こんにちは、“IMIC社長”です。

 

お久しぶりでございます。

気づいたら昨年7月から更新が滞っていました。。。

 

それに気づかないくらい、ここ最近本当に忙しくしていたのですが、IMICの業績もおかげさまで安定かつ徐々に成長し、溜まりに溜まった仕事もスムーズに流れるようになり (お客様各位には各種ご迷惑をおかけいたしました)、4月から新人くんも入社してくれて、社内レイアウトの変更も終わって、やっと落ち着いてきたところです。

 

あと、昨年7月末となると、体力づくりで筋トレを始めた時期でもありますね。

最初はベンチプレス30kgを上げるのにヒーヒー言っていたのが、ここ最近は55kg×10回をこなせるまでに筋肉くんも発達してきました。

年末には

 ベンチプレス 80kg×10回(1RM 100kg相当)

 デッドリフト 110kg×8回(1RM 136kg相当)

 スクワット  100kg×8回(1RM 124kg相当)

くらいは達成したい!

 

でも、筋肉くんがつき過ぎるとお腹がすぐに空いちゃう、という副作用?も実感するところなので、あくまで筋トレは体力向上の範囲までで留めておくべきかなとも感じております。

 

さて、ブログを休んでいる間に、世界はどんどん動いています。

 

2回目の米朝会議。

アメリカ側のシナリオに沿って事を進めないと何にもしてあげないよ、というのが明確になりましたね。その後、北朝鮮の王様はロシアにも行ったようですが、取引材料が少ない中では成果もはかばかしくはないでしょう。

このあたりの記事が、状況を的確に言い当てているような気がします。

弱い国同士が合従したところで、最大の消費国で世界景気の動向を握り、基軸通貨のドルを持ち、アジアまで手を伸ばせる軍事力を持つ今のアメリカに睨まれてはどうもなりません。情報戦でもこれから徹底的に対応してくることでしょう。

 

そして中東は産油国としてのイニシアチブがやや薄れ、欧米の重要な関心ごとではなくなってきた。アメリカもシェールオイルでエネルギーの輸入国から輸出国になってしまいましたからね。核とテロだけは注意、といった感じでしょうか。

 

EUも考え方の違う国同士が政策も財政も通貨も合一にしようとしているツケが徐々に噴出して、共同体としての維持がやや怪しい感じですね。

金融も、デリバティブ(金融派生商品)やりまくって基となる信用(ユーロや債権)も心もとないヨーロッパの銀行に比べれば、批判はされつつも日本のメガバンクなどは手堅くやっていると言えるのかも知れません。

 

中国は一帯一路とかまだやっているようですけど、いくらでも刷れる 元 での取引が増えていかない限り、外貨不足の中国が出来ることは少ないでしょう。そもそも、出資金は加盟国から ドル でちゃんと振り込まれたのでしょうか?

 

中国も韓国も、ひっ迫すると日本にすり寄ってきますから、ちょっと気持ち悪いですよね。

誠意という価値観がなく地道な作業の上に信用を築くという努力がおぼつかない方々には、まずは自前でこれ以上無理というところまで頑張っていただくしかないですよね。

そのうえで、どうしてもというのであれば、必要な取引にはバンバン条件つけて応じれば良いと思います。その方が色んなものが高く売れますよ。

でも投資はやめた方が良いでしょう。非最先端ですぐ現金化できるものを売るのみが良いと思います。

何しろ教育が反日ですし、三国志などの歴史を紐解けばわかるように、相手に頼る必要がなくなれば、彼らは必ずどこかで裏切ると考えておくべきでしょう。

なので、彼らのモノやサービスを買ってドルや円を与えることは、禍の種をまくことになりますから、できるだけやめておいた方が良いでしょう。

 

そして日本です。

 

本日が 平成 最後の日となってしまいました。

天皇陛下の最後のお言葉も拝聴しましたが、象徴天皇としての30年間、本当に頑張ってこられたと思いますので、高輪でゆっくり余生を過ごしていただきたいですね。

 

そんな 平成 ですが、終わってみれば良い時代だった、と感じている人が多いようです。

 

平成 はバブル最盛期からスタートして、平成3年にはバブルが崩壊。

以後、GDPは500兆円前後をフラフラし、最近は徐々に持ち直しているとはいえ、この30年間で名目GDPは 421兆円 → 557兆円 と30%強しか成長しませんでした。

こうしたデフレ基調の期間というのは、急速に上がり過ぎた日本の不動産価格や物価、賃金に対し、国際競争力を取り戻すために必要な調整だったとは思いますが、中国にも追い越され、一人あたりのGDPも伸びず(≒消費力が伸びない)、庶民レベルのマインドは低位安定だったかと思います。

 

