Tue 260519 少女マンガと港ボーイズ/横浜でバラを満喫/中華街からフランス山 4976回
姉とか妹とか言ふ存在が身近にいれば、どんなに今井君みたいなキカンボの男子でも、身近に「少女マンガ」が転がっている。普段は野球マンガや柔道マンガに夢中でも、ふと手に取った少女マンガもまた、その味わいは格別なのだ。
残念なことに我がアネウエは、少女マンガと言ふ魅惑の世界にはほぼ無関心。少女フレンドもマーガレットも、「別マ」も「りぼん」も、今井君とアネウエ共同の子供部屋には1冊もなかった。あったのは少年少女世界文学全集が30冊ぐらい。幼い今井君はマンガに飢えていた。
それと言ふのも全て我がハハウエの教育方針。「本を読め」「本を読め」「本を読まなきゃ、算数なんか得意でも何にもならない」、せっかく算数と理科が大の得意で、小学校の卒業文集の将来の夢にも「医師になりたい」と思い切り書いていたのに、いつの間にか超文系な男子に変貌していた。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 1)
そのババサマも今や98歳と5ヶ月になって、しかし今もなお1日に1冊の文庫本を読み切るのである。一昨日訪ねてみると、テーブルの上には宮尾登美子と円地文子の文庫本が載っていた。
円地文子とは、源氏物語の現代語訳でも有名な御仁であるが、我がババサマが一昨日読んでいた文庫本のタイトルは「女坂」。おやおや「女坂」、98歳ではもうとっくに女坂なんかナンボでも下り切ったところだろうに、何とも楽しそうに読んでいらっしゃった。
そういうふうで、小学生時代の今井君は少年ジャンプも少年マガジンも少年チャンピオンも、よほどのことがなければ買ってもらえなかったし、もしも大事なお小遣いでそんなのを買ってくれば、「そんなマンガを読んでるんじゃ、どうせロクな者になれない」と叱られかねなかった。お小遣いは1ヶ月わずか310円。確かにマンガなんか買ってる場合じゃなかった。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 2)
というわけで諸君、幼い今井君はもうどうにも致し方なく、マンガは友達が買ったヤツを奪って読むという方針で頑張り続けた。だってもし万が一「星飛雄馬」や「風大左衛門」のことを知らなけりゃ、友達の会話に全くついていけないじゃないか。
何しろクラスの男子のほぼ全員がジャイアンツの野球帽をかぶっていた時代だ。何が何でもジャイアンツ、何が何でも巨人の星、ジャイアンツのマークがついていないボーシなんか、ボーシの名に値しない、そのぐらいの勢いだった。
もっとも、我々のクラス → 5年1組やら6年1組の男子は、2/3が「M」のマークの野球帽をかぶっていた。白い野球帽に、鮮やかな赤い「M」。「何でM?」であるが、当時の我々が結成していた少年野球のチームの名前が、諸君、驚いてくれたまえ、笑ってくれたまえ、「港ボーイズ」だったからである。「Minatoの少年」だからM、いやはや、いやはやでござるよ。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 3)
ただし4年生の秋までは、我々のチームはネイビーブルーのボーシに白い「H」のマークをつけていた。何しろ秋田の港町の少年たちなわけであるから、チーム名は「ハーバーズ」にした。ハーバーズ、それなりにカッコよかったと思うのだが、誰か親だかオニーチャンだかオジサマだか、マジメなアドバイスをする大人がいて、「港ボーイズ」にチーム名を変更することになった。
そういう真剣で世話好きな大人の人、必ず存在するのである。例えば福岡の筥崎神宮のすぐ近くに「はこざきジンジャーズ」という子どもたちの野球チームが今も大活躍している。神社だからジンジャーズ、なかなか悪くない。港ボーイズ出身の今井君は、今もジンジャーズの活躍を期待している。
ところで諸君、今日のワタクシは、そんな話がしたいのではなかった。何しろ掲載する写真は全て横浜のバラの花園のものだ。どうして「港ボーイズ」の思ひ出に踏み込んでしまったのか、ふと自分でも訳が分からないが、おおそうだった、ワタクシは少女マンガの話から、バラの花園の写真の話に入ろうと考えたのだった。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 4)
