Sun 090222 むかし私が経験した分水嶺 今日の受験生が経験する分水嶺 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 090222 むかし私が経験した分水嶺 今日の受験生が経験する分水嶺

 「自分の能力を正当に評価してもらえない」という思いほど悲しいものはなかなか考えられない。しかし同時に、この思いほど普遍的なものも珍しくて、よほど恵まれた人か、よほど鈍感な人間を除けば、ほとんど全ての人間は「正当に評価してもらえない」という嘆きの中で成長し、同じ嘆きの中で人生を生き、老いて死ぬのである。人を正当に評価しない最初の関門が入学試験であり、それは中学入試・高校入試・大学入試から始まって就職活動まで、その激しさや競争率の高さよりも、「このやり方では自分の能力の高さをしっかりと判断してもらえない」という焦りと重苦しい不安の重圧で人を苦しめ、人間を不快な方向に歪めてしまう。今日始まる(これを書いている時点で、既に2月25日午後である)国公立大学の2次試験はその最たるものであって、そこに寄生して生きている予備校講師などという存在は、自分自身どう弁解していいか解らないほどの、つまらないイジケ虫である。


 イジケ虫は、「塾の講師室」というイジケ虫の集団の中で成長する。昨日書いた「国立学院予備校」などというのが、まさにイジケ虫集合体(だったような気がする)。電通を退職してここに籍を置いた30歳直前の私としては、「この程度の集団の中で高く評価されないはずはない」という、無闇に高い自負心の中で、それなのに全然高く評価されない事実に喘いでいたと言っていい。電通のエリートビジネスマンの席を捨てて、こんなレベルの集団に降りてきた以上、その能力でも才能でも、あっという間にトップに躍り出て「超人気講師」として売り出してもらえるだろう、というのが当時の思惑だった。中小塾で売り出してもらえたら、すぐに河合塾なり駿台なりに転身して、一気に「予備校界のカリスマ」か何かになって、電通の人たちの鼻をあかしてやろう、そういう発想で「国立学院予備校」を一種のロイター板みたいに考えていたのである。

 

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(呉越同舟 1)


 しかし現実には「勤務地は、春日部」。急速拡大中の「国立学院予備校」としては、何よりも新校舎開設に熱心で、採用した新人講師の仕事は、まずチラシ配りと生徒募集。最初の目論見は見事に外れて、まさにドブ板営業の最前線に立ち、「教壇で偉そうに講義」などという仕事に入れたのは1ヶ月も2ヶ月も後だった。「自分で教える生徒は自分で集める」というのが当時の会社のモットー。そう言われてしまえば、まさにその通りなのかもしれなくて、誇りもプライドも捨てて、ドブ板の上でせせら笑われつつ、目の前の生徒募集に全力を尽くさなければならなかった。


 では、やっとのことで新校舎での授業が始まって、それでプライドが回復できたかと言えば、やはり全くそんなことはなくて、自分で考える「正当な評価」と、他人の下す評価とは、信じがたいほどに大きくかけ離れたまま。この場合、自分の自分による自分のための評価を「主観的」、他人による偏った評価を「客観的」と名付けてしまえば、「主観」が「客観」に太刀打ちできる可能性は極めて低いのであって、この時、気の弱いナイーブな若者なら力つきてしまっても何の不思議もない。幸い私は気が弱くもなければナイーブでもないから、この辺の修羅場は何とか耐えぬくことが出来た。まずやらされたのが小5算数。続いて小6国語。中1英語、中2英語、中3英語。高3現代文。さらに高3日本史、小4国語と続く。