それでも、良い時代だった、という評価がなされたり、商売ではあるものの ”ありがとう平成” をモノや言葉で供養する WEB改元寺 とかが流行るあたり、日本人らしい情緒があっていいなぁと思いますね。

 

わたし自身、平成 は飼い猫の死から始まっていて、どちらかといえば、小渕氏の平成の額縁よりも、病院で最後の力を振り絞ってふにゃふにゃ鳴いているトラ猫ちゃん(しばしば尿管結石にはなりましたが、最後はほぼ老衰でした)のイメージからスタートしているのですが、良いことも悪いこともたくさんあり、結果として上記のアンケート通り、終わってみれば良い時代だった、と感じています。

 

新時代の新元号 令和 は良い響きですね。

 

令和 が良い時代だったと思えるように、わたしもIMICも誠心誠意頑張っていきたいと思います。

 

本日はここまで。

こんにちは、“IMIC社長”です。

 

7月に入り、オウム真理教による地下鉄サリン事件などに関連し、死刑宣告を受けていた死刑囚13名が、2回にわけて全員が死刑執行済となりました。

1回で13名をいっぺんに執行できないため、2回にわける必要があったとのこと。

 

当時第一線で活躍していたジャーナリスト江川紹子氏らが、教祖以外の信者の死刑執行についてコメントするなど、懐かしい名前も散見されました。

 

大抵こういう時に名前が上がってくるのは、いわゆる人権派という方々ですけれども、トランプ政権の中国共産党によるウイグル族の不当収容 ( 実際には“不当収容”などという生ぬるいものではないですが ) への非難会見についても、何かしらコメントすべきなんじゃないの?と思う今日この頃。

 

さて、わたくしがオウム真理教を知ったのは、高校生のときでした。

当日の友人に熱心な仏教徒が居て、マンガ孔雀王とかやたら勧められ読んでいたのですが、彼の影響でたびたび月刊ムーなどの雑誌を読んでいたときに、麻原彰晃が確か オウムの会 というヨガ団体のトップとして、空中浮遊している姿が掲載されていたのをよく覚えています。

本場インドでヨーガの修行法を学んだ人物として紹介されていて、友人とは、空中浮遊の原理を あーでもないこーでもない、とネタにして楽しんでいたのですが、あの記事を目にして入会を決意した人はかなり多かったようです。

※そもそも、すごく一生懸命フンフン言いながら、ちびっと空中に浮遊したように見えたところで、一体誰を救え、誰を導けるというのでしょう?

 

オウムの会はその後、オウム神仙の会 → オウム真理教 と遷移していくに従い宗教色を強め、あらゆる宗教はオウム真理教に通じる的な教義を掲げ、一度は衆議院選という表の舞台での飛躍を模索し、それが失敗した以降は、いわゆるテロリズムに邁進していきます。

 

その結果は誰もがご存知の通り、オウムを批判し信者の脱会を支援していた坂本弁護士の一家殺害事件、サリンの効果実験として行った松本サリン事件と徐々にエスカレート。

最後は国家転覆計画の実行とも言える 地下鉄サリン事件 を引き起こし、13人を殺害、数千人が重軽傷を負い、今でもその後遺症に悩んでいる方もいるという、民間団体として過去最大級の国家反逆・無差別殺人行為を行ってきました。

 

事件後、上九一色村のサティアンへの強制捜査等もあり、オウム真理教の幹部や重大事件の執行者らは全員逮捕、うち13名が死刑を宣告されます。

 

一方で、製造された神経ガス(サリン・VXなど)の種類から、ロシアや北朝鮮などとの関与も指摘され、そもそも国家転覆を狙った事件にも関わらず破壊活動防止法 ( 破防法 ) が適用されないなど、不完全燃焼な後始末が続いていたのですが、麻原彰晃こと松本智津夫の逮捕より23年経過した今、13名の死刑執行をもって、ようやく一つのケジメがついたと言えるのではないでしょうか。

 

そして、今回テーマにした 罪と罰 です。

 

クリスチャンである上川法相は、個人的な信条として、死刑に反対のようです。

現に、キリスト教圏であるEUは、2回にわたる死刑執行に対し正式な抗議を日本に寄せていますが、法相は記者会見での質疑応答で、

 

「法務大臣の職にありながら思想・信条で手続きをしない、というのは職務の放棄にあたると考えています」

 

とプロフェッショナルな回答をされています。

それが出来ないなら法務大臣など引き受けていない、と言わんばかりであり、淡々とした中にも胆力を感じさせる会見でした。

 

そして事実として、日本にはれっきとした刑法があり、外国人労働者が毎年十万人単位で増えているにも関わらず、刑犯罪件数は徐々に下がり、平成28年度には戦後初めて100万件を下回るなど、現行の刑法が十分な効果を発揮している、ということが判っています。

 

刑法の歴史的な背景として、日本は封建時代の武士階級に認められていた切捨御免の特権 ( 厳密には刑法の範疇ではない ) を除き、一般的には、罪人は生け捕ってお奉行の前で釈明させ、関係者の言い分を聞いてから裁定する 「遠山の金さん」にあるような刑罰へのスタンスが、今も脈々と受け継がれています。

国防でも、専守防衛の考え方がなんとなくなじんでいまっているのは、日本人の “まずは話し合ってみよう” みたいな人柄が影響しているのかも知れません。

 

一方で、EUを初めとする大抵の外国は、死刑廃止を訴えている国ほど、現場での射殺や殺害が日常茶飯事なんじゃ?!