というわけで幼い頃の今井君は、クラスの友達が学校に持参するマンガ雑誌を奪って、1日5回もある10分間の「休み時間」に、次から次へと読み耽った。男子の友達の雑誌を読みきれば、もちろん女子たちのマンガも借りまくった。
すると諸君、何しろ昭和の少女マンガだ。画面いっぱいに「これでもか?」「これでもか?」と、バラの花がナンボでも咲き乱れていたのである。
マンガのヒロインが夢中になっているのがバレーであれバレエであれ、ピアノであれフルートであれ、テニスであれバスケットであれ水泳であれ、ヒロインにアドバイスしたりお説教したりするコーチや先生や先輩の真剣な表情を取り囲んで、いつでも無数のバラの花が咲き誇っていた。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 5)
そういうセンセや先輩や憧れのオネーサマの瞳の中にもバラの花が咲いていたし、テニスコートもプールもバレエスクールにも、とにかくひたすら紅白のバラ、何が何でもバラ、そこにチューリップや桜や梅や藤やハナショウブの入り込む余地はほぼ皆無だったように記憶している。
夏休みの始まりの場面で、そういうテニス女子やバレエ女子や水泳女子が親戚のオウチを訪問すると、ハッとするほど美しい従姉やらハトコ女子やら叔母さまやらが、てんこ盛りのバラの花束を抱えて登場したりするのだった。
小学生から見た高校生女子は、熱い憧れの対象だったりする。中学生女子が大学院生の親戚女子の姿を眺めても、やっぱり憧れの対象、知的で美しい超魅力的なオネーサマなのである(んじゃないかいな)。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 6)
もちろん実際の世界では「もうババァじゃん?」みたいなオゾマしい罵声が飛び交うのかもしれないが、少なくともむかしむかしの少女マンガの世界では、ピアノもバイオリンもテニスも得意、油絵も描くし茶道も書道もカンペキにこなす、そういう親戚の美しいオネーサマが、バラの花束やバラの鉢植えを抱えて初夏の花園を闊歩すれば、そりゃもうコドモ女子のお目目の中にもバラの花が咲いた。
そういう少女マンガをクラスの女子から奪って眺めていた港ボーイズの6番セカンド今井君としては、いやはやつい最近になるまで、横浜のバラ園を訪問するだなんてのは、どうも少し恥ずかしいというか、滅多やたらに恥ずかしいというか、こりゃどうにも恥ずかしいというか、なかなか決心がつかなかった。
ところが昨年、ホントにどういうハズミか見当もつかないが、ふと「横浜のバラを眺めに行ってみようかな♡」と思いついたのである。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 7)
山下公園のバラが、息をのむほど美しいらしい。山下公園からキツい坂を頑張って登りきれば「港の見える丘公園」と言ふ名の公園があり、そこにはアメリカ山にフランス山にイタリア山、そういう山々が連なっていて、どこもみんなバラが美しいらしい。そんな話を何かで読んで、昨年初めて横浜のバラを眺めに行った。
アメリカ山やフランス山を訪問するには、東急東横線の終点の「元町・中華街」で降りる。地下鉄・副都心線「明治神宮前」から電車に乗れば、電車はたった30分ほどで横浜を通り過ぎ、もう10分もすれば「元町・中華街」の駅に着く。
うーん、この駅名どうなんだろう。元町と中華街の間に「・」が入っているのが何だかワタクシ気に入らないのである。いっそのこと「元町チャイナタウン」のほうがカッコいいんじゃないか。車内の英語アナウンスではハッキリ「チャイナタウン」と言っている。せっかくの国際都市♡横浜だ、この際「チャイナタウン」への変更も検討したほうがいい。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 8)
ついでにワタクシ、「泰葉」と言ふ名前のミュージシャンによる「フライデーチャイナタウン」というヒット曲を、令和の時代の青年諸君にも聴いてみてもらいたい。1981年の発売、おお半世紀も昔のヒット曲だ。「泰葉」と書いて「やすは」と読む。初代林家三平の次女、春風亭小朝の元奥方、元プロレスラー、そういう人である。
