第1部3章 ①『第一エノク書』とその概要 成立過程について~(4)天文の書:72章~82章 | imaga114のブログ

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第1部 堕天使と洪水伝承

 

 

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3章 ①『第一エノク書』とその概要

 
■成立過程について
 
 『エチオピア語エノク書』は『第一エノク書』(1 Enoch)とも呼ばれています。
 
現在全体としてまとまって残っているのは、エチオピア語のものだけですが、これのほかに、クムランの洞窟から発見されたヘブライ語の断片やアラム語の断片、またギリシア語やラテン語の断片があり、さらに、エチオピア語訳よりも短くまとまったスラブ語訳のものもあります。
現在では、『第一エノク書』(『エチオピア語エノク書』)は、その大部分がアラム語で書かれ、これがギリシア語訳を通してエチオピア語へと訳されたと考えられています〔村岡崇光訳『エチオピア語エノク書』〕。
 
〔注記〕引用した『第一エノク書』の訳文は、この岡村氏の版からのものと、Nickelsburg(3)に基づく私訳とを併せ用いています。
また、岡村訳で用いられている「寝ずの番人」という訳語は、わたしなりに「見張りの天使」と訳し変えてあります。この点ご了承ください。
 
 この書の内容からその成立過程をたどると、その起源は古く、古代バビロニア語の賢人の文書やバビロニアの神話『アトラ・ハシース』、それにバビロニアの天文学へさかのぼると見られています(紀元前1800~600年)。
なお『第一エノク書』を構成する諸文書は、独立して区別されているのではなく、内容的に互いに重複します。
上記の古代バビロニアの伝承から、ヘブライ語の創世記6~9章が書かれました(前10世紀か)。
 
創世記6章4~5節にでてくる神々と人間との結婚話は、エジプトにも、またバビロニアのギルガメシュ神話にも見られます〔Wenham Genesis.6:4~5〕。
ただし、創世記のネフィリム(巨人)に関する記事は、バビロニア型ではなく、ウガリットやギリシアなど、地中海系の神話につながるもので、このことはヤハウェ資料が地中海系の伝承ともつながりを持っていたことを意味します〔関根訳(注)165〕。
 
 創世記のこの部分とバビロニアの天文学から、『第一エノク書』の「ノア書」にあたる部分(6~11章/同65~67章/同83~84章/同106~7章)が成立し(前4世紀)、さらにこれらバビロニア語とヘブライ語の諸文書から、「エノクの旅」(同17~36章)と「エノクの幻」(同6~16章)と「エノクの天文の書」(同2~5章/同72~82章)がアラム語で書かれました(紀元前3世紀)。
エノク伝承のこれら三つの書から、「見張りの天使たちの書」(同1~36章)がアラム語で書かれ(前4世紀末?~前3世紀)、「見張りの天使たちの書」を始め上記の諸書から「巨人の書」が書かれ、また「エノク書簡」(同91~105章/108章)と「エノクの夢」(同83~90章)と「エノクのたとえ」(同37~71章)が、やはりアラム語で書かれました(前2世紀)。
 
これら三つのエノク文書をもとにして、ギリシア語で「エノク諸書」が書かれます(紀元1世紀頃)。
 
ただし、「巨人の書」だけは、上にあげた三つのエノク文書とは別個に伝えられて、この「巨人の書」と「エノク諸書」とから、マニ教の聖典となったペルシア語の「巨人の書」(紀元250年頃)が成立したと考えられます。
 
「エノク諸書」と先の「見張りの天使たちの書」から、ヘブライ語かギリシア語?で「エノクの奥義」が書かれました(紀元1~2世紀)。
エチオピア語版のエノク書は、「エノク諸書」のギリシア語版から訳されたと推定されます(紀元4世紀~5世紀)。
これに遅れて、その後スラブ語の「エノクの奥義の書」が書かれています(紀元9~16世紀)〔フォーサイス220~21〕。
 
 以上で分かるとおり、『第一エノク書』は、長期間にわたって複雑な過程を経て成立した文書です。
この文書は「ギリシア・ローマ時代を生き延びた最も重要なユダヤ教の文書」〔Nicklesburg (3) vii〕と言われるほど多様で豊かな内容を含む書です。
特にイスラエルの黙示思想を探る上では、重要な文書と見なされています。
以下にその内容をできるだけ分かりやすくまとめてみたいと思います。
まとめは、村岡崇光訳とその解説『第一エノク書』『聖書外典偽典』(4)に基づきながら、さらにこれを Nicklesburg: 1 Enoch. A New Translation. Fortress Press (2004).と照合してあります。
 
