先日のお話です。
満月の日の朝、ちょっと不思議なことがありました。
多分、明け方。
だんだんと明るくなってくるあの時間帯、私は一番何かを受け取る時です。
(なんかいろいろ来る(笑))
そして眠りと覚醒のはざまにいるため、起こったことをだいたい覚えていることが出来ます。
で、その日も
ふと、気が付くと
ひゅるるーーーーん♪と、光の龍が私の枕元にやって来ていました。
そんなに大きい子ではなくて、人間と同じくらいのサイズ感。
そして彼は(なんか「彼」って感じ)
その手に持っていた光る「宝珠」をぽいっと私の口の中に入れたのです。
手のひらサイズくらいのその宝珠を、私はごっくんと飲み込みました。
宝珠は私の体の中をするするーっと落ちていき、みぞおちの下あたりにおさまりました。
なんとなーーく
宝珠には仏さんが入っているような感じがしました。
これは釈迦如来さんだなあ・・・と思った瞬間に仏さんのエネルギーと言葉がバーーーーッと流れ込んできました。
以下記します。
◆
あなたがもっとあなたを信じることが出来たら
どうなってしまうんだろう
あなたが心から「自分は大丈夫だ」とわかってしまったら
どうなってしまうんだろう
信じるとは
出来る時だけをよしとすることではない。
出来るという事だけを存在させることではない。
出来るあなただけをよしとすることではない。
出来るあなただけを存在させることではない。
出来ないという事、
出来ないあなたも存在させてあげること。
★それが「知」になる。
★あなたは出来ないあなたを知りたかったのだ。
『出来ない自分を知りたがったあなたがいたのです』
出来ないのを悪いことにしているうちは、これに気づけない。
出来ないのは「努力が足りないからだ」「やり方が悪いからだ」としているうちは、これに気づけない。
出来ないという事象を、知りたいと欲したあなた。
今こそ
超えて行け。超えて行け。
ここが正念場。
◆
眠りと覚醒のはざまで、ぼんやりと思いました。
私が
『ほんとうに
こころから
ただ生きているだけで大丈夫なのだと
わかりたい』
と思っていたことに。そう望んでいることに。
そしてその「望み」に光が当たっているような感じがしました。
私は年間と月間の目標(数字的&行動的)を立てるのですが、
数字的な目標はここ数年、ほぼ達成出来ていません(;^_^A
コロナは関係ありません。
コロナの前からできてなかったですから。
この「出来ない」という事を、
否定的に、悪い事だ、私の何かが足りないからだ、ととらえて、
方法論、原因を探ったり、改善することばっかりを考えていました。
しかしこの釈迦如来さまからのエネルギーで
「それでも自分を愛せますか?」
「できない自分を愛せますか?」
「こんな自分も愛せますか?ゆるせますか?」
そう問われているように感じました。
「出来ない」ということを正当化するでもなく、
自暴自棄になるでもなく、
責められないように守るでもなく、
出来なかったという事実をただ「みる」。明らかにする。
出来る・達成するということに「だけ」こだわって、意識を向けて来た。
それによって置き去りになっている自分がいたのかもしれない。
★置き去りになっている自分を拾い上げよう(事実をただ「みる」ことによって)。
できない自分も居る。
そうして
また歩みを進めることが出来るのかもしれないなあと思いました。
「できないことが見えてくると、
そこから人生がおもしろくなってきます」
『超訳・易経』竹村亞希子さん著より
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出来るあなただけがあなたではない。
出来ないあなたもいます。
こんなにもできない、こんなにも達成できない自分も
愛せますか?
ゆるせますか?
★今、自分への愛を問われている。
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※2022年6月8日の記事を再編集しました。
今日もお読みいただきありがとうございました(^o^)/
あなたに幸あれ。
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