薬膳を学びはじめたきっかけ① | 薬膳でセルフメンテナンス!ママのおうち薬膳ご飯♡

薬膳でセルフメンテナンス!ママのおうち薬膳ご飯♡

スーパーの食材で作るいつものご飯を薬膳にするコツ。
食事でセルフメンテナンス力を身につけて薬&病院に頼りきらない生活を!
浸入奇胎の治療後→胞状奇胎の再発を東洋医学で克服。
体が整えば心も日常も整い始める!/薬膳食療法専門指導士、看護師




こんにちは
予防医学食養生士の今栄千加子です⭐︎







今日は、西洋医学の世界で生きてきた私が
東洋医学である薬膳を学び始めたきっかけを
お話ししていこうと思います!






めちゃくちゃ元気に
髪の毛フッサフサで産まれた私ですが
(父の第一発声は「ゴリラみたい」だったそう 笑)






小さい頃から
まあ怪我や病気が多い子どもでした。







4人兄弟の中でも
ダントツで病院にお世話になっていて






お姉ちゃんからは
「あんた、いっつも病院行ってんな」
って言われてました 笑






大人になってからも
何かしらの病気とはずーっと付き合ってきて
かれこれ20年近く内服薬も
飲み続けています。







病気が見つかれば薬を飲み
薬が効かなければ手術をし
手術ができないところは放射線治療をし







まさに、西洋医学で
治療をしてきました。






日本の医学の主流は西洋医学なので
一般的にはそういう方も多いのかなと。






でもね、
薬膳&中医学(中国伝統医学)を学んでいる今なら
それは『治している』というわけではなく
『その場の症状を一時的に消している』
と表現するのがあっていると感じます。










36歳の頃
2人目の妊娠が分かったのですが
すぐに流産しました。
流産はこれで2度目です。






妊娠超初期にしては酷すぎる吐き気と
出血が続くので
産婦人科を受診したところ
ちょっと様子がおかしい、と。






その日のうちに大きな病院を紹介されて
受けた診断は
“胞状奇胎”でした。
(俗に言う、ぶどう子です)







18年看護師をしてきても
知らない病気はいっぱいありますね〜







何それ?って感じでしたが
場合によっては抗がん剤治療になると言われ
言葉が出ませんでした。







処置として子宮内掻爬術を2回受けました。







術後出血が数日続くと説明を受けていましたが
一週間ほど経った頃
出血が止まらなくなり
血の塊とともにドバドバと
流れ出てくるようになりました。






これ、ヤバいな…と思ったのも束の間
私は家のトイレで気を失いました。






この日は土曜日で私は仕事が休み。
朝から2歳の息子を
義両親が動物園に連れて行ってくれていて
普段は仕事でいない夫がたまたま家にいました。







「なんかさー、出血が酷いねん」
と言っていた私が
トイレから出てこない。







心配した夫がトイレを覗くと
血まみれのトイレの中で妻が倒れている…







いや〜カオスですよね







これが普段通り
息子と2人の土曜日の朝だったら…と思うと
怖すぎてゾッとしますが
不幸中の幸いというか
ご先祖様が守ってくれたんだなぁと思います。










救急車で運ばれ、検査の結果
胞状奇胎の細胞が肺に転移している
“浸入奇胎”の状態だと言われ
すぐに抗がん剤治療と輸血が始まりました。







出血多量でショックを起こしていたので
起き上がるだけで血圧が下がって気が遠のくし
トイレにも行けず寝たきりです。







抗がん剤の副作用で寝ても覚めても
寝返りを打っただけでも吐きまくる日々。
地獄のような日々でしたが







それよりも辛かったのは
家族に会えないことでした。







コロナ禍真っ只中で
面会禁止だったのです。







なんとか血圧が保てるようになってきて
トイレに行けるようになった頃
2歳の息子が40度の熱を出していると
夫からLINEが来ました。







次の抗がん剤治療まで少し間隔があったので
主治医の先生に
「一瞬でいいから退院させて!お願い!!」
と懇願して
出血したらすぐ戻ってくることを約束し
一時帰宅しました。







私自身がフラフラで
子どもにやってあげられることなんか
何もないんですけどね。
とにかく、とにかく側にいたかったんです。







でも、その日の夜
自宅で大量出血しました。







もう、本当に自分の体を恨みましたよ。
何でなん⁉︎もうホンマに何なん⁉︎って。







高熱の息子を夫に託して
病院に戻りました。







そんなこんなでしたが
近所に住む義両親にフルに助けてもらって
通院での治療に切り替えられたので退院しました。







でもですね、







私はというと…






自分のトイレとお風呂がなんとか出来る状態。







実母が助っ人に来てくれて
家事の一切をやってくれました。







抗がん剤の副作用の吐き気で
ろくに食事が出来てなかったので
お母さんが作ってくれた卵焼きを食べた時







美味しすぎて泣きました 笑






もう、本当にね
食事が美味しく食べられるという事が
こんなにも幸せで
ありがたくて尊いことなんだと
体中の細胞が喜んでいるのがよくわかりました。

(ちなみに…
何でこの時、卵焼きでそんなふうに感じたのかは
薬膳的に見ても辻褄が合うんです。
その話はまた後日⭐︎)







と、まあ大変だったわけですが
この時は東洋医学にも薬膳にも
まだ興味は持ってません〜!!







本当の苦難はこの後でした。







長すぎるので次の記事で 笑