Sat 081011 「まだ早い」と考えるな マッジョーレ紀行14(ベッラ島) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 081011 「まだ早い」と考えるな マッジョーレ紀行14(ベッラ島)

 たいていの塾・予備校は4月新学期であって、3月から4月にかけて新聞や雑誌は塾や予備校のCMでいっぱいになり、駅にも同じようなポスターが張り出されてウンザリするほどである。しかし、浪人生なら4月新学期で当然だとしても、現役高校生が真剣に受験勉強に取り組むとして、果たして4月新学期だから4月までのんびり待っていていいものだろうか。しかも大手予備校と呼ばれるようなところは、浪人生のスケジュールに合わせて講師のスケジュールを組む関係上、高校生クラスでも開講は4月中旬にずれ込み、ひどい場合は4月下旬開講などということもあり得る。始まってすぐに大型連休だというのでは、なかなかやる気も出ないだろう。
 

 4月中旬になって、やっと受験勉強を本格化させるということは、センター試験まで9ヶ月しか勉強できないということである。しかもその9ヶ月の間に、学園祭や体育祭に夢中になるような期間もあるはずだ。9ヶ月とは、38週間である。センター試験が英国数理社の5科目だとして計算すれば、38÷5だから1科目につき7週間ちょっとしかないことになる。たとえば数学を7週間でマスターするのは、相当きついはずだ。他の科目のことはよく知らないが、数列に1週間しかないとか、三角比に1週間しかないとか、2次関数に1週間しかかけられないとか、単純計算ではそんなことになってしまう。それって、ほとんど中間テストや期末テストの一夜漬けのようなものではないか。社会で日本史を選択するとして、平安時代1週間、江戸時代1週間、明治時代1週間。戦後史にも1週間しかない。おお。結構激しいスケジュールである。
 

 「あと9ヶ月」まで放置するとは、このようなことである。私大志望でセンターは関係ないという生徒でも状況は似たようなものだ。誠意のある指導者なら「4月からで大丈夫」などと発言することはないだろうし、ホンキで合格させたいと願っている塾なら講師のスケジュールを優先して4月中旬に高校生クラスをスタートさせたりはしないはずである。残り38週間まで放置するのは、生徒たちを精神的に追いつめることであり、追いつめられた精神が冷静な精神に勝利することは困難だからである。
 

 スタートが遅れてしまったという事実を知って愕然とした生徒は、奇跡を起こしたがり、常軌を逸したスケジュール表を作っては破り、作りなおしては破り、そういうことをやってまた時間を無駄にしてしまう。そういう「ミラクル君」については別の日に書くが、友人や家族に「ミラクルを起こす」「生まれ変わる」「朝型に生活パターンを変えて朝勉強する」などと宣言し、たちまち無理であることを悟って仲間に笑われたりする。そうやってどんどん深みにはまっていくのである。
 

 全ては、4月まで放置したことが原因なのである。大手予備校の新学期が4月開講であっても、現役の高校生がそれまでじっと待っていてはならない。首都圏や関西圏の中高一貫校では、高2までで高校カリキュラムを修了しているのだ。そういう人たちを相手に戦う以上、ごく普通の公立高校生諸君も出来るだけ早く基礎を固めていくこと。どんなに遅くとも、高校2年の11月には本格的な受験勉強をスタートさせること。それでもセンター試験までは13ヶ月しかない。13ヶ月とは、55週間。さっきと同じ計算なら、1科目について11週間である。ライバルが7週間しか準備できない戦いで、11週間準備できるなら、勝敗は明らか。だって、1科目について4週間ずつ多いのだ。4週間とは1ヶ月であって、丸々1ヶ月も多く勉強できるのにそれでも負けたなら、まあ諦めもつくぐらいのちがではないか。勝つか負けるかは、高校2年の11月に「まだ早い」と思うか否かにかかっている。

 

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(マッジョーレ湖、ベッラ島庭園側の全景)


 9月9日、マッジョーレ湖は今日もまた快晴である。激しい筋肉痛はまだ癒えていなかったが、連日の快晴に気をよくして、痛む足を引きずりながらもボッロメオ諸島を見て回ることにした。宿からストレーザの港まで30分、豪華な別荘を眺め、青い湖の向こうに赤い屋根の並ぶ美しい街を眺め、ヨーロッパ中から集まった上品なヴァカンス客のいろいろな言葉を聞きながらのんびりと散歩する。日差しは暑いけれども、スイスから吹いてくる風はもうすっかり秋である。

 

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(マッジョーレ湖ベッラ島から、ストレーザ方向を望む。写真中央、船の左上の白い建物が宿泊先のヴィラ。その右上のゲレンデのような芝生の広がりが番犬たちと遭遇した牧場)

