最近 婚活に動きもなく
(連絡はしているけど会えていないので進展しない)
特段なにかおこるわけでもなく
(外出もやっぱり控えているからかな)
書くことが何もないので
ブログの更新も止まってました
そんな中
しいたけ.さんの
「カラー心理学2020」が
発売されていたので購入してみました
しいたけ.さん好きなんですよね
その中にある
「しいたけ.の部屋。」
の ひとつの記事にハッとさせられました
【マウンティングする人、マウンティングされる人。】
そういえば
私って
マウンティングされやすい人です
表向き いい人なんで
なんでこんなに友人に否定されるのかと
一時期悩んだこともありますが
優位でいたいんだなーと受け流してます
しいたけ.さんは
自分の後ろに海や仏像を作って
相手がそこに話しているとイメージしてみて
と書かれていましたが
私の場合は…
その人の後ろに海が見えて
その人を越して海を見てそこに流しています
海は広いなぁ大きいなぁと
そう思いながら海に文字たちがかえっていく
つまり聞いていないとも言います
しいたけ.さんの方が自分に浴びないイメージでイイですね♪
この記事にありましたが
私だからマウントされるわけじゃない
マウントする人は相手は誰でもいい
たまたま言いやすいから選ばれた
そう 言いやすかったから なんですよね
話しが本題からそれてしまいました
今回話したいのは私がされることではなく
こっち
↓
私がハッとさせられたのは
分かっていたこととはいえ
いつでも だれでも
マウンティングする側になり得るということ
この本に書かれている例をあげると
人の役に立たなければ!と思うからこその
プロデューサー型マウンティング
「○○ちゃんはここを直せばよくなるよ」
本の中では上司など上にいる人がやりがちとか
これをね…
自分が相談されたときに言ってないかなって
振り返るキッカケになりました
よかれと思って発した言葉だったとしても
やっぱりおかしいよね
だって
それがその人の個性でもあるのに
誰の人生も
誰かが決めていいわけがない
誰の個性も
誰かが変えたりしなくていい
もしも その人が拗らせていても
本人が変わりたいと思っていないのなら
そうだね(それがあなたの考えね)♪
私はこう思うな♪
と あなたはあなた 私は私 でいい
その人が変わりたいと思ったときに一緒に考えられる人になりたい