地震が起きたときの安全基準が「想定内」だったのに、ヤバイ事態になっていることが
実は隠されているということが分かってきている。

まず、原発。
福島第一原発で放射性物質の流失が止まっていない。
対応が後手後手に回っていることが叫ばれているが、そもそもの原因について
政府や東電は「想定外」の津波によるものと説明している。
これが実はかなり怪しいと専門家は指摘している。

津波によって非常電源が使えなくなっただけでは説明できない事態が散見されているというのだ。
具体的には難しい説明になるので省略するが、津波以前に「地震の揺れ」そのもので
かなりのダメージを受けているという見解である。
その揺れも、M9.0の本震だけではなく、その後の余震も含めてである。

新潟県中越地震の時、東電の柏崎刈谷原発のトラブルを受けて、
「地震の揺れ」対策は見直されたはずだった。
だから、政府も東電も、今回の事故が「揺れ」によるものだという言及を避けている。
事故の最中であり、きちんとした検証が出来ないから、津波のせいにしている。

なぜ、揺れについて隠したがっているかというと、話は簡単だ。
現在日本にある原発はほとんどが日本海側にあり、巨大津波の可能性が低いからである。
静岡の浜岡などについても、「津波だけ」対策すればよいと言えばいいわけだ。

これが、安全だと宣言している「揺れ」対策がマズイということになると、
全ての原発の安全基準を見直し、結果ほとんどの原発は使えなくなる可能性があるのだ。
政府と電力企業は、それはなんとしても避けたいのである。

もう一つ、かなり特ダネ情報であるのだが、東北新幹線について。

損傷箇所があるため、運行を再開していないとしている。
その数は1000カ所に上っているが、実は非常に大事なところでは、
路線を支える柱が折れるなどの深刻なダメージを受けている箇所が見つかったのだ。
これは京都大学の調査チームが発見した。
当初JR東日本に質したところ、「完否定」されたそうだが、写真付きの調査レポートを
見せたところ、「ダンマリ」になり、政府も含めて隠蔽と疑われる行動に走っている状態である。

そもそも、新幹線については1997の阪神大震災以来、
震度7には完全に耐えられるという安全基準を設けて、
それに従って整備を進めてきたのではなかったのか。

今回の「想定外」はあくまで津波に関してだけであり、震度などの「揺れ」に関しては
想定の範囲であるのだ。
それを「想定外」で逃げることは許されない。

なぜ、想定された震度以内であったにもかかわらず、深刻な被害が出ているのか。
隠蔽に走るような状況では、検証すらも始められないではないか。
JRだけでなく、通信インフラや水道、電気、ガスでの不備はまだ検証が始まっていない。

内陸部の山崩れなどの安全対策はどこまで機能していたのか。
避難の指示は適切だったのか。避難場所についてはどうなのか。

被災地の大変な状況や原発の事故が長期化することに伴って、
今、大切な情報が隠されようとしているのではないか。
「毎日」と言っておきながら、何日か、お休みしていてすみません。
ちょっと仕事をしていました。
震災関連のことで取材を続けていますが、その中で分かってきたことを。

まず、地震の大きさなどの「想定外」が言われているが、
地震学者などが驚いているのは、大きさよりも「発生メカニズム」そのものが
「想定外」であることが分かってきたことだ。

発生のメカニズムに関しては、従来、プレート型の地震というのは、
長年プレートがジワジワと動いて出来たひずみが、一気に戻ることで起きると考えられてきた。

東北の場合、太平洋プレートは年間8cm程度沈み込むことが分かっている。
100年間、ひずみがたまっても8mぐらい。
東北沖での地震は、1930年代にM8クラスの地震が頻発しているし、
70年代や90年代にもM7クラスの地震が起きている。
そうすると、ひずみがたまっている場所でもせいぜいが数メートル。
地震学者は、きちんと「どこにどれぐらいのひずみがたまっているか」を元に計算する。
そのあたりから、予想される地震は、最大でもM8まではいかないだろうという想定だった。