 

罪に対する罰の与え方として、どちらが正しいんでしょうね?

 

恐らくどちらも正解で、その辺のルールは国ごとの思想信条や治安との兼ね合いの問題であり、最低限の人権確保がなされていれば、他の文化圏が口を出すべきでないと思うのですが。。。

 

日本人の根底には、犯人の犯した罪をつまびらかにし、その罪の深さにより、しかるべき罰が与えられ執行されるべき、という普遍的な価値観があると思います。

 

つまり、今回のオウム真理教絡みの13名の死刑囚は、それなりの罪を犯したのであり、最高裁で死刑が確定し、本人らもその罪状を認め冤罪の可能性がない以上、死刑が執行されて当然 と捉える人が多いのではないでしょうか。

 

さらに、死刑を適用する条件は曖昧ではなく、刑量の大小こそ裁判官に委ねられているとは言え、かなり厳格に定められています。

 (参考HP 裁判・死刑に関する辞典) 

 

参考HPを見る限り、死刑の適用範囲は至極妥当な内容であり、人権の蹂躙にあたる事象など見当たらない以上、

 

歴史と伝統を受け継いだ刑法にのっとり、罪を犯した人は、しかるべき罰を受けなければならない

 

ということが当たり前のように行われる世の中であって欲しいと思います。

 

EUの抗議に対しては、返答が必要ならば、

 

EUとはEPAやるんだから、犯罪率が極めて低く、治安を安定させている日本の刑法にまで口出すなよ。野暮ったいな。

 

とでも返しておけば良いのではないでしょうか。

 

本日はここまで。

こんにちは、“IMIC社長”です。

 

NHK大河ドラマは一時期あまり見ていなかったのですが、軍士官兵衛あたりから再度見始めまして、今年の 西郷どん はホームドラマチックな要素があり過ぎるという批判もあるようですが、江戸時代末期から明治時代初期のど真ん中をドラマ化したものである、ということで、楽しく拝見させていただいております。

 

同時並行で、この頃の歴史的人物を改めて勉強しなおしているのですが、その中に認識を新たにした人物がおりました。

 

日本近代資本主義の父を呼ばれる 渋沢栄一 です。

 

渋沢栄一 と言えば、今の日本銀行のような中央銀行が存在しない時代から銀行の重要性と貨幣価値の安定を訴え、多数の銀行の創業に携わるだけでなく、鉄道、旅客業、印刷業、製紙業、造船業、酒造業、保険業、電気・ガスなどのインフラ業等、数えきれないほどの企業創出に関わった人物として、日本の歴史にその名を留めているだけでなく、起業家であるならば、一度はその足跡を辿り、少なからず憧れを抱く存在であろうかと思います。

 

彼の特徴の1つは、合本主義 という言葉を好んで使っていたように、政府や官の介在しない、民間だけの力(資本・株式会社)による商業の発展を目指すという点です。

 

ちなみに、IMICもお取引先は原則として民間のみ、としています。

渋沢栄一とは発想やプロセスに差はありますが、官に頼って食っていっても長続きしないという思いと、生殺与奪権を官に握られたくない、という2つの思いがあります。提携する検査会社さんの市場を荒らすことにもなりますしね。

そもそも、公共事業は我々の税金ですから、それに頼らず商売できるなら、それに越したことはないわけで、その分の税金は他の有用な方法で使っていただきたいものです。

 

三井のような財閥や地方の中小企業などと満遍なく手を組んで、日本に必要と思われる産業を選定し、そこを担う企業をどんどん作っていくのですが、その数500社とも言われており、渋沢栄一が看板(頭取や社長など)となりお金や人材を集め、スタートを切るところまでは率先して動き、その後は顧問的な立ち位置で、経営陣を信頼しつつ、しばしばアドバイスを送ったりアライアンスを手伝ったり ( 何しろ面倒をみている会社が山のようにありますから ) 、という感じで、彼に由来する会社がどんどん立ち上がっていきました。

 

