Sun 080914 土崎港曳山祭り マッジョーレ紀行2(ミラノの夜) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 080914 土崎港曳山祭り マッジョーレ紀行2(ミラノの夜)

 夜遅くなって雲に隠れてしまったが、中秋の名月も夜空に浮かんで、代々木上原の周辺は秋祭りの準備で忙しい。代々木八幡、北沢八幡、渋谷には金王さまがあって、そこいら中にお神輿が飾られ、夕焼けの空に提灯が揺れ、神社には紫色の幕がはためき、商店街のスピーカーからは祭り囃子が賑やかである。雨の多い夏だったし、台風13号が台湾を通過した後で、どうも何か急用を忘れていたかのように振り返って、こちらに戻って来たがっているのが、またたいへん厄介である。夏祭りは雨もまた悪くないが、秋祭りというものはどうしても青く晴れてもらわなければ困る。是非これからの10日ぐらいは、いかにも秋晴れという青空になってほしいものである。

 

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(写真上:井の頭線池ノ上駅付近で並んでいたマトリョーシカ的なお神輿)


 私のふるさとではお祭りといえば真夏だったから、秋祭りというものは、いまだに何となく珍しい。ふるさとの秋田は8月上旬の「竿灯祭り」が有名であって、青森の「ねぶた」や仙台の「たなばた」と並んで「東北3大祭」ということになっている。昭和中期に、その3大祭にぜひ自分たちも割り込んで、いっそのこと「4大祭にしてしまおう」と考えた人たちがいて、それが山形の「花笠おどり」である。まあ、「えげつない」と考えるか、その積極性を「よし」とするかは、見る人の趣味次第であって、私などは、こういう積極性は高く評価するほうだから、これからも遠慮なしに伝統に挑戦してほしいと思っている。
 

 ふるさとの中にまたふるさとが内包されている、そういうマトリョーシカ的な2重構造が私にはあって、秋田市出身とはいっても、実際にはその秋田市の北の外れ、土崎港という人口10万人程の地域の出身である。私が生まれるよりはるか昔は「南秋田郡土崎湊町」といって、昭和初期までは秋田市のメンバーではなかったのが、いつの間にか合併されて秋田市土崎港という地名になってしまった。
 

 昭和中期にはいつか書いた「秋田湾地区新産業都市」の中核であって、秋田港を中心にしたいかにも20世紀タイプの工場地帯になった(080826参照)。子供が溢れ、市立土崎中学校は1クラス50人×1学年12クラスのマンモス校で、スポーツなら何をやっても強豪。当時の町の人の誇りは大きくて、だから今でも地域内では秋田市から離れ「土崎港市として独立するぞ」とシュプレヒコールをあげている元気な中高年が少なくない。残念ながら元気なのは中高年ばかりであって、若い人たちはすっかり冷めてしまっている。というより、町を歩いても閑散としていて、「若い人」というものが存在するのか否かもハッキリしない。


 イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(東洋文庫・講談社学術文庫)を読むと、江戸末期から明治初年の土崎港の「港祭」の賑わいが描かれている。ここは江戸時代には河村瑞軒「東回り航路」「西回り航路」の接点であり、秋田内陸産の米なり材木なりの積出港として繁栄を極めた港であり、イザベラ・バードはその祭の激しさと賑やかさに圧倒されている。当時は小さいながら湊城という名の城があり、港で働く男たちの乱暴な熱気が夏祭りを支配していたはずである。

 

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(写真上:港祭の日に浴衣を着せられて、周囲にガンをトバす4歳の荒くれ男)


 それから100年も経過して、私がこの街で成長した頃に、祭は全盛期。大型の山車が25台も勢揃いして、泥酔した海の男たちが乱暴に山車をぶつけ、怒鳴りあい、殴り合い、それでもまだ一升瓶の酒をあおり、山車のきしむ音と、山車の車輪にかけた油の臭いが、夏の街に溢れかえる熱気は、ほかのどんな熱い祭にも負けないものだったと思う。祭の最後を飾る「戻り山」は7月21日の深夜。いったん港の北側の相染(そうぜん)地区に集合した20数台の山車が所属の町々に戻っていくのであるが、その激しさは「子供が見に行くのは危険」とされ、女たちは目抜き通りの2階の窓から覗き見する程度。毎年ケガ人は数知れず、死人が出ることも珍しくなかったと思う。

 

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(写真上:続・荒くれ男。愛車で爆走する4歳児)


 残念ながら、いまその祭を見ても、別段大きな感動はない。主役はすでに子供と中高年ばかり。熱くなるのも、怒鳴りあうのも、突き飛ばしあうのも、みな中高年。若い人たちは傍観者になりきって、ウチワで顔を仰ぎながら「ちょー、キレてる」「オニ、ウザクね?」「ヤバくね?」と少しおかしな標準語で呟きあって、ニヤニヤその場を立ち去るばかりなのである。
 

 私は知らなかったが、正式には「土崎港曳山まつり」というらしい。その名前で検索すると、港祭のHPがでて、YouTubeで祭の実際の様子を港囃子の演奏とともに見ることが出来る。ただ、見られるのはあくまで21世紀初頭の祭の現実であって、私が見た20世紀中期の激しさはほとんど見受けられない。子供たちが静かに山車を引く様子は、北沢八幡や代々木八幡の秋祭りとそれほど変わらない穏やかな祭である。とは言うものの、山車がきしむ音は相変わらず激しくて、YouTubeでもよく聞こえていた。