しかし、3/11の大震災では、なんと「18m」もプレートが跳ね上がったことが分かったのだ。
専門家的には、完全に「ありえない」ほどの大きさなのだそうだ。
今までは、「たまったひずみがもどる」と考えられていたものが、
「たまってないのに、動く」というメカニズムで発生したと言える。

詳しくは、今後の研究を待たねばならないが、それが本当に全く違うメカニズムなのか、
あるいは「別のたまり方」をしているのか、いずれにしても日本を取り巻く
プレート(日本は異なる4つのプレートが複雑に重なる世界でもまれなプレート銀座)が
どのような地震を引き起こすかという想定を根本から見直さなければならないだろう。

過去、私が巨大地震(主に東海地震や東南海・南海)を取材したとき、
こんな研究者の意見をよく聞いた。
「ひずみのたまり方を計算したら、今起きる東海地震は怖くない」
あるいは「30年ぐらいは起きない」というものだ。

その真意は、1944~45年に起きた東南海・南海地震のあとにたまったひずみは
現時点ではあまりたまっていないので(年間にして4~5cmしかない)
100年未満のたまり方では、そこまで大きな地震にならないだろうという予測。
そして、そんなにたまっていないのだったら、そもそも地震は起きないという意見だ。

ただし、これは完全に「オフレコ」だった。
「地震が起きる」と言って起きないことは単なる防災への啓発活動となるが、
「起きない」と言って万一起きたら、責任が取れるはずもないからだ。

話を元に戻す。
以上のような、専門家の研究は、3/11以降、意味がなくなったのである。
これまでの計測されてきた「ひずみ=地震の大きさ」という方程式が
成り立たなくなった今、太平洋沿岸のどこで巨大地震が起きるかという想定は白紙に戻ったと言える。

スマトラ沖の巨大地震を受けて2004年に初めて想定した東海~南海3連動地震の想定はM8.7。
これだけでも相当巨大であり、元になった想定モデルは300年前の地震。
ちなみにそれまでの想定は70年前の地震だったりする。

しかし、東北の地震が示すように、これからは1000年、あるいは5000年ぐらいの
スパンでモデルを洗い直さないとならないだろう。
揺れにしても、津波にしても「ありえない」レベルの地震を想定しなければならなくなったのだ。

そのほか、原発やインフラについても分かってきたことがあるので明日。
今日、名古屋市の小学校は入学式。
そして、桜は満開になった。

朝は晴れて、春らしい陽気に包まれていた。
少し緊張気味の新入生と清楚に着飾った親達の姿。
おじいちゃんやおばあちゃんもいた。

希望と期待に満ちた幸せのカタチ。

命や暮らしについて真剣に考え直すことの多い今の時期だからこそ、
本当に大切なものを実感する。

青空に咲く、満開の桜。
子供の笑顔と、それを見守る親達の微笑み。

なんだか、ちょっぴり泣けてきた。
いやあ、買っちゃうね~、アマゾン。
CDも本も好きな私としては、アマゾンの連鎖的な「おすすめ」はもはや麻薬とさえ言える。

なんとなく気になっていたアーティストを検索したりして、
そのアルバムの評判なんかを読んだりして、さらに自分におすすめされたりして、
「新品・中古コーナー」で格安だったりすると、おもわず「ポチっ」

さっきも立て続けにハードロック系のアルバムを4枚も「ポチっ」としてしまった。

この間、CDショップで視聴してナイスだった「ヒンダー」というバンドの
1stと2ndが結構安かったので思わず購入。
そしておすすめされた「ドートリー」とやらを「ぽち」。
さらにおすすめの中に、昔から気になっていた「30ミニッツトゥマーズ」とやら。

この間、わずか15分あまり。
全部、海外からの新品か国内の中古なので、総額でも3000円ちょっとだけど、
それにしても、いつも思うことだが、脳内が危ういことになっている気がする。

本屋とかCD屋さんで買うときは、ドバッと買うときでも「連鎖」はしない。
持って帰るのも重いし、金額を頭の中で計算しているからもある。
しかし、最も大きな理由は、「全体を見渡してから選ぶ」からではないだろうか。

