つづきです!

 
 豊川稲荷さんの境内。東屋があるあたりが私のお気に入りスポットとなりました😉
 
 

お稲荷さんがこわいという方がおられます。

かくいう私も
今でこそ稲荷参りを楽しみ、伏見稲荷大社へ毎月参拝させていただいていますが、過去においなりさんこわい、気持ち悪いと感じて、みないように、行かないようにしていました。


何故こわいのか?何がこわいのか?

それが今回少しわかった気がします。(あくまでも私の場合のハナシ)




いなりをこわいと思うのは、この神(仏、存在)がすべてをもっておられ、またそのすべてを「与えよう」としてくださるからかもしれません。



すべてなんでも与えてもらえる
 
 
何でもかんでもあげようとする存在
 

って、こわいって感じるのは私だけ?



 
 
また、「何でも与えられる」という事の負の側面を、
 
与えられる喜びよりも
 
大きく強く感じ取っていたのではないだろうか。
 
 

受け取るにはそれ相応の器が必要である。



★器が適切でなければ、自滅する。



もらうものが及ぼす影響、取り扱いに注意や力量が必要なものは、受け取る器(自分の準備)が要る。


受け取れば、結果、害になるものもある。
 
 
 
 
例えば、刃物を使うには、使う者に目的と技能と心構えが要る。
 
 
使う者にそういった準備なく、ただポイっと刃物を与えられたとしたら、刃物は便利な道具として使いこなせず、
 
いたずらに自他を傷つける物になりうる。
 
 
(与えられてから使い方や心構えを身につけるパターンもあるだろうがそれがうまくいかなければ自滅。高額宝くじが当たって不幸になるとか、、、)




★いなりへのおそれは与えられることへの恐怖。なのかもしれない。
 
 
 
だらだら書いとったらなんかよく分からなくなってきた。
 
 
 
えー、つまり、
 
これからは
 
 
 
もらいまーーーすキラキラキラキラキラキラ
 
 
ってことですお願い
 
 
 
 
 
こうして稲荷を巡ることは、神仏や存在に対して、そして与えられることに対しての疑いと恐怖を外していく過程のような気がします。
 
 
 
「自滅」という言葉が何度も出てくるのですが、
 
 
自分の今までの人生を鑑みても、自滅した時は、
疑い、「疑心暗鬼」が原因だったように思う。
 
 
何かや誰かを疑う気持ちに自分が持ちこたえられなくなった時、オワル。
 
 
 
これは、疑うな、いたずらに信じろということではなくて、
私が「ただ観る」という作業?をおこたった結果だと思う。
  


何を観ればよかったのかっていうと、、、人に関して言うと「行動」「おこない」かなあ。
 
 
思っているだけでもダメ
口で言っているだけでもダメ
 
思いを、言動を、「実際にやっているか」っていうところが、「信ずる」に値するところ(観るところ)かなあと思う。
 
 
 
 
さて
ランチを豊川稲荷参道でいただきました。

 

きしめんと田楽とわさびいなりのセットにしました(*^^*)

 

 

 

「カドヤ」さん

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g298108-d3610320-Reviews-Kadoya-Toyokawa_Aichi_Prefecture_Tokai_Chubu.html

 

 

 

 

豊川素雄神社(とよかわすさのおじんじゃ)
 

 



 
 
 
 
 
ご神木がとても美しく、、、広々としたとても素敵な神社さんでした。
 
 
 
 
 
 
 
森がすごかった。。。大きな声で元気よく祝詞奏上。
 
 
 
 
豊川稲荷参道に戻り、おやつ食べまーす。お抹茶と白玉団子のセット。
 
 

 

 

 


お土産に「きつねせんべい」を購入〰。

 

最初はすごい顔バレエと思ったけど、だんだん愛らしくみえてきた。

 

 

そして次の日にはイケメンに見えてきた。

 

 

見ると元気出る顔しとる。しかもサードアイが宝珠。

 



そんでまた、おいなりさんがこわいのは何故かっちゅう話に戻るけど(笑)、



そのままをみる


っていうのができにくくなっている時、おいなりさんをこわいと感じるのかもしれんなあと思いました。



私は、


天使しかみえないのも


悪魔しかみえないのも


おかしいと思うんや。



天使しかみてないのも


悪魔しかみてないのも


キモイと思うんや。(そういう人はうさんくさく感じるー。)




目をそらすことと、自分が何を信じフォーカスするかっちゅうことは、違うと思うんや。



だから、おいなりさんは『ただ、みる』ということを教えようとしてくれているんじゃないかなあ。



そしてそこに何をみているのか…というのは、これはまた自分の意識(もののみかた、価値観、信念、エネルギー状態)の反映。



だからだから、結局、みえてくるのは自分自身。



どこまでいっても、自分自身を観たい、感じたい、、、自分自身を知りたくてたまらないのかもしれないなあ。






 

 

豊川市から名古屋に戻りまして、

バスの時間まで、名古屋駅の近くのタリーズでまったり。

 
 
あーーーーーー、楽しかった。
 

 

 

「いなりの愛」に浸ることのできた一日でした。

 

 

ありがとうございましたお願い

 

 

次はどこに行こうかなウインク

 

  

 

 

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