Sat 081115 塾のいう採点基準をウノミにするな 「連立方程式では0点だ」と考えるな  | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 081115 塾のいう採点基準をウノミにするな 「連立方程式では0点だ」と考えるな 

 今日の話は中学受験を中心にして進めるが、高校入試でも大学入試でもほとんど同じことが言える。カンケーネー話、と短気を起こさないで、是非最後まで付き合ってほしい。テーマは「中学入試の算数で連立方程式を使ったら0点だ」という神話。この神話はいったいいつごろから広まったのだろう。1980年代や90年代、中学受験の塾の入塾説明会では、この神話がほとんど無批判に信用され、塾の先生方はいかにも得意そうに「算数には算数独特の解き方があって、面積図、線分図、そういうものを使って解かないと、大減点されるか、場合によっては0点です」などと大見得を切ったものだ。こういうほとんど都市伝説と言っていいようなバカな信仰は、いまだに中学受験の世界でまことしやかに囁かれていて、お受験ママの情報交換なりクチコミの中では「連立方程式のほうが効率的だけど、面積図を使わないと0点なんだって」という話はまだまだ根強い勢力を保っている。


 しかし、この伝説が大間違いであるのは、ほんのちょっと立ち止まって冷静に考えてみれば簡単にわかることだ。中学受験生たちが連日連夜ハチマキをして、真夜中すぎまで猛勉強して目指す有名中学は、ほぼ例外なく「自由闊達な思考力をもつ子供」を求めている。少なくとも、パンフレットにはそう書かれているし、中学側が主催する入学説明会でもそういう説明がある。「硬直したパターン思考に凝り固まった子供」を求めている中学など、日本国内に1つも存在しないはずだ。ある天才的な子供が、中学入試の算数の問題を、微分積分やベクトルや三角関数を利用して瞬時に解いてみせたとして、それを「小学生らしくない」として0点をつけるような中学があるはずがないのだ。連立方程式も、またしかりである。

 

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(近づく人間たちを狙うネコ姉妹1)


 「硬直した思考」とは「面積図や線分図を使った解き方以外は全てバツ」ということであり、「自由闊達な思考」とは「連立方程式を使っていようが、ベクトルや微分積分を使っていようが、論理的思考で正解を導いていれば全て高く評価する」ということである。微分積分を利用して解くべき大学受験の数学を、頭のいい受験生が初等幾何をつかって鮮やかに解いてみせれば、「おお、お見事」と喝采を受け、高く評価される。それと同じことで、「ある一定の幼稚な思考法のみ評価し、その他の高度な思考は全て排除する」というのはファッショである。優秀な受験生が目指すべき志望校にはふさわしくない。万が一そういう中学校が存在するなら、決して進学してはいけない。
 

 それでも納得できなければ、話を国語に置き換えてもいい。最近の難関中学や難関高校の国語では、テーマを与えて200字から600字にも及ぶ作文を書かせるのが流行のようだ。そういう作文の問題で「小学生らしい思考だから満点」、一方、大学生並みの(院生並み、という子供だっているから恐ろしいが)すごい作文を書いてきた子供の答案を読んで「生意気だから0点」「小学生らしい純真さが感じられない、よって大減点」などという採点をするものだろうか。これは、余りにも明らかな話である。

 

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(近づく人間たちを狙うネコ姉妹2)


 では「塾がウソをついてきたのか」というと、それも違うようだ。塾側の真意は「連立方程式をつかうより、面積図を利用する方が小学生にとってはスピーディーだ。だから面積図の方が有利だ」ということだったのである。中学入試では大学受験のセンター試験なんか問題にもならないぐらいの大量の問題を、短時間で処理する能力が要求される。御三家と呼ばれる私立女子中学の社会の問題を見てみると、試験時間40分で80問の問題を解かなければならない。しかもほとんどすべてが記述式。記号を書き込めば済む問題は全体の1/4ぐらいである。
 

 算数も同じこと。のんきに連立方程式なんか使って、この変数をxとおき、こっちをyとおく、とかやっていたら、確かにこの「時間との勝負」には勝てそうにない。だから塾としては「面積図を使わないと不利です」と発言したのが、おそらく言葉が足りなかったのだろう、父母の頭の中では「そうか、独特の解き方でないと0点にされるのか」と翻訳されてしまったのである。
 

 しかし、そういう事情にも最近大きな変化が生じつつある。中学受験算数の出題傾向がが、すっかり様変わりしたのだ。ほんの10年ぐらい前までは、中学入試と言えば「特殊算」。つまり、植木算、つるかめ算、過不足算、流水算、旅人算、流水旅人算、そういう特殊算と呼ばれるカテゴリーに属するものばかりが出題され、そこでは面積図や線分図のような「塾独特の解き方」が圧倒的に効率的だった。
 

 ところが、この5年ほどの有名中学の問題を見ると、昔ながらの特殊算はもうすっかり影をひそめている。硬直したパターン思考で解けるような問題は、少なくともみんなが憧れるような難関校では出題が激減している。そのぶん、おそらく東京大学なり京都大学なりの出題を意識して、その類題とまではいかなくても、そういう大学の問題を解くための架け橋になるような問題を工夫して作成しているようである。中学側のそういう努力が始まった以上、むしろ面積図のような硬直したパターン思考ばかり訓練しているような塾からは、これから先、難関中学への合格者は激減していくものと予測できる。

 

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(人間たちの大きさにたじろぐネコ姉妹)


 さて、ここまで書けば、「連立方程式では0点です」の神話が、大間違いというよりむしろ時代錯誤であることは、まあ理解していただけたと思う。しかし「それでもやっぱり不安です」という人は極めて多いはずだ。それは、肝腎の中学側が採点基準を開示しないからである。この辺から高校入試や大学受験の話とも絡まりあってくる。司法試験その他の資格試験にも十分に関連がある。情報開示がない場所には、常に神話や都市伝説に直結する不安や憎悪が生まれてくるもので、いくらキチンと説明してあげても「本当にそうなんでしょうか、不安です」ということになる。


 説得する側がウンザリするのもこういう場面であって、中学側、大学側、要するに試験を実施する側が採点基準をハッキリと詳細に開示してくれれば、こんな不安感は世の中から一気に消えてなくなるはずなのに、現実に採点基準を明示している学校はほとんどないのが現状。本来「入試説明会」でまず第一に明らかにされるべきことが、最後まで秘密裡に運ばれるのでは、都市伝説だって決してなくなることはない。


 これに関連して、大学受験の世界でどういうことが起こってきたかは、既にこのブログで詳しく書いた(080901参照)。情報開示は入試を実施する側の社会的責務であって、いたずらに暗い都市伝説を生み出すような学校は、その責務をキチンを果たしていないことになる。塾とか予備校とか、本来社会の表面で活躍すべきでない非公式の存在(と朝日新聞では言いたがっているような気がする)がこれほど目立ってしまうのは、情報を開示しない側の責任である。