アマゾンは違う。
たくさん並んでいる棚から買いたい物を選ぶのではなく、部分を「ズルズルと」見せていく方式だ。
一つ買うと、「これもあるよ~」「コッチは~」「あれはどう~?」みたいな感じですすめられていく。
これが脳を麻痺させるのだろう。

酒を飲みながら「おすすめ映画」を眺めていたときに、DVDを15枚ほど買ってしまったことがあった。
我に返ったときには、何を買ったのかよく覚えていなかったほどだ。
それも1度や2度ではないから、これはもう中毒ではないだろうか。

そんなこんなで、読んでない本は本棚に積まれ、
2~3回しか聞かずにアーティスト名もよく知らないCDが増える。
時間がなくて見ていないDVDも、どのぐらいあるか分からない。

わかっちゃいるけど、やめられない。

「スーダラ節」のワンフレーズを書いていて思い出した。
クレイジーキャッツのベスト盤も何年聞いていないのだろうか。

「買ったCD~5万枚~!」て感じです。
オヤジ過ぎてごめんなさい。

先日、思いっきりコケた。
子供たちと遊んでいた公園で、子供がするすると降りていった土の斜面で。

子供の頃は、私はやんちゃだった。
野山を駆け回り、川や海で遊び、勉強よりも運動が得意だった。
今だってスポーツは大好きだし、若いときと変わらないぐらい動ける自信がある。

でも、それは大きな勘違いだったのだ。

軽い気持ちで斜面を「たったっ!」と下りはじめて5~6歩。
「ずりっ!ドテっ!!ざざざ~~っ!!!」

下で見ていた娘たちと妻は大爆笑だった。

かつてのバランス感覚は失われ、とっさの身のこなしは鈍くなっていたのだ。
40歳という年齢が、これなのだろう。

思いがけない笑いを家族に提供してしまったわけだが、
ふと考えなおすと、非常に危ういことなのかもしれない。

大丈夫だと思っている身のこなしが出来ない場合、
いざというときには大けがつながるし、命に関わってくることもあるわけで。

自転車によく乗っている私であるが、気を引き締めて、慎重にならなければと思う。
認めたくはないが、今ある自分を受け入れなければならないのだ。

こうして老化現象に直面したわけだが、そのときに擦りむいた太ももの擦り傷も
治るのが遅いんだろうな~と、ちょっとブルーになっている。
名古屋では桜の開花から一週間あまり。
普通は1週間もすると満開になるのだが、今年は気温があまり上がらず、
ようやく5~6分咲きといったところだ。

週末に、近所でお弁当を食べながら花見をしたが、気温も低く、
桜も3~4分咲きということで、花見客もあまり多くはなかった。
東日本大震災での自粛ムードというのもあるのかもしれない。

それにしても、ソメイヨシノは日本人が一番好きな花なのではないかとも思う。
私は大好きである。
一斉に花開き、一斉に散る。
満開の時の壮烈な華やかさに、春という季節の生命力が象徴されるかのようだ。
中学生の頃、部活帰りに、ひとりで夜の満開の桜並木を歩いていて感動したことを強烈に覚えている。

様々な場所の桜が記憶の中にある。
鎌倉山のワインディングロードに天井のように折り重なる桜。
東京の千鳥ヶ淵の大きな桜。
長崎の橘公園や、静岡の駿府公園。
松山では、なぜか河原で満開の桜を見ながらバーベキューというのが習わしだった。

あのとき、娘はこうだったとか、友人の○○がこんなだったとか、
様々な思い出と共に、桜がある。
それも、全て今頃の季節にあった出来事だ。

種からは決して生まれないソメイヨシノは、だから全てが同じ一本の木から
接ぎ木されているのだと思うと、記憶の中の桜がつながっていくという不思議な感覚。

江戸時代に生まれた桜を、私の曾祖父や祖父が見て感動を覚えたように、
私の胸を打ち、そして遠い未来の子供たちの笑顔をもたらすだろう。

そんな風に時代を超えて春を感じさせてくれる桜を思うと、
不思議な感情がこみ上げてくるのだ。
先日、「利き腕の不思議」というコラムを書いた矢先、新事実を知った。
今期の選抜高校野球でベスト8に入った鹿児島実業のエースピッチャーが、
実は右利きだというのだ。

