Sat 090221 明日の受験生諸君が考えるべきこと 2月20日武蔵境講演会 重要な分水嶺 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 090221 明日の受験生諸君が考えるべきこと 2月20日武蔵境講演会 重要な分水嶺

 風邪を引いてお腹が大惨事一歩手前まで行ったり、熱っぽくて気力が出なかったり、荒々しい夕方の通勤ラッシュで悲しい気持ちになったり、出版社とのコミュニケーションがうまくとれなくてつらくなったり、気の弱いクマさんが穴蔵やネグラで悶々と暮らしている日々にも、講演会は続くのである。地方に出かける時は「プレミアムシート」とか「グリーン車」とかでちやほやしてもらえるが、首都圏に帰ってきて混雑した電車で移動すると、みんなの荒々しさがそのぶん返って身にしみる。そういうことが身にしみてつらいとき、講演会で訪れる校舎スタッフのあたたかさとか、スタッフの努力の懸命さとか、受講生諸君の熱心さとか、そうした一切が嬉しくてたまらない。「東進に移籍してきてよかった」と心から思うのが、実はこういう雑居ビルの一室で行う講演会の最中なのだ。


 2月20日は武蔵境での講演会。武蔵境には、井の頭線で吉祥寺、吉祥寺で中央線下りに乗り換え、2駅である。相も変わらず中央線は遅れて、しかもその遅れにいろいろくだくだ言い訳がついて、「ドアに人が挟まったから」「忘れ物の点検をしたから」その他3つも4つもの言い訳を、電車が止まっている間ずっと言い続けているのが、またさらに見苦しい。客もみんな舌打ちしているが、吉祥寺到着が4分遅れた青梅行き快速は、次の三鷹で「青梅行き通勤快速」通過待ち合わせのために停車、しかもその「青梅行き通勤快速」は、三鷹を発車するときにまたまた「ドアに物が挟まったという緊急信号が鳴って」2分停車。セキュリティシステムが厳重すぎてマトモに走れない運行システムになってしまっているのかもしれない。


 武蔵境は、思えば懐かしい駅である。電通を辞めた直後にアルバイト気分で講師になった学究社(当時は「国立学院予備校」、Thu 081225参照)で、最初の一ヶ月の研修が武蔵境校舎だったのである。自分で会社を衝動的に辞めておいて、そのくせ変に絶望的になりつつ、千葉県松戸駅前のアパートから1ヶ月、お茶の水経由で毎日武蔵境に通った。10月だった。あの10月は、雨が多かった。松戸のDマートの脇、刃物屋が建てた5階建てのマンションの3階が当時の住処で、換気が悪くて壁一面に黒いカビが生える安マンションから、武蔵境まで1時間半以上たっぷりかかったものだった。

 

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(武蔵境講演会 1)


 そうやって一時間半かけて武蔵境に到着すると、当時の武蔵境にはまだ武蔵野の面影が残っていて、日本獣医畜産大学の小さなキャンパスがある以外は閑散とした風景が広がり、特に駅の北側は、田園風景の中に住宅がポツリポツリ並びはじめたという感じだった。国立学院予備校・武蔵境校は、校舎が出来て2~3年の小規模校舎で、校長はヤマハを辞めてきたという合六(ごうろく)先生。小学生クラス責任者を務める算数の「小越先生」がいかにも優しくて気の弱そうな人だったのと、それとは対照的に生徒を罵倒してばかりいる国語の「柳本先生」とが印象的。それに受付の「北島さん」を加えて、皆で和気あいあいと雑談しながら、お互いの昔話に対して「すばらしい」「すばらしい」と言いあうのが楽しそう。それが感染して、今でも時々私は人の話を茶化す時に「すばらしい」の一言で済ませることがある。


 あの時の一ヶ月で「研修中」の私に課された仕事は「上位私立高校受験の中3用英文法プリント集作成」。まるまる1ヶ月コピー機の前に立ちっぱなしで、早稲田慶応の付属高校などの過去問題をコピーし、その中からめぼしい文法問題を切り抜いて、最も効果的と思われる文法問題集を作成した。広告代理店などというチャラチャラした職場から解放されて、雨がちの地味な天気の中、これほど地味な街の、これほど静かな職場の中で、これほどマジメな仕事に取り組むのは、それなりに新鮮であり、十分に癒され、その後の(大したものではないにしても)飛躍に向けていい準備期間になった。今思うと、あの雨の多い秋の一ヶ月間が、自分にとって最重要の分水嶺だったのかもしれない。


