Tue 080826 昭和40年代のことなど 秋田語の本を企画 ヴェネツィア紀行3(写真のみ) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 080826 昭和40年代のことなど 秋田語の本を企画 ヴェネツィア紀行3(写真のみ)

 今日もまた、先に断っておくことにするのでござるが(というか、きょうもまたまた先にたくさん書いてしまった後で、一番上に戻って参って「断り書き」を書くのござるが)、今日もヴェネツィア紀行はお休みになるのでござる。つい夢中で書いておりまするうち、はたと気がつくと、またまたA4用紙4枚分、しっかり書いてしまっていたからでござるよ。うぉ、ほっほ。今日も再び写真のみ、ヴェネツィアの定番を貼っていくことにいたすよ。うぉ、ほっほっほ。「うーん、ヴェネツィア到着当日は、定番回りでよほどを忙しかったと見えるのお」と考えて、許されたし。
 

(写真上:大鐘楼の上から見たサンザッカリアのゴンドラ乗り場)


 今日の内容は実に暗い、暗澹たる話ばかりなので、そのぶん返って、ここに貼付ける余りに美しいヴェネツィアの写真が、暗い現実から逃避した夢の世界であることを実感するだろう。宿題が山ほど残った夏休みの最後の4日、宿題の山を目の前に吐きそうになりながら、楽しかったディズニーランドの写真を眺め、楽しかった山・川・海水浴の写真を眺め、楽しかった田舎のおじいちゃんの家のスイカの味、優しいおじいちゃんの笑顔、おばあちゃんの甘いかき氷、そういうものを思い出してまた吐きそうになるのと、そっくりである。夢は、美しければ美しいほど、楽しければ楽しいほど、ウンザリする現実のつらさを切実に思い起こさせる残酷な存在である。だから、20世紀後半の「日本の宴のあと」と、ヴェネツィアの風景との並列は(もちろんコジツケ以外の何物でもないにせよ)、夏休みの終わりを控えた子供たちの心象風景と見事に合致するのである。
 

(写真上:ホテルマルコーニ前のゴンドラ乗り場)


 さて、父・三千雄の記憶を辿りはじめれば、さすがに1日や2日では済まないし、ヴェネツィア紀行と並行して、などという中途半端な書き方は出来ないのである。ま、父のことを書けば、どうしても日本の高度成長期のことをしっかり反省することになってしまうからである。中国はいま「宴のあと」。では日本の宴のあとはどうだったか、書いておかなければならないだろう。


 21世紀の中国と比較して、日本の高度経済成長期が光の部分ばかりだったかといえば、もちろんそういうことはありえない。例えば、国鉄の車両工場などは、発癌物質の石綿がそこいら中に溢れていたように思う。父・今井三千雄の職場は「国鉄土崎工場」といい、国鉄の機関車・貨車・客車などを製作修理する、職員3000人ほどの大工場。高度経済成長期の日本を飾った「新産業都市」を記憶しているのは30代後半以上の人間だけだろうが、まさに今の中華人民共和国と同じような雰囲気の「新産業都市」なるものが、日本中に30地域ほど指定されていて、昔の優秀な小学生は(ということは当時の中学入試には必ず出題されたのであろうが)全国の「新産業都市」をすべて暗記していたのである。「秋田湾地区」もその一つで、石油精製・石油化学・製紙・石炭火力発電など、いかにも環境に悪い大規模工場が林立し、それが林立していることこそが地域の誇りなのだった。「国鉄土崎工場」は「秋田湾地区新産業都市」という今考えればたいへん恥ずかしい代物の中核で、地域の小学生や中学生の社会科見学は、必ず「国鉄土崎工場」だったのだ。
 

(写真上:幼稚園時代の初めてのスキー。ストックは竹製、スキーは1枚板で金属のエッジなんかもちろんついていない。靴はゴム長靴。ビンディングは洗濯バサミみたいなもののついたゴムひも)

 自分の父親がその工場の「貨車職場長」であることは、小児ぜんそくで苦しんでいた頃の私にとって大きな誇りでもあったのだけれども、しかし、もし私の思い違いでなければ、小中学生のたくさん訪れたあの時の「国鉄土崎工場」は石綿だらけではなかったか。工場の屋根と壁はみな石綿が吹き付けられていたような記憶がある。工場ばかりではない、当時職員の家族が生活していた社宅(工場の周囲には、3000人の職員の家族を全て収容する大規模な社宅群があったものだ)だって、石綿だらけではなかったか。社宅には、石炭ストーブならぬ「粉炭ストーブ」(火がつきやすいという理由で、石炭を粉々にして、というより、粉々になって売り物にならない石炭を燃料にするストーブ)が標準装備されていたが、その室内煙突にはどの家でも当たり前のように石綿を巻き付けてはいなかったか。それどころか、小学校の理科実験の時アルコールランプの上に置く金網には、必ず石綿がついていなかったか。当時は「せきめん」ではなく「いしわた」と発音したが、少なくとも私の小学校時代には、人々は皆石綿まみれで生活していたように記憶している。近くの製紙工場からの悪臭が街に充満して、中学生時代には悪臭のせいで授業が中断することさえあった。

