Mon 090223 2月21日船橋講演会 とびこみ参加者続出 明治・法政など合格報告 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090223 2月21日船橋講演会 とびこみ参加者続出 明治・法政など合格報告

 2月21日は船橋で講演会。所用があって浜松町まで出かけ、新橋から船橋まで総武線快速に乗った。東武野田線という首都圏のローカル線があるが、その沿線の大都会、大宮・春日部・柏・船橋には懐かしいほぼ同質の賑わいがあって、「うちは東武野田線なんかとは全然関係ありませんよ」と言って済ましているのが、その共通点である。春日部での「実力を正当に認めてもらえない」つらさと苦しさに育てられた私としては、この賑わいには切ないほど懐かしい記憶が詰まっている。春日部時代(090222参照)、高校英語の授業でも、目の前にはたった8人。現代文の授業は2人だけ。中学英語は3名。しかも「何でこんな塾に入っちゃったんだろう」という不承不承の子供たちが、叱っても叱ってもノートを取らない最悪の状況。先輩講師には暖かく慰められ、慰めが暖かければ暖かいほどその分ミジメさは募り、早春の春日部のぬかるみの中を、「飲みに行こうぜ」と誘われて、「つぼ八」またはその隣の「おらが村」に向かって歩いていく道々、その小さな塾の「スター講師」であるつもりの先生方の自信満々の話しぶりを聞きながら、本当につらい思いを噛みしめたものだ。


 もちろん、「スター講師」と言っても、春日部の弱小塾のスター講師である。彼らの目の前にいる生徒だって、やっぱり5名か10名。大したスターではないのだ。しかし、「あの先生に担当してもらえれば、もう大丈夫だ」という安堵感をもらえる立場と、「あああ、実績のない新人先生になっちゃった」と目の前で溜め息をつかれる立場とでは、雲泥の差である。私があの頃春日部で耐えたのは、完全に後者の立場。しかも、「もし目の前に100人生徒がいてくれたら、絶対に負けることはないのに」という自負も自信もあって、それなのに目の前には常に2~3人、得意な科目から切り離されて、ダメだダメだと言われ続けることに毎日毎晩耐え続けたのだから、私の忍耐力はあのとき最強に鍛え上げられたのである。


 しかしあれももう20年も昔のことである。その後で河合塾→駿台→代ゼミと走り抜けて、今になってみれば、ほとんど極限状態で忍耐力を鍛えられたのも「今は昔」、船橋の東武線沿線の雰囲気も、大いに懐かしいだけである。それどころか「あんなこともあった」「こんなこともあった」という時代劇の終盤みたいな思いに駆られさえする。もちろん今からそんな思いでいっぱいになっていてはいけないので、いろいろチャレンジするのは、まさにこれからである。年の初めに考えた通り、どんどん本を書いて、どんどん出版して、「出版したからすぐに広告しなければならないような著者さん(でもないでしょう)」などという発言を、やすやすと出版社に許すような立場から早く脱却しなければならないのである。

 

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(船橋講演会、教室の前半分。写真をお願いしたスタッフが、満員のせいで移動できなくなり、後ろ半分がどうしても写真に入らなくなってしまった。本当は、机なしの椅子のみでギュウギュウの後ろ半分を掲載したかったのだが、その点が残念)

 予定では、19時10分開始だったのだが、予想以上に受講者が集まってしまい、開始が10分ほど遅れた。予定では出席者130名。しかし実際に開場してみると、出席者は160名を超えて、170名に迫る勢い。大きな会場なら突然30~40名増えても何とでも対応できるところであるが、今日もまたゴミゴミした船橋駅前の雑居ビルが会場である。ギュウギュウに詰め込んでも140名しか入らないところに、170名はキツい。若いスタッフ全員で机を移動させ、椅子を移動させ、それでもうまく行かずに椅子を早急に手配して増席し、10分後、何とか出席者全員を着席させることが出来て、19時25分頃、やっと講演会がスタートした。


