Wed 090114 新刊書のゲラ校正中 食中毒&アワビアレルギー 熱は下がらないまま | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 090114 新刊書のゲラ校正中 食中毒&アワビアレルギー 熱は下がらないまま

 これを書いている時点で、1月18日昼12時である。丸々4日分も更新が遅れてしまって、誠に申し訳ない。14日から17日は今度出る新刊書のゲラの校正で忙しく、ゲラを持って丸の内のおでん屋だの新丸ビルのワインバーだの梅ヶ丘の飲み屋(例の「へちもんや」だ。Thu080821参照)だの、強い冬型の気圧配置の中、寒い北風が吹きつのる都内を右往左往していた。それがいけなかったのかもしれない。昨夜から熱が出て、熱のせいか食べた物のせいか、飲み食いした物を大量に戻してしまい、へとへとになって現在に至る。


 本来ならゲラの校正などというものは、自宅の自室で暖かくして進めるのが定石なのだ。しかし2009年になってから始まった校正はこれでもう3回目。正直言ってそろそろ原稿を丸暗記するぐらいになってきた。もともと、ブログでコツコツ書き溜めたものに書き加えたり修正したり削ったりして新刊書に仕上げたいきさつがある。私にはまあそれなりに完璧主義なところがあって、ブログに載せる前にも2度も3度も読み直して「てにおは」や漢字と平仮名のバランスや、そういうものにもひどく気を遣ってしまう。だから、ブログにアップするときにも何度も読んでいるので、ますます今度の校正は自室の中はイヤ、出来ればおでん屋やワインバーやで楽しみながらやりたいと思ったのである。
 

 そうやっていろいろな店をハシゴしたわけだから、ハシゴした店で出された何かの料理の中に、私の体質に合わないものが入っていたに違いない。クマみたいな雑食性の人間だから、ほとんど何を食べてもビクともするものではないのだが、唯一「アワビ」だけは絶対に身体が受け付けない。この「アワビ・アレルギー」は30歳になるかならないぐらいのときに判明した。それまではアワビを食べてみるほどのお金の余裕がなかったのだ。
 

 あの時は激しかった。食べた直後から顔がフランケンシュタインのような「ふた目と見られぬ顔」に変わり、全身に赤い発疹が出て、呼吸困難に陥った。ホントに息が出来なかったのだ。それでも医者の世話になるのだけはイヤだったから、喘息用の吸入薬を利用して呼吸を確保した。顔の腫れ、全身の発疹ともに、全てが治るまで1週間がかかった。その間の全身の痒みは今でも忘れられない。

 

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(箱は、決して譲らない)


 しかも、情けないことに、あの時のアワビは、アワビではなくてトコブシである。アワビを食べるほどのお金はなかったが、それでも「アワビを食べた」という気分になりたかったので、「トコブシのバター焼き」を食べてみたのだ。忘れもしない、埼玉県南浦和のあまり高級ではない飲み屋である。トコブシとは、アワビの子分の子分のそのまた子分みたいな情けないヤツ。水戸黄門で最後にやっつけられる代官さまがアワビだとすれば、その手先になっている材木問屋「越中屋」の用心棒に雇われている地元のヤクザがいて、そのまたチンピラみたいなのがトコブシである。水戸黄門が始まって、最初の1~2分は「うっかりハチベエ」がダンゴを食べ過ぎて水戸黄門に叱られ「ふあ、ふあ、ふあ」とかやっているのであるが、3分か4分ぐらいのところでいきなり音楽が変わって地元の若者なり女なりがチンピラに絡まれるシーンになる。トコブシとは、あいつらである。


