経済学が幅をきかせていたので、岩波新書にも岩波文庫の白帯にも、マルクスとエンゲルスとレーニンはタップリ入って、社会科学系の人気者だった。
文学部のロシア文学科だって人気で、「早稲田の露文科でゴーリキーを専攻」は文学青年の定番。新宿歌舞伎町に「どん底」という有名店もあった。そういうふうだから、大学のある街には少なくとも1軒のロシア料理店が必須であった。
ロシア民謡のレコードが力強くロシアの大地の春の美しさを称賛し、冬の厳しさと夏の短さを嘆き、雪の中の生活のホノボノとした人間味を歌い上げた。教授に連れられた学生たちの集団が、みんなで静かにボルシチを口に運び、痛飲したウォッカに感極まって、手を取り合って踊りだしたりした。
しかし諸君、冷戦が終わりを告げ、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連の名が歴史番組でしか登場しなくなり、書店の本棚からマルクスもレーニンも静かに退場していったのは、すでに4半世紀も前のころである。大学町ですら、ロシア料理の看板は見かけなくなった。
しかしそんなことを言っても、ロシアの料理は相変わらず旨いのだし、ウォッカを痛飲すれば楽しさに感極まる。今井君は懐かしいロシア料理を求めて、新宿・伊勢丹会館の「ペチカ」、渋谷東急プラザの「ロゴスキー」を、そんなに頻繁ではないにしても、訪ね続けたのである。
しかし、「ペチカ」も「ロゴスキー」も今や存在しない。手近なロシア料理の店として残っているのは、御茶の水「サラファン」と、新宿「スンガリー」ぐらいである。
こういうふうで、ロシア料理ファンも高齢化が目立つ。実は昨日のうちに西新宿・スバルビル地下の「スンガリー」にも入ってみたのだが、客の平均年齢は50歳代後半から60歳代というところか。
「むかし、マル経を専攻していた」
「ソ連に憧れて、ロシア語とロシア文学をかじった」
「新潟から船でハバロフスクへ、シベリア鉄道でソ連横断を企て、家族に泣いて止められた経験がある」
という感じのヒトビトが、男女合わせて20名ほど。しみじみとボルシチをすすり、マコトにしみじみとシャシリークの串にかじりついて、頷きながらヒツジの肉を咀嚼 ☞ 嚥下していらっしゃる。
(スンガリーのボルシチ。おいしゅーございました)
「スンガリー」では、壷焼きとシャシリークが美味であった。「サラファン」のほうは、評判通りロールキャベツが絶品。壷焼きは、前日の「スンガリー」の壷焼きでウルトラ満腹した直後でもあり、遠慮しておくことにした。
しかしサラファンの壷焼きは、「森の壷焼き」「海の壷焼き」「山の壷焼き」と3種も取り揃えてある。お店の雰囲気も古風でたいへん気に入った、いつか近い将来必ずサラファンを再訪し、「森」「山」「海」ともに楽しんでみようと思う。
午後8時、店に2つ残った柱時計が、むかし懐かしい音で正時を告げた。21世紀の青年たちは知らないだろうが「ボーン ボーン ボーン ボーン」と鳴る柱時計の音は秀逸。「柱時計が8時を打った」とか「3時を告げた」と昔の小説に書いてあったら、それはこの「ボーン」のことである。
時計の音を合図に、クマ助は勢い込んで〆のウォッカをショットで注文した。もちろんストレート。こんな強い蒸留酒がカラダにいいはずはないけれども、まあロシア人にとっては暖房代わりだ。ロシア料理の仕上げに2ショットぐらいはクイクイやらなきゃ、ホントのロシア料理とは言われないのである。
1E(Cd) Radka Toneff/Steve Dobrogosz:FAIRYTALES
2E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
3E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
4E(Cd) Jan Garbarek:IN PRAISE OF DREAMS
5E(Cd) Bill Evans & Jim Hall:INTERMODULATION
total m182 y505 d15829
ヒコーキだって、いつもならプレミアムクラスに乗り、必要以上にふんぞり返って見せているのに、「今回は遊びだから」「大阪まで文楽を見に行くだけだから」「1時間の旅だから、特割28のエコノミーで十分」と気を抜いている時に限って、「先生ですか?」のヒトビトに目撃される。