 

(写真上:自宅近くの祖母の家で。何だこりゃ。これが昭和40年代の日本の幼児である)

 1990年代、70歳を迎えた父のかつての悪友たちが、次々と急死していった。実名は覚えていないが、私が小学生の頃、毎日のように泥酔して深夜に尋ねてくる男たちがいた。ケンジロー、ナベ、アキラ。アキラは泣き上戸で、日本酒に酔いつぶれては激しくヨダレを垂らしながら泣きくずれ、「イマイクン、オレは情けないんだよお」と20回ぐらい繰りかえした後で意識を失うヤツだった。ナベは重度のぜんそく。同じ話を一晩に何度でも繰り返し、ぜんそくで息が出来なくなると、私と同じ「メジフェラー・イソ」を使い、回復してからまた同じ話を繰り返した。ケンジローはヤキモチやき。今井の家に誰か飲み友達が来ていると、その人を追い返してでも自分が上がり込まなければ気が済まない男だった。

 

(写真上:秋田港で。秋田港には海上自衛隊の巡視船「みくら」が常駐していた)


 そういう、いかにもだらしない飲み友達が父には20人近くいたはずだが、90年代前半、70歳になったかならないかでバタバタと急死していった。旧国鉄の職員に、石綿被害者が多いことは新聞でも報じられている。しかし私は、マスコミで報じられない石綿被害者がまだまだいくらでも存在するような気がする。あれだけ石綿まみれだったのだ、ナベのぜんそくだって石綿に無関係ではないだろうし、下手をすれば私の小児ぜんそくだって石綿と何らかの関係がなかったとは断言できないのである。父の死因は「心不全」。NHKの漫才を見ていて、余りにも激しく爆笑して、その直後に心臓が止まってしまった。たいへん父・三千雄らしい豪快な死にざまであって、決して不幸な最期であったとは思えないのだが、心不全の前には「肺気腫」で入院したこともある。「肺気腫」はまさに石綿被害者特有の症状なのだ。
 

(写真上:国鉄土崎工場の社宅前。自転車を中古で買ってもらってはしゃぐ地味なコドモ。コドモの背後に置かれた木箱は、当時どこの住宅にも見られたゴミ箱)

 中国を見るたびに、こういうことを思い出す。父ならば、TVの画面を指差しながら「むれんま、うんが」とうめくだろう。「見てみなさい、きみ」の意味の秋田方言であるが、父はいつでも「むれんま、うんが」「むれんま、うんが」と大声をあげていた。分かりやすく言えば「見れ、まあ」の転訛。昨日も書いた「うんがwnGha」は、日本語の古語で「おまえ」「きさま」などのことを「うぬ」という表現があり(古語辞典で調べてください)、その「うぬ」に「お前らが」の「が」がくっついたものである。なぜ「が」がつくのか、これがまた難しいところだが、予備校の語学講師というものは厄介なもので、こういうことまで説明せずにはいられない。時代劇によくある乱闘シーンを思い出してほしい。乱闘になる前に、主人公が吐き捨てるように「きさまらがア」「この悪代官がア」「この悪党めらがア」「幕府のイヌめらがア」と叫ぶはず、その「がア」である。父はテレビに驚くべきシーンが出てくるたびに「むれんま、うんがア」「むれんま、うんがア」を連発しては嬉しそうに画面を指差していたものだが、確かに今の北京オリンピックの「宴のあと」は、1964東京オリンピックの宴のあとと余りにもそっくりであるかもしれない。

 

(写真上:ヴェネツィアの夜。リアルト橋からの大運河)


 私はNHKっ子である。というか、NHK以外のテレビは一切見せてもらえなかったので、夕食後、夜7時半を回るとテレビの画面は、子供の目から見て異常なほど暗く深刻な印象のドキュメンタリー番組に変わるのだった。「新日本紀行」はいいとしても「ある人生」「現代の映像」「NHK特派員報告」「ドキュメンタリー」など、日本はもう終わりで、世界ももう終わりで、21世紀などというものが訪れるはずはなくて、「四日市ぜんそく」「イタイイタイ病」「水俣病」その他の公害病と環境汚染とで日本は毒にまみれ、第3次世界大戦と核兵器と枯れ葉剤とソ連の悪意と戦車群とで世界はまもなく破滅を迎える、そういう暗く激しく否定的な報道ばかりだった。