 
■(1)序の書:1~5章(ペルシア時代からヘレニズムの初期)
 
ここは1~36章(前250~前200年)までの導入部分です。
神から啓示を受けた義人エノクは、終末の苦難の時に選ばれる義人と追放される不敬虔な者たちについて、天使たちから見聞します。最初に、主なる神が、シナイより天の軍勢を従えて顕現し(申命記33章1~2節)、その栄光によって、山々はふるえもろもろの丘は低くされます(第三イザヤ56~66章)。
次に来るべき遠い時代のことが語られます。
神が創造された宇宙では、星の運行も四季の巡りも樹木の葉が落ちるのも落ちないのも、すべて神の定めの通りに行なわれています。
ところが人間は神の定めに従わず、傲慢に陥り平和を失ったのです。
 
このため、人間たちに終末の裁きが臨み、義人と選ばれた者たちは知恵と命を授かり、地を受け継いで長寿を全うし、老いてしあわせな年月が与えられます。
しかし不敬虔な罪人らは不義を告発され、堕落天使たちは恐れおののくのです。
ここでは、終末の裁きはこの地上において行なわれます。
その結果、選ばれた幸いな義人は祝福を与えられ、不敬虔な者や堕落天使たちは呪われるのです。
 
 
■(2)見張りの天使たちの書:6~36章(前300~200年)
 
創世記6章の記事に基づいて、見張りの天使たちが(シェミハザやアサエルなど200名)、結束して誓いを立てますが、この時にアサエルはすでに反逆の兆しを口にします(村岡訳『エチオピア語エノク書』では、「アサエル」ではなく「アザゼル」と読んでいますが、この点は第6章で説明します)。彼らは、ほんらい人間を教え監督する「見張り役」であったのに、神に反逆して堕落して、人間の女たちと通じて巨人たちを生みます。
その結果生まれた巨人たちは、人間たちを食らい、互いの血をすすり合い、結果として暴虐が地に満ちることになります(巨人たちは作者の時代のヘレニズムの王たちを反映)。
 
アサエルたちは、金属(武器など)、染料、魔術(薬草類)、天体のしるしや占星術など文明の技能を人間に教えますが、この結果、人々は道を踏み外して堕落します(禁じられた秘義の啓示という神話的なテーマで、アサエルはギリシア神話プロメーテウスを反映)。
 
ガブリエルとミカエルとラファエルとサリエル(ウリエル)の四天使は、地上の暴虐を見て、この有様を主なる神に報告し、暴虐の犠牲となった死者の魂の叫びが天の門に届いていると告げます。
 
彼らは、諸時代の主である神に裁きを祈り求めます(9章)。
聖なる至高者は、アルスヤラルユル(天使ウリエルのこと?)をノアに遣わし、大洪水が起こってこの地に終わりが来ることを彼に告げるように命じます。
また主は、ラファエルに、アサエルを縛って、終末の審判の時まで暗闇に投げ込むように命じ、ミカエルに告げて、シェミハザたちを永遠の審判が終わるまで「丘の下へ」つないでおくように命じます。
堕落した人間たちは、やがて大洪水によって滅ぼされ、堕落天使たちの子らは火の拷問にかけられるのです。
裁きが行なわれるその時には、新しい時代が始まり、正義と道理の木が生え、地は豊かな実を結び、人々とが老年まで安らかに暮らす時が来るのです。
その時、人の子らはすべて正しくなり、すべての民は主を崇めるようになり、天は祝福の藏を明け、平和と道理が一つになります(6~11章)。
 