今週の大阪往復でも、またまたCAさんに声をかけられた。いきなり「今井先生♡」と来たから、エコノミー席のクマ助はもう大慌て。何しろあの日の服装ときたら、30年前のジャケットに、25年前のズンボ。靴は雨に濡れ、オヒゲも湿気を含んでヨレヨレ。こんな姿を昔の生徒に見られたんじゃ、センセーの威厳も台無しだ。
「先生♡覚えてらっしゃいますか?」とニコヤカに尋ねられても、さっぱりワケが分からないが、「3年前にも機内でお目にかかりました」「ジャンボ機の1A席に乗っておいででした」など、さすがCAさんであって、敬語もしっかり整っていらっしゃる。
しかし、「覚えてらっしゃいますか♡」と言われたって、覚えているはずもないじゃないか。今井君がどのぐらいの頻度でヒコーキに乗っているか、かつどのぐらいの頻度でモト生徒のCAさんに挨拶されるか。それを考えたら、「覚えている」なんてのは、ほぼ不可能に近いのである。
(御茶の水というか神保町、ロシア料理の名門・サラファン)
ただし、マナーの悪いお客の存在はしっかり記憶に刻み込む。「他山の石」にするためである。「新聞は何になさいますか?」と尋ねられて、「日経、ちょうだい」。「お食事のご準備をいたします」と言われて、ヒトコト「いらない!!」。対等の関係なんだから、ボクチンなら敬語をつかいますがね。
2年半前、パリの「うなぎ 野田岩」でも、同様のオジサマに出会った。せっかくのウナ重を半分まででヤメてしまい、「どうかなさいましたか?」と尋ねられて、何と冷酷にも「もういらない。旨くない。下げて」ときた。
いやはや、余程のグルメ様なんだろうけれども、、「パリのうなぎ」という悪条件の中、あんなに健闘しているお店に対する礼儀と言ふものがあるんじゃないか。今井君はあれがショックで、ますます敬語のトリコになってしまった。
ヨーロッパの空港ラウンジには、「スリッパ♡オジサマ」なんてのも存在する。日本のオジサマたちには、困ったヒトビトが多いのである。なぜか彼は、インターコンチネンタルホテルから頂戴してきたスリッパを空港ラウンジで着用におよび、スタスタ音をたてて闊歩していらっしゃる。
このオジサマには、何度か繰り返して出会っている。ホテルの部屋から頂戴してきたスリッパを履くのは、せめて機内に入ってからのほうがいいんじゃないかと思うが、彼はどうにも待ちきれないらしく、ラウンジで長時間スリッパ姿を披露するのである。
(神保町「サラファン」名物・ロールキャベツ)
さて、他山の石がそこいら中にゴロゴロしている東京で、先週から今週にかけてのクマ助は何故かロシア料理の店に入り浸っていた。渋谷「ロゴスキー」が閉店したショックだと思うが、無性にボルシチとピロシキが食べたくなったのである。
ある夜は、御茶の水「サラファン」に出かけた。御茶の水で40年営業を続けている店である。正確には御茶の水というより神田神保町であり、三省堂書店のすぐそばであるが、「40年」ということになると、何と今井君の上京よりずっと前からこの場所で営業を続けてきたことになる。
古本屋街も近い。店の位置は、むかし文庫本専門の古書店「文庫川村」があったあたり。古書を求めて神保町をブラブラしたのももう大昔のこと、今まで気づかなかったが、しっかり着実に経営を続けて来たんだと思う。
古色蒼然とした雑居ビルを地下に降りていくと、「20人も入れば満員」というセミ穴蔵のような店舗があって、いかにも経験豊富そうなウェイターがテーブルに案内してくれる。よほど丁寧に案内しないと、そこいら中で客が天井や壁にぶつかってケガをしそうである。
(西新宿、名店「スンガリー」名物の壷焼き)
今ではあまり目立たないロシア料理だが、1980年代まではソビエト連邦に憧れるヒトビトがワンサといた時代。ソ連を天国として憧れれば、召し上がるものももちろんソ連じゃなきゃいけなくて、ボルシチにピロシキこそ天国フーズと信じて疑わない人も少なくなかった。
大学の経済学部では、「近経にする? マル経にする?」と学部1~2年生がまだ真剣に討論していた。「限界革命」「新古典派」「ケインズ」が中心の近代経済学を専攻するか、それともマルクス経済学を専攻するか。学部生にとって、将来を決める重大な分かれ道だった。