 港で、ヨーロッパ独特のオダンゴ状の列(080616など参照)に並んで、チケットを買う。列がオダンゴ状になるのは、どうもヨーロッパでは慣例になっているらしい。ヨーロッパの列の乱れに慣れてからニューヨークを旅して驚くのは、人々の列が乱れないことである。ホットドッグの屋台でも、ケバブの屋台でも、列は綺麗に一列に伸びて、割り込んだり列を乱したりする者はいない。昼飯時の忙しい時間帯でさえ、そういう光景は見られない。綺麗に伸びた直線の一列で、人々は我慢強く沈黙して自分の番を待つ。さすがに世界中から移民として集まった人々の子孫である。初めてアメリカにやってきて移民管理局に一列に並んだときから、彼らは一列に並んで不正をしないこと、不正を憎むことを伝統にしたのかもしれない。ただし、並んでいると係員の横柄さにウンザリすることも確かである。エンパイアステートビル、自由の女神、そういう観光のメッカみたいなところに出かけるときは、今までの人生で一度も経験したことがないほど、あっちからこっちへ、こっちからあっちへ、まるで囚人の群れのように小突き回されることを覚悟しなければならない。

 

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(マッジョーレ湖、ベッラ島庭園の蓮池)


 ヨーロッパでは、よほど係員がキツく言わない限り、先を争って人々は横からもナナメからも窓口に出来るだけ早く到達しようとするから、列は窓口の回りに丸くしかもタイトなカタマリになって身動きがとれなくなる。手に手に紙幣を握って、他人より1cmでもいいから前に紙幣を突き出して、我先にチケットを受け取ろうとするのである。控えめな日本人としては、アメリカのほうがヨーロッパより気楽である。囚人の群れのように小突き回されることにひたすら耐えてさえいれば、不公平な扱いなしにいつかは必ず目的にたどり着けるのだ。もしヨーロッパで同じような態度を取っていたら、本当にいつまで経っても目的のものは手に入らない。

 

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(続・ベッラ島の庭園)


 しかも、どの客も、必ず窓口の係員に何か一つ質問をする。全ての情報は掲示されているしパンフレットにも記載されているし、第1そんなに複雑な行動をとるわけでもないのだから、窓口で質問する質問事項を思いつくこと自体がきわめて困難なのではないかと思うのだが、それでも彼らは窓口で何か質問を思いつき、質問を投げかけ、係員は仏頂面ながらも丁寧に質問に回答する。だから客一人につき5分程度は覚悟しなければならない。そしてその間にもタイトなオダンゴからは何本もの腕が突き出され、突き出された腕には紙幣がヒラヒラし、腕はどんどん増えて他者を出し抜こうと努め、係員に質問した客には容赦ない舌打ちが浴びせられ、そのくせ自分も長い質問を係員に浴びせようとしているのだ。


 結局、ベッラ島とペスカトーリ島の2島周遊チケットを買う。もう1つのマードレ島は少し離れているし、この激しい筋肉痛の中では無理したくないから、他日を期すことにした。オダンゴのお蔭で、30分おきに1本の船が1隻出てしまったが、慌てる旅行ではないから船着き場でのんびり秋の日光を浴びて次の船を待った。


 ベッラ島へは、ストレーザから15分ほどの船旅である。17世紀バロック様式の宮殿と庭園が有名。宮殿にはナポレオンやムッソリーニが宿泊したことがあるというし、クジャクのいる庭園は美術全集にも大きく載っているぐらいなのだが、今の私には筋肉痛の足のほうが大事で、あまり美術鑑賞という気分でもない。それよりも、宮殿の地下にあるグロッタ風のいくつかの部屋のほうが印象に残った。カベには大理石や無数の貝殻が埋め込まれて、どうも怪しい雰囲気である。17世紀、人の寄り付かない山の中の湖の島に、こんな怪しい宮殿を建てて、しかもその薄暗い地下の部屋をこんな怪しい雰囲気に飾り立てて、いったいこの貴族ボッロメオ一族は何をしていたのであろうか。または何をしようと企んでこんな地下室を作ろうと考えたのだろうか。幻想的と修飾するよりも、幻想小説的と言ったほうがいいのだろうが、もっと簡単に言えばこの地下室は「グロテスク」という形容詞で表現されるのが適切だろう。

1E(Cd) Yohichi Murata:SOLID BRASS Ⅱ
2E(Cd) CHET BAKER SINGS
3E(Cd) Art Pepper:SHOW TIME
4E(Cd) Maceo Parker:SOUTHERN EXPOSURE
5E(Cd) Max Roach:DRUMS UNLIMITED
6E(Cd) Tommy Flanagan Trio:SEA CHANGES
7E(Cd) Art Blakey:NIGHT IN TUNISIA
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