 天にいる見張りの天使たちは、天にいるエノクに向かって、地上で堕落した天使たちに断罪が臨むことを告げます。
エノクが降って、アサエルたちに裁きを告げると、彼らは恐れおののいて、赦しの嘆願書を書いてくれるようエノクに懇願します。
しかし、「聖にして大いなるお方」は、彼らには赦しがないことを文書に書いて堕落天使たちに渡すようエノクに命じるのです。
彼らの裁きはすでに終わっているからです。
彼らは二度と天に戻ることができません。
天上の霊と地上の肉とを区別する神の掟を破ったために、地上の堕落天使たちは、地上で悪霊に変じることになります(6~11章で彼らが滅びるとあるのとは少し異なる)。
エノクは、彼らが燃えさかる火の海に投げ込まれる幻を見ます。
地上では、巨人たちが死ぬと、その死体から悪霊どもがでてきます。
だから、巨人たちの肉の存在は、死ぬまで裁かれることがなく、人々は大いなる裁きの日まで、堕落した生活を続けるのです。
この部分には、おそらく当時のエルサレムの祭司たちへの非難がこめられているのでしょう(12~16章)。
 エノクは、天使たちに連れられて地の果てにある火の川を見、深淵の水が注ぎ込む場所を見、また太陽とすべての星の回転を西の空に没せしめる風を見ます。
そこは神に背いた天の軍勢(堕落した星々たちのこと)が閉じ込められる場所です。
この部分は、ギリシア神話にでてくる黄泉にある処罰の場所巡りと共通することが指摘されています(「火の川」とは、ギリシア神話で黄泉の国へ渡る時に通るスキュテス河か)。
また堕落天使たちと通じた女たちも魔女にされます(17~19章)。
 
 第二の旅が始まり、エノクが見ると、ウリエル(タルタロスを見張る)とラファエル(人間の魂を見守る)とラグエル(世界と天体に復しゅうする)とミカエル(選民たちを護る)とサラカエル(罪に誘う人間の魂を見張る)とガブリエル(蛇とエデンの園を見張る)の6人の天使たちがいます。
またエノクは、混沌の荒れ野を見ます。
そこでは、「天の七つの星たち」が、彼らの「罪の日数が満ちるまで」神によって縛られています。
次に燃えさかる炎と大きな火の柱を見ます
。そこは堕落天使たちが永遠に留め置かれる場所です。
さらに行くと、高い山とその回りに四つの窪地があります。
そこは、死者の魂が、定められた時に裁きを受けるまで留まる場所です。
また「死んだ人の子たちの霊魂の叫び」を聞きます。
それはカインによって殺されたアベルの(すなわち殉教者たちの)叫びです。
 
 四つに区切られた場所では、死者の霊魂が、選り分けられてそれぞれの場所に住んでいます。
悪人は、「裁きの日に殺されることもなく、ここから連れ出してもらえない」のです。
ここで「復活」がでてきますが、ここで言う復活とは、再び地上に戻ることを意味しています。
彼はさらに、駆けめぐる火と、火の山を見、美しい七つの山を見ます。
 
真ん中の山は、主のみ座にも似た高い山で、薫り高い木に囲まれています。
「すべてのことについて知りたい」エノクは、その場所に、裁きと復しゅうの時に選ばれた者に与えられる命の木の実を見ます。
 
それらの実は、艱難がなく先祖たちのように長生できるようにと永遠の王が創られた木なのです。
祝福の土地があり、そのまわりに呪いの谷が見えます。
そこには裁きの木があり、またサリラとかカルバネンとか呼ばれる水があります(ギリシア神話の神々の飲み物ネクタルに似ている)。
また義人の園と知恵の木を見ます(これはかつてアダムとエヴァが食らい、知恵を知り、目が開いて裸であることを知った木)。
エノクはそこから、天の門が開いて、星の運行や霜や霞や雪や雨の降るのを見、全地の果てにいたるまでを見るのです。エノクの天体への旅(33~36章)は、後の72~82章の描写と重なり、これのまとめと見ることができます(20~36章)。
 
 
 
■(3)たとえの書:37~71章(前40年?~後50年?)
 
 エノクの系図がでますが、アダム→セツ→エノス→カイナン→マハラレル→ヤレド→エノクとあります。
ヤハウィストのこの系図は、創世記5章21節のイエレド→エノク→メトシェラ→レメクから来ています。
ところが創世記4章17~18節には、カイン→エノク→イラド→メフヤエル→メトシャエルとあります。エノクには、このようにセツ系とカイン系との二つの系図があります。
なお、エノクの名前の語源は「賢く訓練された」あるいは「捧げられ聖別された」のふたとおりに解釈されています。
 創世記5章で、エノクは「神と共に歩んだ」とあり、神によって天へと引き上げられたとあることから、知恵の人エノクの伝承が生まれました(彼が365年生きたとあるのは、捕囚期のバビロニアの天文学がエノク伝承に関わっていることを示唆)。
 