驚いた。
だって、「右で投げられない」右利きのピッチャーなのだ。
身長167cmの野田昇吾投手(3年)である。
父親が野球好きでサウスポーに育てたいがために、物心ついたときから左で
ボールを投げるように指導されたという。

たまに、間違えて左用のグローブを買ってもらったことで、左でも投げられる人がいるが、
大抵は右でも投げられる。上手いか下手かの違いはあるが。
私の友人でもいた。スイッチピッチャーである。

しかし普通は高校野球でエースになるレベルにはならない。
なったら、地方紙に写真入りで紹介されるぐらいの話題にはなる。
何年かに一度、「両手投げ」のエースが出るが、甲子園では聞いたことがない。

実際、野田投手は、投げる以外は完全に右利きだそうだ。
そして投げるのは左だけ。
完全に役割分担をしている。

テレビを見ていても小さな体を一杯に使った左ピッチャー特有のストレートのキレと
スライダーの曲がりを持っている。
惜しくも準々決勝で敗れてしまったが、躍動感あふれる良い投球だった。

とここまで書いてきて、ちょっと気になったので「矯正」したサウスポーを
検索してみたら、いた。

しかも!!
去年の超話題になった沖縄興南高校の島袋投手(現中央大学)。
甲子園、春夏連覇してるやんけ。
ホント?右利きなの?去年話題になったっけ?

う~む。

ところで、野球をしている人にとっては常識だと思うが、野球は左利きにとっては
ちょっと不便なスポーツである。
左投げの選手は、ピッチャーとファースト、外野しかできないからだ。
内野の花形である「セカンド・ショート・サード」そしてチームの要「キャッチャー」は
右投げでないと出来ない。どんなに上手くても無理だ。

厳密に言うとやれば出来るのだが、絶対にプロにはなれない。
守備の面で1塁ベースに向かって投げることのロスが大きすぎるからだ。
だから左投げに矯正するというのは、一種の賭けである。

逆に「左打ち」にするのはメリットの方が大きい。
ベースに近いのと、「対右ピッチャー」に有利だからだ。

イチローや松井、岩村、福留などなど、メジャーリーガーをはじめとして
右投げ左打ちはかなりの数がいる。
もちろん、皆、小さいときから野球好きの親から左打ちをたたき込まれたパターンが多い。

ただ、アスレチックスの松井秀喜は最初右で打っていたのだが、あまりに打ちすぎるため
チームのみんな(3歳上のお兄さんの学年)から、「松井(弟)は左で打つルール」が
出来たことがきっかけで、左打ちになったという珍しいパターンだ。
それでも打ちまくったと言うから、さすがに松井なのであるが。

かように利き腕というのはスポーツにとって重要な要素であるのだが、
あまり関係ないというのもある。
陸上と水泳。

実は、子供の頃は体の左右とも、バランスよく鍛えて発達させることが大切であるので、
陸上競技(投擲をのぞく)や水泳は小学生にやらせるのが良いと言われる。
球技の中ではサッカーだ。
アメリカで、女子のサッカーが子供を中心に盛んなのもうなずける話だ。

スポーツの春。
ダイエットのためにも動きますか。

先日、親指の爪が割れた。
ほとんど深爪すれすれぐらい、肉に近いところで割れたため、しょうがなく切った。
私はギターのために、左手の小指以外の4本は爪を伸ばしているのだが、
親指だけ綺麗に切るのも変なので、他の指も綺麗に切りそろえた。

何年ぶりかにキレイに切った爪。
爪の際の皮膚は弱々しく、桃色になっている。
物が直接あたることが久しぶりすぎて、少しヒリヒリしたりもする。

昔、エレキギターしか弾かなかったときは、両手共に爪を切っていたのだが、
アコギやガットギターを指で弾くようになってからは伸ばしてきた。
つけ爪をしなくても結構強い方なので、お手入れはマニキュアだけである。
しかも、100円ショップで売っているヤツ。

