バーのカウンターには引き寄せの神様が座っていて、いろいろなバーに通っていると、時々その神様に出会うのですが……。舞台は渋谷から下北沢に移ります。
あのシモキタが再開発の波に洗われています。ハーモニカ横丁で頑張っていた焼き鳥てっちゃんも引っ越しました。昼間から飲めるいい感じの、オープンな屋台の雰囲気が人気だったんですけどね……。実は見かけほど値段は安くはなかったのですが、冬は足元にストーブを置いて、みんなあの雰囲気を楽しんでいたんでしょうね(なぜかキュウリが美味しかった)。
シモキタに通い始めてもう四半世紀が経ちます。その間にいいバーが次々に姿を消していきました。
「レプリカント」なんていうバーを知ってる人はもういないでしょうね。シモキタには不似合いな、まるで銀座にあるようなオーセンティックなバーでした。バーテンさんが白いジャケットに蝶ネクタイだったと記憶しています。私がシモキタに行くようになって間もなく閉店してしまいました。その後に行き始めたのがゴトーズバー、シナ(ちなみにこの2つは健在です)、そして閉店してしまったリズム。ヴィレ・バンの前(つまりシナの隣)にあったCut Upにも本当によく通いました。
そしてやはり今は無き曼荼羅屋にgroovy。曼荼羅屋は最後の方はレストランのようになってしまいましたが、当時はおしゃれなパブ風のバーでした。そこにあったパブミラーで「OYSTER BAR」という赤いネオンを、街角に立つフロックコートの紳士が見上げているレトロな図柄があったのですが……。 ニューヨークのセントラルパークの近くで、まさにその同じ街角に同じネオンを発見した時には、本当に感動しました。昼間もやっているそのレストランバーに連日通いつめ、「明日は成田に向けて発つ」と言ったらお店の人全員が(と言っても3〜4人ですが)名残を惜しんで記念撮影してくれたのも懐かしい思い出です。
……と、話が逸れました。でも曼荼羅屋は私の中ではなぜかNYと縁がある……。あの「9.11」の日。私は曼荼羅屋のカウンターに座っていました。1つおいた隣の席の男性がケータイを見ていて、「マンハッタンで飛行機がビルに衝突したらしい」と、第一報が。その時点では小さな飛行機が高層ビルに接触してしまったのか……くらいにしか思っていませんでした。
やがて次々に思いがけない情報が彼の口から伝えられることに……。
どうやらテロのようで、飛行機は大型のジェット機で、衝突したビルはワールドトレードセンターであること(そのほんの3週間ほど前に私はそこにいました)、ペンタゴンにも落ちたこと、まだ他にも数機飛んでいて、ペンシルバニア州のどこかが狙われていること……。
そこまで聞いて私は立ち上がっていました。当時大学院生だった長男がペンシルバニア州に住んでいたのです。
その曼荼羅屋の向かい側の2階にあったのがgroovyでした。クラシックな雰囲気がとてもいい感じで、そこでずいぶんお酒の知識を身につけました。ブードルスというジンと、ドランというベルモットで作ったマティーニが最も私好みだということを知ったのも、このバーでした。
もうひとつ、私がお酒の知識を仕入れたのが「 D.B.」というバーで、ここで年代物の「特級ウイスキー」なるものに開眼し、私の「全国古い酒屋さん巡り」が始まったのでした。
このお店ももちろん今はなく、バーテンさんも行方知れずに……。しかしここでもあらゆる引き寄せパワーを駆使して(その過程は省きますが)、西麻布のとあるバーで彼と再会を果たしました。そのバーテンさんこそ、今、私のバー「BAR AOYAMA R40」を任せている塚田さんです。
さて最近、またシモキタの老舗が1つ消えました。
「キタザワ」というまさに昭和そのもののレトロなバーでした。アンクルトリスの楊枝立てに大塚のボンカレー。インベーダーゲーム……。私はここのチャルメララーメンが好きでした。カミちゃんとテルちゃんのゴールデンコンビでスタートしたここでの20年余りのエピソードは、とても書ききれません。
閉店1週間前からは続けて2〜3日、足を運びました。そして……カウンターにいた男性に「お久しぶりです」と、声をかけられたのです!
「えっ?え、え〜〜っ!!」
なんと、そこにいたのは、忘れもしないあのgroovyのマスターでした。
時を駈けて……駆け巡って、何年でしょう?確実に10年以上の時は流れたはずです。そのマスターのお店と、キタザワ最後のバーテンさん(リリーフランキー本人と言えるくらいそっくりです)の二人のお店が、この春に前後してオープンしました。
その話は「続・下北沢編」で……。