エノクが神の領域へと引き上げられたとあるのも、ジウスドラ→ウト・ナピシュティム→アトラ・ハシースというバビロニアの知恵の人の系譜につながるのでしょう〔フォーサイト219〕。
この知恵の人エノクの伝承が、エノクの幻による天界の旅へもつながることになります。
以後の幻が「知恵の幻」と呼ばれ、「もろもろの霊魂の主」(天使と人間の両方の霊の主という意味で「神」のこと)から授かる「知恵のことば」を語り、これが「知恵のはじめ」であると言われるのです(37章)。
 
 「たとえの書」は、選ばれた義人たちと暴虐な王や権力者たちの両方への神の裁きを語るもので、いくつかの別個の文書がまとめられていると考えられています。
これの成立年代については、紀元270年頃〔村岡164〕という説もありますが、56章5節などから判断すると、世紀の変わり目である前40~後50年頃と見ることができます〔Nicklesburg (3)6〕〔Stegemann93~94〕。
したがってこの部分はキリスト教成立前後にあたることになります。
ユダヤ教においては、この「たとえの書」で初めて、「人の子」が神の権威を帯びた個人像として現われることになります。
これはイエス直前のユダヤ教の歴史的宗教的背景から生まれたものでしょうか? それとも原初キリスト教会から影響された後のものでしょうか? この点が目下議論されています。
 
〔第一のたとえ〕
もろもろの霊魂の主(ヘブライ語の「天の軍勢の主」からでた言葉で、「神」を意味します)に従う義人・聖者たちが顕れる時には、罪人たちは追い払われ、権力者の命運が尽きます。
その時には、主は、天使と人とが結ばれて生まれた種を憐れむことをしません。
天の果てには聖者たちの住処があり、「義と信仰の選民」が住んでいます(ここで、彼らの住む「場」と「時代」とが重ねられている点に注意)。
 
主の御前には終わりがなく、世界が創造される以前から、それがどのように変わるかも主によって知られているのです。
エノクには、主の御前に立つ四天使が見えますが、「選ばれた者」(単数)であるメシアも現われます。
それから「天のすべての秘密」、すなわち選民の住処と罪人への稲妻による刑罰(ギリシア神話でゼウスが巨人ティタンたちを退治する雷光を想わせる)、霧や霞、太陽と月の運行が見えます。
ここでは、「光と闇との間の隔て」が、人間の霊的な「光と闇」に対応されています(41章)。
「知恵」は、人間の間に住もうと降りますが、自分の住居を見いだせないまま、再びみ使いたちのところへ戻ります(シラ書24章3~10節)。
するとエノクは、別の空に、稲妻と空の星を見ます。
それらの星は、主を信じる義人たちの名前で、それらは、ちょうど天体の運行のように、その場と時とを定めて姿を現わすのです(43章)。
 
〔第二のたとえ〕
「選ばれた者」メシアが、栄光の座に座り主を否定する罪人たちを裁き、選民を住まわせ、平安を与えます。
次に「高齢の頭」(ダニエル書7章9節の「日の老いたる者」)と人の子が現われます。
人の子には義が宿り、彼はすべての秘密の藏を開き、王と権力者たちの高ぶりと横暴を砕くのです。
彼らは、富と権力を頼んで暴虐をあらわにしたために、暗闇とウジ虫の中に住まわせられます(46章)。
義人たちの祈りと血とが主の前に届き、天に住む聖者たちは義人たちの血と祈りのゆえに、彼らのために裁きを行なうよう主に懇願します。
「高齢の頭」(「神」を指すと思われる)が栄光の座について、「生ける者の書」がその前に開かれます。
「義の数」(正しい者のための裁きの時のこと)がめぐってくると義人たちの祈りが聴かれて、彼らの心は喜びます。
それから義の泉といくつもの知恵の泉が見えてきます。
渇く者はこれを飲んで知恵にみたされ、彼らは、聖者と選ばれた者たちと義人たちと共に住みます。
人の子の名前が、高齢の頭の前にあります。
この人の子の名前は、「太陽としるし」が創られる以前から存在していたのです。
世界が創造される以前から、彼は選ばれ、主の御前に隠され、永遠に主の御前にいるのです(イザヤ49章3節)。
 