 要するに自分の得意分野以外のすべてが次から次へと課題として与えられ、もちろん実力は発揮できる訳もなく、「今井さんは、授業は下手だ」「全然ダメだ」「成績が上がらない」と悪口雑言を叩き付けられ、一応は正社員なのに「アルバイトの時間講師にも敵わない」という定評をつけられる。中学英語のエースは、久保先生。久保先生でないと「ハズレ」。ハズレは今井のクラス。高校英語のエースは井場先生と八木先生で、ハズレは今井クラス。例えそういうことにされても何の文句も言えなかった。だから、当時の「国立学院予備校」の同僚が、その後の今井が「駿台お茶の水で東大スーパークラスをずっと担当した」「代ゼミでサテライン8講座を担当していた」とか風の噂に聞いたとしても、あの時の今井と同一人物だと思う人は滅多にいないのではないかと思う。それでも、そういう扱いに耐える日々というのは、誰にでもあるものである。私の場合、そういう日々は「学究社」を退職して河合塾に勤め始めるまで、延々と連続したのである。

 

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(呉越同舟・拡大図)


 当時の「国立学院予備校」の国立本校には、その後3大予備校のエース級になった先生方もいた。しかし、「遅れてきた存在」である私から見れば、当時の彼らは雲の上の存在。国立本校から見れば、滑稽なほどダメな校舎でしかない春日部校の、そのまたダメ講師。やっとのことでやらせてもらえた「高1英語」「高2英語」で、ほんのちょっとだけ人気が出ると、今度は「出るクイは打たれる」経験が待っていて、あっという間に「今井さんに任せるとクラスが荒れる」という評判にされた。まあ、他の講師の人気を奪ってしまっては、彼らが強い反撃に出てくるのも仕方がなかったのかもしれない。


 しかし、いま思えば、あれが分水嶺だったのかもしれない。雲の上の存在だった当時の人気講師たちをゴボウ抜きに出来たのは、実際には河合塾で講師を始めてからだったし、河合塾1年目で池袋校の早慶クラス担当になってからは、昔私の雲の上の存在だった先生方をプライベートジェットから眺めるようなスピード出世を実現したのだが、「分水嶺」ということなら、国立学院予備校春日部校の2年目、「高2英語」の担当でたった8名の生徒の人気をさらった瞬間にあったように思う。


 「分水嶺」という言葉から連想するのは、氷雪に覆われ人を寄せつけない峨々たる山々であり、圧倒的な断崖絶壁であるかもしれない。しかし、本当の分水嶺というものは、人知れずコッソリと待ち受けているもので、ウネウネ進む電車の車窓から水の流れを見ていると、さっきまで左に流れていた谷川が、ふと気がつくと右に向かって流れている。電車の乗客は誰もそれに気づかないで、暢気におしゃべりに興じたり、お弁当をムシャムシャやっていたり、居眠りしたりしている。しかし自分だけは、「お、流れが反対側に転じたぞ」という小さな感動とともに、向こう側に流れはじめた水のきらめきを見つめている。それが分水嶺なのである。内田百閒が、同じようなことを書いている。何しろあれだけとぼけた人だから、特に感動した様子もなくその感動を随筆にしているのだが、確か「分水嶺」というタイトルのごく短い随筆。全集本にして20冊以上になる彼の随筆を全部読破でもしないかぎり見つからないような、2~3ページの小随筆だが、もし興味があったら、図書館で見つけて、全巻読破に挑んでほしい。

 

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(呉越同舟 2)


 今日の「国公立大学2次試験」で、若い受験生諸君が体験するのは、そういう分水嶺なのである。万人の感動を誘うような美しい体験が隠れている訳でもない。予備校が宣伝する「奇跡」「伝説」「秘蹟」「ミラクル」みたいな激しい経験をすることもない。ごく普通に受験に出かけ、ごく普通に全力を尽くし、ごく普通に合格するものは合格し、合格しない者は合格しない。何か人間の力を超越するような大事件が発生するほどのことは、一切考えられないのである。しかし、それこそ分水嶺の真骨頂であって、今までとは全く違う方向性をもった、鈍感な人間には感じ取れないような、きわめて微かな流れの変化が起こっているのだ。昨日までとは違う水の流れの音ときらめきの変化である。今日までの受験生たちには、感じ取りにくいだろうが、今日からは少しだけ違う流れの主体になったことを感じて、日々の努力を継続してほしいと思う。