運命の日です!
朝目覚めると、とにかく体が重い、どうにかトイレまでは行けたが、時間が経過するごとにだんだん体が重くなってくる。朝食をホテル1階のレストランまで食べに行くことは難しいと感じ、家内に持って来てもらって、ベット上でどうにか食べることができました。 この時点では、右腕もまだ動いていましたが、更に、時間の経過とともに、スイスでの状態(右半身のマヒ)とおなじになってきました。しばらくすると、もうどうしようもできないと判断し、休日でもあることから、ホテルのフロントから医師を呼んでもらうこととなりました。まもなく医師が来てベットの上で診断してもらいましたが、ここではどうすることもできないので、救急車を呼び大きな病院へ行くよう指示があり、病院の手配までしていただきました。
この時、頭痛とかはなく、ただ意識が遠のいて行くように感じ、眠く、ダルイような感じだけが支配していました。そのため、「これからどうなるのか」とか「日本へ帰れるのか」、「自分は死ぬのか」とか思考回路は働かず、変に落ち着いていました。
病院へは、ホテルから救急車で10分程度のところで、地下鉄の駅名にもなっている「オスピタルクリニック」という古めかしい感じがするレンガ造りの大きな病院でした。すぐに当直医の診察が始まり、体中に点滴や心電図、血中酸素濃度を測る機器等たくさんつけられました。
しかしながら、日本人の多くの方と同じように、スペインの先生達もあまり英語が得意ではないようで、なかなか通じない状況で、言葉の出ない本人に代わって話をしている家内も苦労していたようです。ここでは、スイスでいただいた診断書(本当は日本で医者に見せるよう用意してもらった書類)をみせ、どうにか事態はわかってもらいました。
このようコミュニケーションの状態であったことから、今後、治療を進めて行くうえで、難しい医学用語や詳しい病状を正確にやりとりしていく必要が出てくることから、病院側がバルセロナの日本領事館に連絡を取ってくれました。
領事館の方もすぐに対応していただき、休日であるにもかかわらず、病院まで訪ねて来てくれました。そして、この日から帰国する日まで、医師がいる月~金曜日に毎日夕方4時頃に病院まで来て、医師との通訳をしてくれることとなりました。(その後、どうにか帰国を果たしますが、この領事館の方々の手助けがなければ難しかったと思います)
私の入った病棟は、ICUがなく、ナースステーション前のこの部屋がICUの代わりをしているみたいでした。担当のナースは「マルタ」といい金髪の小柄で超明るい方でした。私の名前「ひろあき」が発音できず、「イロアキ」「イロアキ」と言葉は通じないものの一生懸命励ましてくれました。また、ピピ(小便)をしたくなったときは、ナースコールで看護士の方を呼んで尿瓶で採ってもらいます。最初はなかなか出すことが出来ず苦労をかけるとともに、この日に限って一晩中何度も尿意をもよおし迷惑をかけました。今日・明日は、土・日曜日なので、専門医による本格的な治療や診断は月曜日以降になるとのことでした。
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