主の知恵が、聖者や義人たちに人の子の姿を顕わし、彼らは救われ、彼らの命を奪った者たちはその報復を受け、主とその油注がれた者(メシア)を否定した者たちは、義人たちの前で、火に投げ込まれます(48章)。
メシアの前では、知恵が水のように注ぎ出され、暴虐は影のように過ぎ去り、知恵の霊、悟りに導く霊、教えと力の霊が彼に宿ります(イザヤ書11章2~3節を参照)(49章)。
その(メシアの)時に、罪人たちは主の御前に悔い改めて憐れみを受けますが、悔い改めない者に憐れみはありません。
その時、黄泉は与っていた死者を主に返し、地獄も借りていた者を返し(ここには人類全体の復活が予測されている)、メシアは知恵の奥義を口から語り、人々の中から義人と聖人を選び出します(51章)。
 
 エノクは、地上に起ころうとするすべてを見ます。
鉄、銅、金、軟金属(鉛や錫)の山々が見えます。
これらは地上の権力を象徴するもので、メシアが姿を顕わす時に、地の面からことごとく消滅するのです。
そこには深い谷があり、大地に住む民がメシアに贈り物を持って来ますが、谷は埋まりません
正直者が稼ぎ出したものを不法な者が食い荒らすのが見えると、サタンが責め具を用意しているのが見えてきます。
責め具は地上の王たちと権力者たちを滅ぼすためのものです。
別の方には、火の燃えさかる深い谷があり、王たちや権力者たちが投げ込まれます。
ミカエルとガブリエルとペヌエルが、アサエルの軍勢を地獄の深みへ投げ込み、サタンの手下となって地に住まう者たちに刑罰が降されます。
 
 上にある天の水と地下にある水の泉が開かれます(水はバビロニアの宇宙論では原初のもの)。
高齢の頭はこれを見て、二度と水で滅ぼすことをしないと言います(ノアに与えられた主の約束と同じ)。
主は、「程なく選ばれたメシアを見るだろう。
彼は、わたしの栄光の座に坐り、アサエルとその手下たちを裁く」と告げます(54~55章)。
懲罰のみ使い団が、青銅の鎖を持って歩いてきます。
彼らは、それぞれが選んだ者たちのところへ行くと、王たちを王座から揺さぶり落とします。
 
すると王たちは、狼のように、み使いが選んだ土地/国を踏みにじるのです。
56章5節には、「パルティア、メディアのほうへ王が向かう」とありますが、これはヘロデ大王を指すと考えられています。
前40年にハスモン家のアンティゴノスがパルティアと組んでパレスチナを占拠した時、ヘロデはローマへ逃れてそこで「ユダヤの王」に任ぜられました。
 
その後、前39~37年に、彼はローマの援助を得てパレスチナに戻り、パルティアを追い出して東へ侵攻し、パレスチナの実権を握ることになります。
王たちによる蹂躙の結果、人々は父母も子も見分けがつかなくなり、黄泉は口を開けて、人々を貪り食うのです。すると別な車の一隊がやってきます。その音が轟くと、全ての者が倒れ伏します。
ここで第二のたとえが終わります(57章)。
 
〔第三のたとえ〕
このたとえは、「幸いなるかな、あなたがた義人たち、選民たちよ」で始まります。
義人たちと選民たちは太陽の光にあって永遠の命を与えられ、霊魂の主の前に暗闇は過ぎ去り光が確立されます(光と闇という時間的でかつ空間的な区別が、義人のためであることに注意)。
ここでエノクに「稲妻の秘密」が教えられます。
 
「稲妻の秘密」の法則とは、稲妻が、主のみ旨次第で祝福ともなり呪いともなることです(ヨブ36章32~33節)。
同様に雷鳴の響きは、主の御言葉次第で、祝福ともなり呪いともなります。
 
高齢の頭が現われると、憐れみ深かった主が、裁きを重んじない者のゆえに怒りの裁きを行なうとミカエルが告げます。
すると海の怪獣レヴィヤタンと陸の怪獣ベヘモトが現われます。
ここで「黙示」という言葉が「隠されたこと」を意味することが知らされます。
黙示とは、「はじめのことと終わりのこと、天上にあることと地上の深みにあること、天の果てにあることと天の基にあること、風の藏にあること」なのです。
 