そのぐらい、まだマルクス経済学が幅をきかせていたので、岩波新書にも岩波文庫の白帯にも、マルクスとエンゲルスとレーニンはタップリ入って、社会科学系の人気者だった。
文学部のロシア文学科だって人気で、「早稲田の露文科でゴーリキーを専攻」は文学青年の定番。新宿歌舞伎町に「どん底」という有名店もあった。そういうふうだから、大学のある街には少なくとも1軒のロシア料理店が必須であった。
ロシア民謡のレコードが力強くロシアの大地の春の美しさを称賛し、冬の厳しさと夏の短さを嘆き、雪の中の生活のホノボノとした人間味を歌い上げた。教授に連れられた学生たちの集団が、みんなで静かにボルシチを口に運び、痛飲したウォッカに感極まって、手を取り合って踊りだしたりした。
しかし諸君、冷戦が終わりを告げ、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連の名が歴史番組でしか登場しなくなり、書店の本棚からマルクスもレーニンも静かに退場していったのは、すでに4半世紀も前のころである。大学町ですら、ロシア料理の看板は見かけなくなった。
(西新宿スバルビル、スンガリーの「シャシリーク」。串焼きである)
しかしそんなことを言っても、ロシアの料理は相変わらず旨いのだし、ウォッカを痛飲すれば楽しさに感極まる。今井君は懐かしいロシア料理を求めて、新宿・伊勢丹会館の「ペチカ」、渋谷東急プラザの「ロゴスキー」を、そんなに頻繁ではないにしても、訪ね続けたのである。
しかし、「ペチカ」も「ロゴスキー」も今や存在しない。手近なロシア料理の店として残っているのは、御茶の水「サラファン」と、新宿「スンガリー」ぐらいである。
こういうふうで、ロシア料理ファンも高齢化が目立つ。実は昨日のうちに西新宿・スバルビル地下の「スンガリー」にも入ってみたのだが、客の平均年齢は50歳代後半から60歳代というところか。
「むかし、マル経を専攻していた」
「ソ連に憧れて、ロシア語とロシア文学をかじった」
「新潟から船でハバロフスクへ、シベリア鉄道でソ連横断を企て、家族に泣いて止められた経験がある」
という感じのヒトビトが、男女合わせて20名ほど。しみじみとボルシチをすすり、マコトにしみじみとシャシリークの串にかじりついて、頷きながらヒツジの肉を咀嚼 ☞ 嚥下していらっしゃる。
(スンガリーのボルシチ。おいしゅーございました)
「スンガリー」では、壷焼きとシャシリークが美味であった。「サラファン」のほうは、評判通りロールキャベツが絶品。壷焼きは、前日の「スンガリー」の壷焼きでウルトラ満腹した直後でもあり、遠慮しておくことにした。
しかしサラファンの壷焼きは、「森の壷焼き」「海の壷焼き」「山の壷焼き」と3種も取り揃えてある。お店の雰囲気も古風でたいへん気に入った、いつか近い将来必ずサラファンを再訪し、「森」「山」「海」ともに楽しんでみようと思う。
午後8時、店に2つ残った柱時計が、むかし懐かしい音で正時を告げた。21世紀の青年たちは知らないだろうが「ボーン ボーン ボーン ボーン」と鳴る柱時計の音は秀逸。「柱時計が8時を打った」とか「3時を告げた」と昔の小説に書いてあったら、それはこの「ボーン」のことである。
時計の音を合図に、クマ助は勢い込んで〆のウォッカをショットで注文した。もちろんストレート。こんな強い蒸留酒がカラダにいいはずはないけれども、まあロシア人にとっては暖房代わりだ。ロシア料理の仕上げに2ショットぐらいはクイクイやらなきゃ、ホントのロシア料理とは言われないのである。
1E(Cd) Radka Toneff/Steve Dobrogosz:FAIRYTALES
2E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
3E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
4E(Cd) Jan Garbarek:IN PRAISE OF DREAMS
5E(Cd) Bill Evans & Jim Hall:INTERMODULATION
total m182 y505 d15829