あらためて日本を見るため以下の↓投稿を参考に考えます
https://ameblo.jp/imaga114/entry-12549352566.html
日本は意外に●●
https://ameblo.jp/imaga114/entry-12546724299.html
日本は世界の縮図 1、
日本は世界のひな型
こう言ったのは、出口王仁三郎氏です。
歴史から隠された「大本(おおもと)」の教祖(出口なお・出口王仁三郎)の一人です
出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)上田喜三郎(本名)は明治4年旧7月12日、(未年)生
便宜上西暦ならば1871年8月27日~1948年(昭和23年)1月19日没となります。
出口なお1837年1月22日(天保7年)12月16日~1918年(大正7年)11月6日没
(日本で西暦が使われたのは1873年(明治6年)からなので、当時西暦表記はありません)
日本の独立とはいつなのか?
西先生は日本人として素晴らしい!(私の意見)
http://you.prideandhistory.jp/nirk7_sp1/
1951(昭和26)年9月8日サンフランシスコ
日本の首相である吉田茂は、日本独立を約束した「サンフランシスコ平和条約」にサインをした。しかしアメリカが吉田にサインさせたかったのは、平和条約ではなかった…
それまで、7年間の日本占領期間で、GHQは日本の文化、日本の強さを徹底的に破壊し、日本が二度と立ち上がれないようにするつもりだった。しかし、その目算はすぐに狂った。
日本の目と鼻の先で「朝鮮戦争」が勃発した。
平和憲法9条の名の下に、日本を二度と再軍備させないつもりだったアメリカの戦略は、朝鮮戦争により崩壊。マッカーサーは自ら作った憲法9条を新しく「解釈」し、日本を朝鮮戦争の軍事基地にするよう方針転換をした。そこに日本国民の意思など微塵もない。
軍事基地として、共産圏からの砦とするためには、日本を独立させてある程度、経済的にも軍事的にも強くなってもらった方がいい。日本の独立は全て、アメリカの都合、アメリカの外交戦略によるものだった。事実、独立交渉に、日本人は一人も参加していない。
現代の私たちや、私たちの子供達が「普通」だと考えている情景。それらは、アメリカが作り上げた「異常な」情景であった。しかし、小学校から大学まで、徹底的に教育された私たちは、その「異常さ」に気付くことすらできなくなったのか。
終わらない沖縄基地問題、取り戻せない北朝鮮の拉致被害者たち、北方領土、実効支配されてしまっている竹島、明らかに奪い取られても何もできない尖閣諸島。これらは全て、本質的な原因が語られることはなく、表面的なことばかりではないだろうか。
70年経っても、アメリカの支配は終わらない。それは、目に見えない形で続く。一般国民が気づくことは、ほとんどない。誰もが目に見えて気づいて、異常だったインドの植民地支配は、250年続いた。気づくことが難しい、アメリカの日本支配は、いつまで続くのだろうか?
歴史を知らなければ、それは永久に続く。
歴史を学ばなければ、私たちは、植民地の奴隷のままではないか
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さて「出口王仁三郎」を生かすことができなかった日本です。
今になって最悪の世になって、また出てきました。
しかし、もう今は王仁三郎の意思を継ぐ者はいなくなり、また時代が違いすぎるので「教え」をそのまま適用できない。
ネットで当時の様子や遺された霊界物語など簡単に見ることができます。
いかにして今の私たちに適応できるかが問題です。
祝詞(のりと)に秘密があった!
これについては後日書くことにします。
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新興宗教の一括りの中に入れられてしまいましたが、あまりにも政界をはじめトップ層への影響が大きすぎたため、国を挙げての大弾圧が2回もあったのです。
世界平和を唱え、戦争反対など思想活動が当時の戦争まっしぐらの日本帝国軍の意向とぶつかったのです。
生まれるのが早すぎたとも言えますが、それも運命です。
その時代を変えることができなかったのですから。
同時代に生きた秋山 真之(あきやま さねゆき)1868年4月12日生まれ~1918年2月4日も出口王仁三郎に感化されたひとりです。
秋山は人並外れた予知能力があるとされ、バルチック艦隊対応で多くの人の目に触れることになりました。
歴史は創られるものであり、真実とはかなり乖離するものがあるのは、心ある人には周知だとおもいます。
秋山像も晩年から死に至るまでは知られていませんが、そこを知ることで彼の人間性がみえてきます。
今日は秋山を深堀するのが目的ではないので、一言だけ
秋山はなぜ普通ではない能力を持ったのか、
もともと鋭いカンと頭脳があり、その上に霊的存在からの影響を多く受けたのです。
霊的存在は良いものだけではない、否、悪霊の方が多いのです。
ですから、本当の審神者(さにわ)がいないと勝手に憑依してしまうことを知る必要があります。
つまり、秋山は自分への過信のゆえに間違ったということです
壮大な思考を持つ王仁三郎を、当時の日本人は理解できなかったのでしょう。
冒頭に書いた
「日本は世界のひな型(縮図)だ」
これには全体的な理解がいるのですが、日本で起きることはひな型のように世界に起きる。また日本地図そのものが世界地図に重なるという、摩訶不思議な事実があるということです。
まず日本地図を眺めてみましょう。
王仁三郎が生きていた時代、台湾は日本でした。
ですから、当時の地図を当てはめる必要があります。
現在台湾の重要性が際立っているのも必然なのかもしれませんね。
それは秘密です!
あらためて日本と世界の地図をながめてみてください。王仁三郎の、「日本は世界のひな型である」という言葉にはまだまだ深い意味があったのですが、
北米・・北海道
南米・・台湾
ユーラシア大陸・・本州
アフリカ・・九州
オーストラリア・・四国
かなり類似していますよね。
不思議なほど地形そのものもコピーしたように合致します。
よーく見つめてみると、見えてくるものはありませんか?
わかりやすいように少し圧縮しています。
そして世界地図
いま現在、「台湾」の存在が大事です
王仁三郎は日本を救うために全国に48基の歌碑を建立しています。
台湾には2基
「草山(そうざん)」(現在は陽明山)ともう一つ
戦後、何基か再建され、大分の神聖歌碑は土中に埋められていたものがそのまま再建されています。また喜界島の神声歌碑、九州別院歌碑、新居浜歌碑、南海分院の三栖の歌碑などは、元の歌碑に文字を彫り直して建てたもの、白雲歌碑や風景歌碑は、三つ四つに割られた碑を継いで建てたものです。新たに造り直したものもあります。
戦前のもの以外に戦後新しく建設したものもあり、便宜上、一緒に載せておきました。(みてしろ発祥歌碑、竹田別院歌碑、三朝別院歌碑、史蹟歌碑)
http://www.onitama.net/modules/ot/index.php?content_id=41
こちらには42基が載っています。