そこで雷鳴と稲妻とがそれぞれ区分され、海の霊、霜の霊、雹の霊、雪の霊、霧の霊、露の霊、雨の霊が、それぞれ季節によって区分され、それぞれの藏から出されるのです(60章)。
 
 天使たちが紐と綱を持って飛んで行き、「地の深みに隠されたこと」(ゼカリア2章5~6節)を測り、これを露わにします。
これは人々が、選ばれた者メシア(単数)により頼むためです。
メシアは栄光の座にあって、聖人たちの行ないを裁きます。
聖人たちは声を一つにして、信仰の霊、知恵の霊、憐れみの霊、裁きと平安の霊、善の霊によって主を崇めます(61章)。
栄光の座にメシアが座り、王と権力者と貴人たちを裁きます。
彼らは栄光の座に人の子が坐るのを見るのです。
義人たちは人の子と共に住み、主の剣が王や権力者たちの血で酔いしれます(62章)。
王と権力者たちは、主の御前にひれ伏して懲罰のみ使いに嘆願し、メシアである人の子を崇めて「陰府の激しい炎に落ち込むのを防いでください」と嘆願します。
すると別の顔、「人の子らを惑わして罪を犯させた」堕落天使の顔が隠れているのが見えてきます(63章)。
 
 ここでは、エノクではなく、ノアがでてきます。
ノアは父祖エノクから、大地に住む者たちの最期を知らされるのです。
 
エノクはみ使いたちの全ての秘密、サタンどもの全ての不法、魔術を行なう者の全ての力、悪魔払いの全ての力、鋳物の偶像を作る者たちの全ての力を知ったのです。
これらの者たちは裁かれ、悔い改める可能性はありません。
ただノアとその末裔だけは義をもって栄光の地位に定められます。エノクはノアに、懲罰のみ使いたちが地下水の力で裁きを行なうのを見せます。
主のみ使いたちは、堕落天使たちを金と銀、鉄と錫などの山に閉じ込めます。
すると山に水が波立ち、火の川が流れ、硫黄の臭いがします。
硫黄が水と混合して燃え出すのです
。堕落天使たちが裁かれます。
水の泉の温度が変わると水が変じて火となり、大地の住民たちと支配者たちも「肉体の情欲に信頼をおき、主の霊を拒んだゆえに」裁かれます。
エノクはここで、「すべての奥義の解釈」の本をノアに見せて、エノクに授かったたとえをノアに語ります。
ミカエルとラファエルは、堕落天使にくだされる裁きの厳しさを語り合い嘆きます(65~68章)。
 
 
 ここで、堕落天使たちの名前が列挙されます。
彼らは、人の娘たちを惑わした者、エヴァを誘惑した者、人の子らに殺戮の武器を見せた者、また墨と紙で書くことを教えた者などです。
 
なぜなら「人間は墨と筆で信仰を全うするように生まれたのではない」からであり、「知識のゆえに彼らは滅び、この知識の力のゆえに死はわたしを食い尽くす」からです。
 
世界は創造の時から永久にその位置からずれることなく、日と月はその運行を完了し、星はその運行を完了するのです。大地の人々は霊魂の主を賛美し、人の子が啓示されたことをほめたたえ、人の子に裁きの権限が与えられ、悪が彼の前から消え去ったことを賛美します。
ここで第三のたとえが終わります(ここは福音書にあるイエスの「人の子」像へつながる)。
 
 この後に、人の子メシアは、生きながら主のもとに上げられ(エノクと同じ)、エリヤのように「霊の馬車で」(列王記下2章11節)引き上げられます(70章)。
エノクは霊的に(現実の肉体ではない)天に引き上げられます。
 
すると衣装は白く顔は水晶のようなみ使いたち(の子ら)が歩いていて、二つの火の川が見えます。
光の間に水晶で建てられたものがあり、セラフィームやケルビームたち、ミカエルやラファエルやガブリエルたち、そして、彼らと共に「高齢の頭」が現われます。
「その頭は羊毛のように白く、その衣は形容を絶する」とあります。
エノクがその前にひれ伏すと、高齢の頭は、エノクに向かって「あなたは義のために生まれた人の子である。
義はあなたの上に宿り、高齢の頭の義はあなたを離れることがない」と告げます。
こうして人の子は長寿を給わり、義人は平和を給わるのです(71章)。
 
■(4)天文の書:72章~82章(紀元前3世紀?)
 