 子供の頃ああいう画面で見たのと、ほぼそっくりな画面構成で中国を伝える報道番組がいま増えているように思う。1ヶ月に1回「70年代われらの世界」という特集番組があった。番組の冒頭、月着陸したアポロ11号からの青い地球が大写しになり、そこへ小学校高学年の男子女子合わせて30~40人が駆け出してきて「青い地球は誰のもの? あーおいちきゅううはだあーれのおーもおーのおー?」と歌いながら問いかける。それが途中からハミングになって「らん、らら、ららららああん。らん、らら、ららららああん。らん、らら、らあんららああ、あん?」と来る。その明るさにも関わらず、番組自体は「もう地球は破滅だ」という絶望的なポーズに満ちていた。


 海を埋め尽くすヘドロ。大気汚染で向こう岸も霞んで見えない大都市の河川。公害病の被害者が苦痛に転げ回る悲惨な表情のアップ。湖水に大量発生したアオコを暗い表情でくみ上げる漁民。その背中にくくりつけられて泣きわめく赤ん坊。いくら労働組合で戦っても昇給を得られずに低賃金で抑圧される、労働者の深いシワが刻まれた表情。労働組合の結成さえ夢のまた夢、という零細企業で働く貧しい労働者の諦めきった投げやりな悲しい笑い。工場排水のアップ。死んだ大量の魚介類のアップ。足を震わせ、頭を震わせ、悶絶する家畜たちのアップ。こう列挙してくると、21世紀の中国に関する報道のトーンとそっくりである。
 

(写真上:ヴェネツィアの魚市場)


 詳しくはNHKアーカイブスなどを参照してほしい。私はあの余りにも暗い色調に満たされた時代をよく記憶しているから、バブル崩壊後の日本なんか、天国にしか見えない。武満徹や芥川也寸志のオドロオドロしい音楽に乗せて、「人類の滅亡も時間の問題だ」「21世紀、人類は生き延びることが出来るだろうか」と、毎日のように問いかけられ続けて、ここまで生きてきたのだ。ドキュメンタリー番組のすべてが「だ」「のだ」「である」調。「あきらめなーあいでー」「きみはひとりぼっちじゃないよー」の今では考えられないが、ドキュメンタリー番組は冒頭から最後まですべて「である調」だったのである。


 「今井さんの一日は、今日も深い溜め息で始まるのだ」「網にかかった魚は、今朝もみな売り物にならないのである」「あさりのみそ汁。何も知らない子供たちは、今朝もまた嬉しそうに朝食をとるのだ」。そういうナレーションに乗せて、武満徹風のツヅミや拍子木や横笛の混じった、夜中に子供を泣かせるために作曲したとしか思えない恐い恐い音楽が流れる。報道を統制されていて、ああいう番組を見ないで済むぶんだけ、むしろ今の中国の人々は幸せなのかもしれない。
 

(写真上:マスケラを並べた売店。サンマルコ・ヴァポレット乗り場のそばで)


 ま、以上、父・今井三千雄にまつわる昭和40年代の記憶を何日かにわたって書いてきた。読者の皆様のうち、特に平成生まれの高校生諸君などはさぞかし退屈されたことと思うが、許してくれたまえ。このブログは、初回にお断りした通り(080605参照)、あくまで中年のオジサンのプライベートな日記として存在するのであって、予備校講師のブログによくある「受験生のみんなに、ホットなメッセージを送りまーす」みたいなものではないのだ。


 なお、そろそろブログ開設3ヶ月を迎えることになるし、最初に宣言した通り「毎日更新」を続けてもきた。毎日の分量がこれほど大量になるとは誰も予測しなかっただろうが(自分自身の予測の約2.5倍になっている。普通のブログではなかなか考えられないですよね)、だからこそ、読者の多さ・アクセスの多さに驚き、丹念に読んでくださる読者の皆様に、非常に大きな感謝の気持ちをいだいている。これからも是非おつきあいくださいませ。


 最後になるが、例の秋田方言・三千雄語について、余りの反響の大きさに、CD付きの1冊本を執筆することも検討中。題して「秋田を旅する会話」または「3日でマスター・よくわかる秋田語」。可愛らしいツキノワグマのキャラクターをつけ、秋田語を文法や発音のコツを交えてしっかり解説。ついでに観光案内も兼ね、秋田の観光地を秋田語をたのしく使いながら歩き回れる本にしたい。秋田語のナレーションは、私。CD60分程度。ただ、英文法や英語読解の参考書と違って、この企画を持ち込むべき出版社が見当たらないで困っている。ヒットすれば10万部は確実に行くと思うのだが、だれか声をかけてくれないだろうか。

1E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.4
2E(Cd) Blomstedt & Staatskapelle Dresden:BRUCKNER/SYMPHONY No.7
3E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.8 1/2
4E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.8 2/2
5E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.9
6E(Cd) Ricci:TCHAIKOVSKY/VIONLIN CONCERTO・PAGANINI/CAPRICES
7E(Cd) Maazel & Wiener
:TCHAIKOVSKY/SUITE No.3  R.STRAUSS/TOD UND VERKLÄRUNG
10D(DvMv) THE BOURNE IDENTITY
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