まあ諸君、冒頭「It’s so Fly-day, Friday Chinatown」の一節だけで、圧倒されるか、ブーッと噴き出すか、ギャッと絶叫するか。横浜のチャイナタウンをイメージした曲なんだと言うが、とにかく1980年代初頭という怒涛の時代を理解し体感するのにはベストの曲かもしれない。だって諸君、何と「Fly-day」であるよ。
そういう思ひ出に浸りながらワタクシ、東急東横線ホームの一番前から長い長いエスカレーターとエレベーターを乗り継いで、一気にアメリカ山のてっぺんを目指した。エスカレーターが4階分、乗り継いだエレベーターも4階分、合計で8階分を便利な機械の力に頼り切って一気に上昇したのである。
(5月14日、横浜・フランス山のバラ園を訪問する 9)
諸君、チャイナタウンからアメリカ山に登る時には、このルートは必ず記憶しておかなければならない。さもないと、ビル8階分のマコトにキツい坂道を、この5月の炎暑&猛暑の中ひたすら人力で登ることになる。いくら泰葉の名曲を口ずさみながらでも、熱中症の危機が一気に迫ってきかねない。
エレベーターを降りると、もうアメリカ山の頂上だ。横浜港からの爽快な初夏の風に吹かれながら、満開のバラの美しさに酔い、濃厚なバラのカホリに包まれれば、気分は一気に少女マンガの世界。こちらのお目目の瞳の中にまで、一斉にバラの花が開く思いだ。
そのまま右に外人墓地を眺めながら散策を続ければ、やがてバラのメッカ♡フランス山にたどり着く。フランス山のお隣にはイギリス館があって、そのイギリス館の庭園では20分のミニコンサートが開催中だった。
(カフェ「霧笛」の前、文学館への「霧笛橋」のたもとに、こんな勇ましいネコ君が待っていた)
その向こうには、「霧笛」という名の小さなカフェがあり、カフェの前では勇ましいネコの銅像がワタクシを迎えてくれる。ただしワタクシはカフェには入らない。その後にチャイナタウンに立ち寄って、どうしても喉を潤したい冷たい黄金色の液体があり、その黄金色の液体を心ゆくまで満喫するには、ジュースやコーラを中途半端に今ここで胃袋に流し込むわけにはいかないのだった。
霧笛橋を渡れば「神奈川近代文学館」があり、ちょうど「吉屋信子」の展覧会が開催中。もしも少女マンガや少女小説の世界を求めるなら、吉屋信子はまさにベストの作家であって、60年前や70年前に少女小説のファンだったに違いないオバーチャン4人組が、嬉しそうに霧笛橋をわたって文学館に向かう姿については、すでに前々回のこのブログにも書いたはずだ。
この時の横浜訪問が、5月14日。その3日後の5月17日に我がハハウエを訪問して吉屋信子の展覧会の話をし、吉屋信子の写真集や展覧会の図録やら文庫本やらを「買ってきてやろうか?」と提案したところ、見事にスパッと断られた。「ああいう世界は、もう卒業した」とキッパリおっしゃるのである。
(勇ましいのはネコ君ばかりではない。アゲハどんも夢中で花の蜜を吸っていた)
「むかしは彼女の『花物語』、ずいぶん繰り返し読んだものだけど」と話は続き、そこからナンボでも吉屋信子の小説のタイトルやら、その小説のストーリーやら、それらに対する感想やら、いやはや「この人ホントに98歳?」な世界。1928年、パリ不戦条約の年のお生まれであるが、たいへんなババサマに成長してしまった。
それでも「最近すっかりバカになった」「ホントにダメになった」「何にも思い出せない」と愚痴を言い、しかし「アンタももっと本を読まなきゃダメだ」と心配顔、小学生の今井君に言っていたままのことを話し続ける。うーん、今井君、もっともっと本を読まなきゃ、ホントにダメなようである。
1E(Rc) Backhaus:BACH/ENGLISH SUITE・FRENCH SUITE
2E(Rc) Walter & Columbia:HAYDN/SYMPHONY No.88 & 100
3E(Rc) Collegium Aureum:HAYDN/SYMPHONY No.94 & 103
6D(DPl) 文楽:夏祭浪花鑑①「内本町道具屋の段」竹本南部大夫「三婦内の段」竹本越路大夫「長屋裏の段」竹本伊達大夫 先代豊竹呂大夫
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