 この天文の書の原文はアラム語で、クムラン文書に含まれています。
これの初期の原稿は前200~150年頃と考えられるので、文書それ自体は前3世紀にさかのぼり、その内容はさらに前3世紀以前からのものと推定されます。
したがって、「天文の書」は、『第一エノク書』全体で、最も古い部分になります。
ただし、原文のアラム語版は、長大であり、エチオピア語訳は、これを縮小していると考えられます。
これは、「種類、主従の関係、季節、名称、起源」について述べる書であり、天使ウリエル(名前の意味は「神はわたしの光」)がエノクに、「この世の全ての歳と、永遠に続く新しい創造ができあがる時までが、どのようにかかわるかを」示しています。
 
 1年は、30日からなる12か月ですが、第三、第六、第九、第十二の月は31日となります。
太陽は東の六つの門から昇り、西の六つの門へと沈みます。
太陽の運行は、12の窓に区切られて、昼と夜の長さと昼・夜の区分の変化について述べられます。
昼が10区分、夜が8区分になる時、昼が最も長くなり、これが逆に、昼が8区分、夜が10区分へと変化します。
 
1年はちょうど364日になります(創世記5章23節のエノクの年齢365と関連)(72章)。
次に月の区分が、光を14区分に分けて、太陽の運行と比較して語られます(73章)。
月の運行は七つに区切られ、太陽の運行と比較されます(この当時、ユダヤでは、太陰暦と太陽暦との関係が大きな問題になっていた)。
「月の順に従って太陽が昇りまた没するのを見る」のです。
5年間を合計すると、陽は月に対して30日分だけ超過が生じるから、5年の総計では、太陽が1年間に得る日は、最後には合計364日となる。
だから月齢だと、5年間では50日不足することになります(ここで著者は太陰暦の視点から、29日の月が6か月あり、30日の月が6か月あり、1年で354日の月の暦を念頭に置いている。
したがって、太陽暦に比べると、1年で10日ずつ、5年間で50日不足することになる)(74章)。
 
 さらに1年を360日とした場合に、4日を加える必要があると述べます。
太陽と月と星の運行を「12の門」に分けて見ています(75章)。
次に12の門から出る風を東、西、南、北に区分し、それぞれの方角をさらに三つに区分しています。
それらの区分の四つから祝福と繁栄の風が吹きますが、八つからは、禍の風が吹き、それらは、滅亡、干ばつ、繁栄と雨と露、寒冷と干ばつなどの風となります(76章)。
 
次ぎに東西南北、12の方角について述べます。
西は光が減じるから「減少」と呼ばれ、北は人間の住居、海、森、雲を入れるところ、さらに「義の園」のある方角です(ここはテキストの読み方に問題がある)。
また七つの大河について語られ、さらに「七つの大きな島を海と陸に見た。
二つは陸に、五つは大海に」とあります(78章)。
エノクは、これらを「わが子メトシェラに」見せていたことがここで語られます。
天使ウリエルがエノクに見せてくれた「全ての発光体」がここで終わります。
 
 ウリエルはエノクに「罪人の時代」について啓示します。
罪の時代では、一年は短く、地上で生起することは変化し、雨は遅れ、地は実らず、月もその秩序を変えて姿を見せず、星の頭どもは迷い、「彼らは天罰によって滅びる」のです(80章)。
ウリエルは、エノクに「天の板」を示して、「そこに書き付けてあるのを読んで、一つ一つよく悟る」よう言います。
 
エノクは、そこに書いてあることを全部読んで、書いてある一切のこと、人間と地上に住む全ての肉の子の行為を知り、未来永劫までも読み取ります。
そして、善人は善人に義を告げ、罪人は罪人とともに死に、「義を行なう者は人間の行為のゆえに死に、悪人の行為のゆえに(この世から)断たれる」ことを悟ります(81章)。
 
ここでエノクは、その子メトシェラに、自分の知識一切を啓示して、子孫に「彼らの思いも及ばないこの知恵」を伝えるよう伝授します。
それは一か月を30日として、4日の日をこれに加えて、一年を364日と計算することです。著者にとって、これは神から啓示された大事な定めなのです。
それから太陽、月、星などの天体の運行とその区切りを司る12の指導的な星とその名前があげられます(82章)。
以上で分かるように、この書にはユダヤ教の祭日は一切語られず、安息日もでてきません。