日本は世界のひな型
こう言ったのは、出口王仁三郎氏です。
歴史から隠された「大本(おおもと)」の教祖(出口なお・出口王仁三郎)の一人です。
参考
出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)は明治4年旧7月12日、(未年)生まれました。
上田喜三郎(本名)は後に出口なおの婿養子になります。
日本で西暦が使われたのは1873年(明治6年)からなので、当時西暦表記はありませんが、便宜上西暦ならば1871年8月27日~1948年(昭和23年)1月19日没となります。
出口なお1837年1月22日(天保7年)12月16日~1918年(大正7年)11月6日没
新興宗教の一括りの中に入れられてしまいましたが、あまりにも政界をはじめトップ層への影響が大きすぎたため、国を挙げての大弾圧が2回もあったのです。
世界平和を唱え、戦争反対など思想活動が当時の戦争まっしぐらの日本帝国軍の意向とぶつかったのです。
生まれるのが早すぎたとも言えますが、それも運命です。
その時代を変えることができなかったのですから。
同時代に生きた秋山 真之(あきやま さねゆき)1868年4月12日生まれ~1918年2月4日も出口王仁三郎に感化されたひとりです。
秋山は人並外れた予知能力があるとされ、バルチック艦隊対応で多くの人の目に触れることになりました。
歴史は創られるものであり、真実とはかなり乖離するものがあるのは、心ある人には周知だとおもいます。
秋山像も晩年から死に至るまでは知られていませんが、そこを知ることで彼の人間性がみえてきます。
今日は秋山を深堀するのが目的ではないので、一言だけ
秋山はなぜ普通ではない能力を持ったのか、
もともと鋭いカンと頭脳があり、その上に霊的存在からの影響を多く受けたのです。
霊的存在は良いものだけではない、否、悪霊の方が多いのです。
ですから、本当の審神者(さにわ)がいないと勝手に憑依してしまうことを知る必要があります。
つまり、秋山は自分への過信のゆえに間違ったということです。
さて、やっと本題に入ろうと思います。
壮大な思考を持つ王仁三郎を、当時の日本人は理解できなかったのでしょう。
冒頭に書いた
「日本は世界のひな型(縮図)だ」
これには全体的な理解がいるのですが、日本で起きることはひな型のように世界に起きる。また日本地図そのものが世界地図に重なるという、摩訶不思議な事実があるということです。
まず日本地図を眺めてみましょう。
王仁三郎が生きていた時代、台湾は日本でした。
ですから、当時の地図を当てはめる必要があります。
現在台湾の重要性が際立っているのも必然なのかもしれませんね。
そして世界地図
わかりやすいように少し圧縮しています。
よーく見つめてみると、見えてくるものはありませんか?
北米・・北海道
南米・・台湾
ユーラシア大陸・・本州
アフリカ・・九州
オーストラリア・・四国
かなり類似していますよね。
不思議なほど地形そのものもコピーしたように合致します。
王仁三郎の、「日本は世界のひな型である」という言葉にはまだまだ深い意味があったのですが、
あまりに多くの情報があるとオーバーフローする方もいるでしょう。
今日はあらためて日本と世界の地図をながめてみてくださいね。
自分の住んでいるところは世界ではどこになる?