それでも、数年に一度、やってしまうのだ。
また生えるまで、しばらくギターが弾けない。

ピックを使った曲は弾けるんだけれども、指で弾けない。

もともとはロックギターばかりを弾いていたので、ピックで弾くのに異存はない。
むしろ、どちらが上手かと言われれば、指よりもピックの方が圧倒的に弾けるわけだが。

でも、だからこそ、指で弾きたいのだ。
私はギター弾きであると同時に、歌うたいでもあるので、弾き語りをしたいのだ。
ピックでガシガシ弾くより、繊細につま弾く方が良い曲も多いのだ。

なぜだろうか。
爪が健在だったときには遠ざかっていたクラシックの名曲たちが呼んでいるように思うのは。
ああ!アルハンブラが弾きたい!と思ってしまうのは。

ツメひとつ(ホントは4つ)ないだけで、自分自身でないような気がする。
だからといってスカルプなどはする気になれない。
だってプロじゃないわけだし。
お金かけたってねえという感じだし。

ということで、ツメが生えそろうまで、あと2~3週間はストレスが増加しつづけることになる。
今朝、いつものように近所をジョギングしていたら、車にひかれた。
といっても、出会い頭にドアミラーと私の手があたったぐらいのモノで、
特に怪我などはないし、大丈夫、心配はいらない。

状況は、こうだ。

小さな路地を曲がってガソリンスタンドの裏から大通りへと出ようとした矢先、
ガソリンスタンドの裏から急発進してきたグレーのハイエースがあった。
スタンドの端に駐めてあったワゴンが陰になっていて、私からも
ハイエースからも見えにくい位置であったことは否めない。
しかし、かなりのスピードで、しかも斜めに私の方に飛び出てきたモノだから、
軽いジョギング程度の歩行者(私のことだ)とあたってしまったワケなのだ。

とっさのことで、思わず手が前に出て、ドアミラーに当たった。
普通、運転者は人にぶつかったら謝るモノであるが、ソイツは違った。
チラッとこっちをみて、走り去ろうとしやがったのだ!!

コノヤロウ!ひき逃げか?!

という思いで、思いっきりハイエースの後ろの方を「バシン!!」とやってやった。
私の手に当たったよりも当然強力である。

ハイエースが路上で停まり、ドアが開いた。
『おお、やっと気づいて謝ってくれるのか』とおもった。

だが。
「なにすんだよ!!こら!!」

降りてきたのは茶髪のイキガリ気味の若者である。
作業着姿で「元ツッパリくん風」、よくハイエースに乗っているタイプだ。
私が車を叩いたのが気に入らないらしい。
ヘコムほどはやっていないのだが。

「オマエの車が俺の手に当たっただろう。ひき逃げする気か?」と聞いてみた。

「しらねえよ!!やんのか!!」と元ツッパリくん。
私の胸ぐらをつかもうと近寄ってきて、手を伸ばしてきた。
しかし、トレーニングウェア姿で、すでに私は10分あまり走っているわけで、
体は十分に暖まっていた。

カウンターの肘打ちは、見事に元ツッパリくんのアゴを捉えていた。
早くもふらついている。
続けざまに顔面に右ストレートをたたき込む。
1発、2発。
うつむいた頭にインステップシュートを決めて、完全にダウンした。

彼はきっと、そのツッパリ風情でいろいろと世間を渡ってきたのだろう。
しかし、不運だったのが、異常にケンカ慣れした人との出会いがなかったことだ。
ケンカは先手必勝であり、しかもとことんまでブチのめさねばならない。
湘南横浜広域連合のレーシングチームで副総長まで上り詰めた経験からすると、
ケンカというものは、相手がやるぞと思ったときには「終わっている」のが理想だ。

さらに、私は彼のように過去の栄光(?)で脅すタイプではなく、
今現在、昔と変わらない能力を発揮するために、日々鍛練を積んでいるわけだ。
ベンチプレスも普通に100kgを上げている。

道ばたで顔を押さえてゴロゴロしている若者は話すことも出来ない状態だ。
私は道の真ん中でエンジンをかけて停まっているハイエースの鍵を抜き取り(省エネ)、
大きく振りかぶって空高く放り投げた。
見事にガソリンスタンドの屋根の上に着地。
これで、しばらくは彼も乱暴な運転で世の中を脅かすこともあるまい。