 2月20日の東進ハイスクール武蔵境校講演会は、19時開始、21時終了。出席者80名弱。街は大きく変化して、駅南口も北口も昔の面影はなかったが、静かな落ち着いた住宅街の雰囲気は昔のままである。予備校文化の定着していないこういう街で、よく80名もの受講生を集めてくれたものだし、集まった受講生諸君も残り1年をキチンと努力して過ごそうという気概に溢れた、たいへんいい表情をしていた。校舎長、若い校舎スタッフの皆さんに大いに感謝する。100名以下の小規模講演会だったから、英文法を中心に10問ほどを解説する授業中心タイプの講演会にした。用意されたホワイトボードが余りにも小さくて苦労したけれども、受講生がこれだけ熱心に聞いてくれれば、少しばかりの環境の悪さには十分に目をつぶることが出来る。


 講演終了後、講師控え室をまず最初に訪れてくれたのは、「ついさっき慶応義塾大学法学部への進学が決まった」という男子生徒である。確か昨年も冬のこの時期に武蔵境校で同じような講演会をやったのであるが、彼はその時に今井の訴えかける地道な勉強法に目覚め、音読しまくり、書いて書いて書きまくる、まるで運動部のような学習法を実践して、一気に成績を上げてきたのだという。同じように「今井の講演で突然目覚める」という事例は多くて(ま、自慢ですが)、チャラチャラやっているより、音読しまくり書きまくって力ずくで合格を勝ち取った東進の生徒からの報告は少なくない。

 

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(武蔵境講演会 2)


 これを書き、ブログとしてアップする段階で2月24日午後4時。明日から国公立大学2次試験が開始になるから、今年私の授業を受けた高3生&高卒生諸君は、いよいよ明日が勝負になるわけである。勝負直前のこんな時間帯に、まさか今井のブログなんか読んでいる暢気な人間が、そんなにたくさん存在するはずはないけれども、まあそれでもちょっとばかし「熱いメッセージおくりまーす」をやるとすれば、音読しまくり書いて書いて書きまくって地道な努力を大量に積み重ねてきた諸君なら、別にそんな大きな緊張感をかかえて試験会場に向かう必要性はない。私がサインで書く「鎧袖一触」とはそのことであって、そういう努力の実績を積み上げてきた人間には、ヒヨワな敵は、マトモに歯向かうことさえ出来ない。「鎧の袖が一瞬触れただけで敵がバタバタ倒れる」から「鎧袖一触」なのである。そのぐらいの自信を持って、悠然と試験会場に趣き、悠然と試験問題に向かい、悠然と勝利してくればいいのである。「もし眠れなかったら」などという心配自体が、愚か。地道な努力を積み上げてきた諸君なら、たとえ眠れなかったとしても全く問題はない。睡眠不足でも悠然と勝てるだけの力が漲っているはず。ベッドで横になって身体を休めているだけで十分な休養になる、そう考えて休んでいれば、眠りは自然に訪れる。


 ついでに言えば、「これがゴールだ」という妙な感動を居抱かないことも重要。たかが大学受験がゴールで、「その先は遊べるんだから、今日は死に物狂いで」という発想は、脳の能力を発揮するにはマイナス要因でしかない。25日の試験なんか、毎日通過する駅や道路標識や道ばたの風景と同じような、ごく平凡な通過点に過ぎない。その趣旨で、今日の記事の前半に「国立学院予備校・武蔵境校」の思い出を書いた。電通を辞めて、「これで人生は終わりかな」と思い、ほんの通過点のアルバイト気分であそこに通った1ヶ月が、後になってみると人生で最大の通過点だったのかもしれないと気づく。どうもそういうものらしくて、18歳の2月末に他人と国家の制度が受験生諸君に否応なく設定してくる大きな通過点などというものは、後で振り返れば大した通過点ではない可能性が大きいのだ。


 「今日で人生が決まる」「今日で勝負が決まる」「だから全力を出し切って全力で勝負」、初陣の若い戦士がそう考えて武者震いする姿は、屈強のベテラン戦士から見れば、微笑ましい種類のものに過ぎない。そんなに力が入っていては、ダメなのだ。重要な分水嶺は、知らんぷりをして近づき、知らないうちに遠ざかり、10年も20年も経過して「あそこが分水嶺だったのかもしれない」と気づくもの。明日の戦いは、重要に見えれば見えるほど、大局的に見れば、返って大したものではないのである。そのぐらいの楽な気持ちで目覚め、そのぐらい気を楽にもって出かけ、戦い、勝ち抜いてきてほしいと思う。


 来年の受験生の皆さんにも、先輩の戦いぶりを頼もしい思いで見ていてもらいたい。なるほど、鎧袖一触の力量をじっくり身につけ、ああやって悠然と戦い、勝ち抜いてくるのでなければいけないのだ、そういう姿勢で先輩の戦いを見つめ、喝采することから、自分の戦いを開始してほしいのである。