 

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(写真上:ミラノ・ドゥオモ内部。9月5日撮影)


 9月4日、ミラノでホテルが見つからずに立ち往生してしまった段階で、既に時計は21時を指している。この段階で、考えられる方法は2つである。ホテルに電話しても埒があきそうになかったのだから、近所のレストランなりカフェなどに助けを求めて、とにかくいま困っている現状を伝え、ホテルまで連れて行ってもらう方法が1つ。もう1つは、いったん少し遠くのターミナルまで離れて、そこでタクシーをつかまえて連れて行ってもらう方法である。


 この場合、前者のほうが遥かに現実的に見えるが、時刻と状況を考えると、実はそうでもないのである。親切そうに振る舞っているイタリア人でも、いったん「興味がない」「わからない」と判明した場合には、彼らはきわめてクール。最初「何とかしてあげよう」といって集まってきた人たちも、あっという間に立ち去っていく。関心をいだくのも素早いが、その関心を失うのも素早いのだ。しかも、好ましくない集団に好ましくない関心の持ち方をされてしまうと、大きなスーツケースを引きずっている分、危険も大きくなる。


 そのあたりを大急ぎで考慮して、後者を採用。いったん地下鉄でミラノチェントラーレの駅前まで撤退して、そこからタクシーにホテルを探してもらうことにした。一般人としては興味を失うことの素早いイタリア人だが、いったん自分の職業の守備範囲であると認識すれば、彼らは滅多なことでは関心を失うことはないし、信じがたいほどに粘り強く、何とか客のために尽くそうとして全力を発揮するのである。中央駅なら、ここから大して離れていないから、20ユーロ程度払えば、荷物も含めて安全確実にホテルに行き着けるはずだ。少なくとも、旅行の冒頭に酔っ払い集団にからまれてイヤな思いをし、旅行そのものを台無しにする可能性はなくなるのである。ただし、中央駅付近も要注意。酔っ払い集団なり、最初から悪意をもってからんでくる集団なりは、むしろドゥオモ周辺よりも多いはずである。

 

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(写真上:ドゥオモの屋上から、アルプスを望む。9月5日撮影)


 駅前でちょっとすったもんだがあったにせよ、まあ何とかタクシーをつかまえ、30ユーロ払ったが、それでもホテルは見つかって、無事にチェックインすることが出来た。ホテルは経営破綻もしていなければ、場所を変えて営業していたわけでもない。ガイドブックの地図が、明らかに間違っていたのである。地図で示されていた場所からは通り2つ3つ離れた場所に、ごく地味な看板があり、入ってみると狭い1階の入り口のベンチに酔っ払いが一人眠りこけており、そのビルの3階がフロント。エントランスを見ても、その横のバーやラウンジを見ても、「これが本当に4つ星か?」と尋ねたくなるようなホテルではあったけれども、確かにそこに存在した。停止するたびに大きく揺れるエレベーターを2つ乗り継いでやっと部屋に入り、これでまあ助かった。咄嗟の作戦は成功したわけで、大きく安堵の溜め息をついた。何のことはない、つい30分前に立ち往生していたあたりから、徒歩で5分もかからない場所だったのである。


 ここには1泊するだけであって、荷物を開ける必要はない。腹が減ったから、とりあえず何か食べることにして、夜の街に出た。さっき立ち往生しながら見つけておいた店に入り、ピザと白ワインのデキャンタを注文する。白ワインはよく冷えていて、それで全く問題なかったが、ピザ(クアトロ・フォルマッジョ)が、信じがたいほどにマズい。3年前にヴェネツィアで食べた「人生最悪のパスタ」について書いたことがあった(080827参照)が、この夜ミラノで出てきたピザは「人生最悪のピザ」である。おお、マズかった。何しろ腹が減っていたから、一口大きく口に入れ、そのマズさに感動し、感動のあまり「うぉ、まずい」と大きな声が実に自然に出た。悪気があったわけでもなんでもなくて、余りに自然な感情と感動を吐露しただけである。あれほど素直になれたことは、この長い今までの人生の中でもあの時だけだったかもしれない。

 

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(写真上:ドゥオモの屋上から、アルプスを望む。9月5日撮影)


 日本語は便利である。日本人がこっそり背後に忍び寄ってでもいない限り、周囲に「うぉ、マズい」という奇声が何を意味するか理解する者はだれもいない。理解できなければ、ミラノ人に加えられたこの侮辱を憤慨する者もまた皆無である。そおっと周囲を見回し、日本人の不在を確認し、再び安堵の胸を撫でおろし、変人よろしくピザに向かって吹き出し、ニヤニヤ笑いに切り替え、しかしそれでもピザをキチンと平らげ、ワインのデキャンタをもう1本注文して、ほぼ閉店になる時間までこのマズい店を楽しんだ。ホテルに戻ったのは、真夜中近くである。ホテル1階のエントランスには、さっきの酔っ払いがまだ気持ち良さそうに眠っていた。


1E(Cd) David Sanborn:LOVE SONGS
2E(Cd) David Sanborn:HIDEAWAY
3E(Cd) Jaco Pastorios:WORD OF MOUTH
4E(Cd) THE BEST OF ERIC CLAPTON
5E(Cd) Anita Baker:RAPTURE
6E(Cd) Anita Baker:THE SONGSTRESS
7E(Cd) Anita Baker:RHYTHM OF LOVE
10D(DvMv) BODY HEAT
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