 だから、トコブシなんか、助さん&格さんなり風車の弥七なりに「懲らしめてやりなさい」で済むところなのだが、あの時だけは弥七の風車が足りなくて、逆にこちらが目一杯痛めつけられることになった。あれ以来、トコブシもダメ、悪代官アワビ左衛門もダメ。桃太郎侍か暴れん坊将軍みたいに態度の大きいクマさんだが、「この紋所が目に入らぬかあ」と言ってフトコロからアワビを取り出されると、スタコラ逃げ帰るしかない状況が続いている。アワビのエキスが入ったスープもダメ。鉄板焼きで、海老とアワビを一緒に焼いて、その海老を食べただけでも、アワビのエキスが海老に染み込んでいるからダメ。最近なんか、寿司屋の水槽にアワビがいるだけで吐きそうになるし、アワビアワビとパソコンに文字を打ち込んだだけでも既に何だか危ないのである。


 そういうわけで、おそらくゲラの校正を続けながら、どこかで不用意にアワビのエキスが私の口に入ったのである。昨夜20時、帰宅したところからもう様子がおかしくなった。吐き気と、高熱と、悪寒が入り混じって「これは、人生最大のピンチかも」と口走りつつベッドに横になった。何せ校正作業に夢中になりながら、食べ物は夢うつつで口に運んでいたのである。どこでアワビさま(またはトコブシ君)のエキスが混じり込んで来たのか、記憶にもない。高熱は相当なもので、この段階では、体温計などとても恐くて持ち出せたものではない。万が一あそこで測ったら、小学校6年生の時以来の体温41℃が達成できていたかもしれない(Tue 081216参照)。

 

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(お互いが嫌いになることもある)


 あとはひたすら吐き気との戦いが続いた。息をしただけで「ああ、アワビだ」「いやトコブシだ」というイヤな匂いが鼻の周囲に漂い、これでは息をすることもままならない。いや、おでん屋で食べた牡蠣が悪くなっていたのかもしれない。いや、別に悪くなっていなかったとしても、長年のうちに身体が「牡蠣アレルギー」にもなったのかもしれない。イヤイヤ、牡蠣なら、マルセイユでもニースでもフランス人が目を丸くして(というより目を6角にして)驚嘆するほど食べてきたのだし、「エア・生ガキ」のワザもあるぐらいだ。牡蠣であるはずはない。そういうことを考えても、吐き気の中ではちっとも楽しくない。


 こうして夜11時半まで、吐き気との戦いは続いた。こういう時、「喉の奥に中指を突っ込んで無理やり吐いてしまう」という激しい行動も考えられないことではなくて、大学生の頃、酒を飲み過ぎればそういう強硬手段に出て窮地を脱したことも多かった。しかし、問題は「酒ではなくて食物が原因だ」ということである。食物の場合、胃の中にある原因物質のすべてを一気に吐瀉しないと、ラチが開かない。酒なら、飲み過ぎた分を飲み過ぎただけチャンと外に出せばそれで済むのだが、食物(特にアレルギーを持つもの)なら、出来るだけ我慢に我慢を重ねて、「胃の腑が裏返ったか」と実感するほど激しい吐瀉に持っていくのが有利な解決法なのである。


 と、いう訳で、昨夜23時30分、ついに噴火。4度に分けて、キチンと噴火した。その激しさは、大学3年の時、早稲田の学食で食べた「春巻き定食」で吐いた時を上回る、記録的な激しさであった。あれは9月のこと、台風が首都圏に上陸するとかしないとか、そういう大騒ぎの真っ最中だった記憶がある。


 昨日は、その直後に熱は下がった。「間違いなく下がった」という実感があって、大きな安堵とともに測ってみると37℃+α。相当キツい食中毒だったわけだから、あれから半日経過しても全身の倦怠がとれないが、まあどうやら危機は脱したのである。ただし、体温はまだ37℃+αで推移中である。

1E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos 2
2E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos 3
3E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos 4
4E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos 5
5E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos 6
6E(Cd) Menuhin:BRAHMS/SEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2
7E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
8E(Cd) Solti & Wiener:MOZART/GROßE MESSE
9E(Cd) Rilling:MOZART/REQUIEM
total m123 y123 d2361