そして中断していたジョギングを再開した。
大通りを渡って、ジョギングコースのある公園に入る。
3分咲きになった桜の木を見上げると、清々しい風が頬をなでた。
芸術家やスポーツ選手に多いと言われる左利き。
キャンディーズ世代の人は憧れた人も多いだろう(古いヒット曲を調べてね)。
しかし、世の中が右利きの人に便利に出来ているというのはよく知られている。
缶切りやはさみなど、左利きの人にとっては不便なモノがあふれている。

欧米の字の書き方、日本語で言う横書きは右手で書くときには書きやすいが、
左手で書いていくと、字の上を左手でぐりぐり汚してしまうので大変である。
日本語の縦書きは逆に左手で書くとクリーンなのが不思議なのだが、
実は筆で書く場合、紙を手で触れないために右で書いても問題がなかったのだろう。

左利きの人は、人口の15%ぐらいで、8割以上が右利き。
でも、右利きの中には2種類のパターンがあるらしい。
昔何かで呼んだ記憶があるのだが、出典は忘れている。
ひとつは左利きになる人と同じように、絶対に右利きにしかならない右利き。
もうひとつは、どっちにでもなる可能性があって、習慣的に右利きになった人。

つまり、利き腕が最初から決まっている人は、3割ぐらいしかいない。
「絶対右利き」と「絶対左利き」が15%ずつなのだ。
残りの7割は、「両利き」なのである。

これが結構私には心当たりがある。

娘たち(3人いる。みんな右利き)の利き腕で、「こいつは右利きだ」という感じで
確定的に右利きだと思ったのは2番目だけで、長女はどっちも使っていた。
場合によっては「左利きなのではないか?」と思ったぐらいだった。
左利きでも良かったのだが、まあ生活していく上で右利きの方が便利だと言うこともあり、
出来れば右でというように心がけていたら、自然と右ばかり使うようになっていった。
3番目も長女と似たようなところがある。

私自身、自分はおそらく「両利き」だったのだろうと思っている。

何年か前に、右腕を「ボッキリ」と骨折したことがあり、3ヶ月ぐらいは左手生活をしていたことがあった。
でも、結構すぐに左利きっぽくなったのだ。
最初はスプーンやフォークを使っていたが、ある時にフォークを
出してくれないラーメン屋に入ってしまい、無理に箸を使ったら、意外にイケた。
それから2日もしないうちに左での箸が使えるようになったのだ。

この「左箸」は右腕が完治した今でも出来る。
文字は書けないけど(パソコンで仕事が出来たから)。
左で歯を磨いたり、トイレの紙を使うのも慣れた。

そういう左での慣れは、右腕が使えない人は必要上、普通にあるものなのだと
思っていたのだが、リハビリを開始したある日、違うらしいと聞いた。
骨折からのリハビリなどを専門にしている理学療法士に、
「意外に左で出来るもんですね~。あんまり不自由しないですよ。
 やっぱり利き腕を怪我すると、みなさん、しょうがないから
 逆の手が器用になるものなんですかね~」と聞いたら、驚かれた。
そういう人はあまりいないのだそうだ。

で、いろいろと聞かれて、落ち着いたのは、もともと「両利き」であること。
また、ある特定の動作で左の方が上手なこともあるからじゃないかということ。
例えば、ギター弾きなので、左手を器用に使う練習が出来ていたことや、
自転車での片手運転は右の方が苦手ということなどなど。

つまり、「両利き」プラス、両利きをある程度継続しているのではないかということだった。
そういう人はあまりいないということで、のちにリハビリ研究の学会で
講演をしてくれないかと頼まれたぐらいだ。
転勤してしまったので断ったが。

話は少し変わるが、その時の理学療法士が言っていたことに、
利き腕の矯正は「してはいけない」そうだ。
「ドモリ(吃音)」の原因として、利き腕の矯正があるそうで、その先生自身が
左利きであり、自らも矯正されているときに吃音が出たそうである。

なぜ利き腕があるのかは、遺伝も含めて分かっていないらしいが、
いずれにしても人にとっては、「したいようにする」のが一番だということなのだ。