もう一つの彼の特徴は、道徳心を非常に重んじたという点です。

晩年、道徳経済合一説 を唱えていたように、論語における 「仁義礼智信」 いわゆる 五常 を彼自身非常に重んじていました。

つまり、お金儲けをするのは良いし、どんどん儲けるべきだが、お金を稼ぐとき、あるいは稼いだお金をどうするか考えるとき、私利私欲ではなく広く社会に役にたつことを優先すべきだ、ということですね。

 

今の日本には三井や三菱などの財閥はありますが、渋沢栄一は自身の財閥は作りませんでした。道徳を重んじる彼からすれば、財閥化は会社の私物化に繋がるということだけでなく、市場をも私物化しかねないという目で見ていたのではないかと思います。

 

いずれにせよ、

  渋沢栄一 といえば 銀行家・起業家・資本家

というのが一般的なイメージだろうと思われます。

NHKの 英雄の選択 という番組で 海運業で三菱財閥と戦う 渋沢栄一 を取り上げていたようですので、ご参考までに。

 

一方で、あまり知られていない側面が、最後の最後まで臣下として徳川幕府15代将軍 徳川慶喜へ忠義を尽くした姿です。

 

私が最も感銘を受けたのはこちらの書籍です。

徳川慶喜と渋沢栄一-最後の将軍に仕えた最後の幕臣 

安藤優一郎著

 

良本なので、多くの方に読んでいただきたいのですが、朝敵となったことを恥じ敗者の美学を貫いた徳川慶喜を、大政奉還後の静岡藩の財政改革から、明治政府入りとその後の下野、日本の資本主義の父と言われるような八面六臂の活躍をしている中でも、片時も忘れることなく支え続ける姿が、残在する資料を基に丁寧に解説されています。

 

名士である地主農家の跡取りから尊王攘夷のテロリスト( 今で言う極右活動家?!しかも過激派 )になり、そこから徳川幕府の跡継ぎを設けるための御三家・御三卿の一つ一橋家に仕えるというウルトラC転職を達成するのですが、それから先は、明治政府に出仕しようがどこで何をしていようが、徳川慶喜から主替えをすることは終生ありませんでした。

 

尊王開国論者だったと思われる 徳川慶喜 には先見の明があり、渋沢栄一 とは気概が合ったのかも知れませんね。

渋沢栄一は、“士魂商才”という言葉を好んで使っていて、これが後の“道徳経済合一”に発展するのですが、士魂は武士の心であり、その忠義の先は 徳川慶喜 と決めていたのだと思います。

商才があったとはいえ、身分上は農民である 渋沢栄一 を武士に取り立ててくれたのは、他ならぬ 徳川慶喜 でしたからね。

 

それだけに、明治維新後の 徳川慶喜 の扱われ方には憤懣やるせないものがあったのだと思います。

ご紹介した書籍の文中にもある通り、徳川慶喜は徳川一派から見えれば、徳川将軍家をつぶした男ですから、徳川からも明治政府からもハブられ、天皇家からも距離を取られる。

沢山の趣味を持っていたので、静岡での隠居もそれなりに楽しんでいたとは思いますが、渋沢栄一 は財界で忙しく動き回る一方、徳川慶喜の名誉回復に、彼が死してもなお、動き続けることになります。

 

そして、忠臣としての 渋沢栄一 と経済人としての 渋沢栄一 の融合を良くあらわした良書が 自書 論語と算盤 です。

 

確かに、お金は人の命や性欲の次ぐらいに大事なものかも知れませんが、人格や道徳心を磨き、競争しつつ多くの人の利益になるような仕事でお金を稼ぎ、得られた豊かさや地位に甘んじることなく、“道徳経済合一” という形で、広く公共のためになるよう行動し、お金を使っていくことで、社会の支持が得られ、損して得を取る、ではないですが、結果として健善な繁栄が得られる。。。

 

 渋沢栄一の言う 道徳

 ドラッガーの言う 社会的責任

 バフェットの言う 誠意

 

私にはどれも同じ意味合いに思えるのですが、いかがでしょうか?

 

最後に、徳川慶喜について。

今まさに 西郷どん で活躍中ですね。

ややもすると江戸城無血開城による明治政府へのスムーズな政権移行を、勝海舟や山岡鉄舟の手柄のように語られることが多い昨今、渋沢栄一が語るように、一番は当時のボスである徳川慶喜の行動と決断がすべての根本にあり、最大の功労者であるのではないでしょうか。

 

徳川慶喜自身の資質については賛否あるのでしょうが、少なくとも、彼の鳥羽・伏見や大阪城での撤退行為とその決断などがなければ、歴史はだいぶ変わっていたのはないかと思います。

 

渋沢栄一 のお墓は、徳川慶喜 と同じ谷中霊園 にあり、あれだけの地位と名誉を手にした方であっても、死してなお忠義を尽くす姿を後世に伝えています。

 

私も近いうちに、両氏の英霊を訪ねてみたいと思います。

 

本日はここまで。