 本来なら、こういうドタバタは望ましいことではないのだ。130名で締め切ったなら、たとえ当日に新規の受講生が事前の申し込みもなく駆け込みで訪れても、断って帰ってもらうのが常道なのかもしれない。少なくとも、事前にしっかり申し込みを済ませた受講生が、時間通りにやってきて(というより、熱心な受講生は講演開始の2~3時間前に会場に到着して最前列を確保していたのだ)、ジリジリしながら開演を待ち受けていた。それなのに、とびこみの参加者が30名も40名も訪れたからといって、そのために開始時間を15分も遅らせるのは問題があるだろう。


 しかし、とびこみでやってきた彼らもまた、その熱心さにおいてヒケをとるものではない。部活が長引いて今やっと到着という高校生もいれば、この講演会についてついさっき伝え聞いて「ええっ、それならどうしても」という人もいるはず。しかもこんなに詰め込まれて、黒板もよく見えない席に座らされて、それでも90分頑張って聞いてみたいというなら、受け入れるのが私の主義である。ただし、その場合でも絶対に私語厳禁。私語厳禁という絶対条件を守ってもらえるなら、ずっと前から来てジリジリしながら待っていた受講生には私から誠実に謝ってでも、新規の人たちを受け入れてあげたいのである。


 首都圏の東進で実施する講演会は、原則として雑居ビルの中の校舎内で行う。地方都市なら公共の大きな講演会場なり、場合によってはコンサートホールなりを借りて大規模なものにするのだが、首都圏ではそういう贅沢を言ってはいられない。校舎数も抜群に多くて、ほとんど一駅ごとだから(常磐線沿線なんか、北千住・綾瀬・金町・松戸・新松戸・柏・南柏・我孫子・取手だ。東進の校舎がない駅の方が珍しい)、校舎単位で行う講演の参加者だって70人か80人集まったら立派なものである。それが今日は170名に近い記録的な参加者数。こんなに集まってくれたものを、「事前に申し込んでいない人は受け入れられません」と言って追い返すほど、私はラクをして育ってきた記憶はない。20年前、春日部で毎日泣きそうだった私の前には「お前の話なんか聞きたくない」という顔の高校生が2名か3名、バカにした顔でイヤそうに座っていただけだったのだ。

 

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(船橋講演会、前半分)


 というわけで船橋での講演もまた大成功のうちに、21時すぎに終了。300名400名という単位の大講演会に比べれば、もちろん今夜の講演は中規模のものに過ぎないが、狭い会場にギュッと詰まった熱心な生徒たちの熱気というものは、話す私にとってもこの上なく嬉しいものであった。生徒の反応も最高レベル。最初は少しはしゃぎすぎの部分もあったが、15分も経過するとすっかり落ち着いて、じっくりよく話を聞いてくれたと思う。スタッフの皆さんにも、受講生諸君にも、大いに感謝する。


 講演後、控え室に戻ると、「明治に合格しました」「法政に合格しました」など、今年の受験生たちの合格報告が待っていた。そういえば、ちょうど明治法政中央とか立教青山学習院とか、私立大学の合格発表がたけなわの時期である。2月3月の講演は現高校2年と1年の諸君が対象であって、今年の受験生は出席できないのだが、こうしてわざわざ講演スケジュールを調べて報告に来てくれる生徒がたくさんいるのは嬉しいことである。「おおそうか、明治の文学部か、平野謙や倉橋由美子以来の名門だぞ」とか「おお、そうか、法政で国際関係をやるのか、下斗米伸夫先生のゼミはどう?」とか、合格したばかりの幼い顔の生徒たちと楽しく話し合うのもまた楽しかった。


 船橋発22時の総武線快速に乗り、馬喰横山で都営地下鉄に乗り換えて帰宅23時半。今年は気温が高くて春の訪れも早いということなのだが、自分としてはどうもいつまでも気温が低くて寒さがキツいように感じる。まあ、気のせいか。

1E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 1/2
2E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 2/2
3E(Cd) The State Moscow Chamber Choir:RACHMANINOV/VESPERS op.37
4E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:
MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
5E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA
6E(Cd) Dutoit & Montréal:RESPIGHI/LA BOUTIQUE FANTASQUE
7E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 1/2
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