国・国家というもの

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こんにちは、“IMIC社長”です。

 

もう少し定期的ブログを更新したいと思いつつ、仕事も立て込んでくると、お客様優先で動かなくてはいけないため、ただでさえ遅い更新がさらに遅筆になってしまいます。

 

昨日は建国記念日でした。

 

建国 とあるからには、日本国が誕生した日が明確にあるのかな、と思い調べたところ、どうやら日本書紀で神武天皇が即位した紀元前660年1月1日(旧暦)を根拠に、新暦になおした2月11日を建国記念日としているようです。

 

日本書紀は一応日本の正史とされていますが、半分は神話の世界であり、そもそも神武天皇の頃って“日本国”という概念は無かったのではないかなと思います。

 

では一体、国とか国家って何なんでしょう?

 

コスモポリタン、という言葉があります。

世界主義者とか世界市民とか言うと思いますが、いわゆる国境も国家も不要で、世界は一つの市民です、という価値観です。グローバリゼーションというのも、ベクトルとしては同じ方向を向いているのでしょう。

コスモポリタンの考え方が全世界に浸透すれば、言い争いの無い平和な世の中が訪れるのかも知れませんが、今や世界各国はグローバリズムからナショナリズムへ戻ろうとしており、国・国家と言う概念はなかなか廃れそうにもありません。

 

その要因を紐解いていくには、ヒトはどうやって生きていくのか?というところに立ち返る必要があると思います。かいつまんで検証してみましょう。

 

ヒトは哺乳類ですから、他の哺乳類と同じく、食料をどこからか調達しなければなりません。雑食性とはいえ、草木や木の実ではヒトの胃腸は耐えられませんから、胃腸に優しく栄養価の高いものを探し求めなければなりません。

また、種の保存のために、赤ん坊を育てる環境を作るべく雨風を防げる空間も必要です。野ざらしに耐えられるほど赤ん坊は強くありません。仮に耐えられたとしても、生存率は極端に低くなるでしょう。ヒトはそれに対応できるほど多産能力を有していません。

気候の変化や過酷な環境に耐えうるために、衣服も必要でしょう。

食料を求めているうちに、ヒトは色んな気候や風土の土地にたどり着き、土着します。同じ場所に居たら、そのうち食べ物の取り合いになっちゃいますよね。

 

ということで、ヒトは繁殖繁栄する限り、衣食住の問題は常に付きまとい、衣食住を満たすためには、ヒトが一人一人考え行動するより仲間を作り、その中で生のサイクルを回していくことが効率的である、と考えついたのでしょう。

それが、家族 とか 村・集落 という単位で、縄文時代や弥生時代でも様々な集落が発見されています。

 

さて、ここから先は マンガ日本の歴史 などを見ていただければわかるように、食料不足やその権利などを巡り村同士で諍いが始まり、死者が多く出たり、食料不足で飢餓が起こったりするとヒトは何かにすがるため宗教が生まれ、仲間内でも争い事が起こったりすると、できるだけ損失を少なくしようと考えるから、指導者・為政者なるものが生まれ、上下関係が発生します。

※近代以前の日本において、市民の権利が最も保護された山城の国一揆にしても、複数の指導者(国人衆)による合議制を取り、いわゆる為政者という指導者層を形成していました。

 

そして、地域や風土によって村・集落には多様性を反映した言語や風俗が生まれ、文化となり、文化が社会的な広がりと継続性を持つことで文明となり、国・国家と文明は卵とニワトリの関係かも知れませんが、海に囲まれた地域にはその慣習に帰属した、肥沃な大地に恵まれた地域にはその特徴を生かした文明や国・国家が生まれ、消滅や誕生を繰り返しながら、今に至っています。

 

あまり深く入り込むと哲学的かつ民族学的になってしまい、出口が見えなくなりますから、ここから先は細かく突っ込んでいきませんが、いずれにしてもヒトが環境に耐え生き抜いていくことや、争いによるカニバリゼーション(共食い)を防ぐために導き出した知恵が、仲間を作り集団で行動することであり、その最も小さな単位が家族であり、最も大きな単位が国・国家と言えるのではないでしょうか。

その進展の過程において、量子的に0→1へ飛ぶように突然進化したものは見当たらず、例えば、産業革命の代表的技術であるワットの蒸気機関にしろ、その発想のスタートはアレキサンダー大王の時代の学者の発想から端を発しており、数多もの概念を経て実現に至っているわけで、蒸気機関車という派手な形で日の目をみることになりますが、その裏では知識とノウハウの連続的な積み重ねがあったわけです。

 

よって、仮に世界の全てのヒトがコスモポリタンを目指したとして、その過程において、10万年以上に渡るヒトの知恵たる家族や国・国家を大切に出来ない限り、それは永遠に実現できないと考えます。

 

小市民の一人であるわたくしとしては、家族・親族は勿論ですが、頑張って両手を広げたとしても、今のところはせいぜい社会の公器であるIMICという企業の一つとその従業員(ギリギリ従業員の家族まで)を何とか守る、というところまでです。

その代わり、守備範囲にあるものは全力で守り抜きます。

 

従業員の皆さんも、是非それに応えて下さいね!

 

本日はここまで。

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西部邁氏死去に想う

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こんばんわ、“IMIC社長”です。

 

本日、保守系の思想家である西部邁氏が死去されたとのニュースが飛び込んできました。

 

評論家・西部邁さん死去、多摩川で自殺か 78歳…遺書のような文書も

 

西部氏と言えば、昔は 朝まで生テレビ! によく出演されており、当時は私もよく拝見していたもの。

 

実は、年末に日本の文化・文明について批評している書籍が欲しいなと思い、近くの書店で探していたところ、西部氏の「保守の神髄」(講談社現代新書)を手に取り、ちょうど読んでいたところでした。

 

ここ最近、朝日や毎日が左派・革新で、読売・産経が右派・保守でとか、親米だ!反日だ!という各ポジションでの議論が盛んに行われていますが、西部氏はそういうのとは一線を画し、福沢諭吉や三島由紀夫らに共通する“ブレない日本愛国者”というイメージがあります。

 

日本のみならず、各国の文化・文明へ敬意を払い、そのうえで、皇紀2678年を誇る日本の伝統と、豊かな文化を内包した文明の維持・発展について、遠い過去から遠い未来まで、あるべき背骨を論じることのできる、数少ない論者だったと思います。

 

「保守の神髄」でも、フランス革命の 「自由・平等・博愛・合理」などまやかしで、日本には昔から「活力・公正・節度・良識」があるんだから、日本人は己の良心に従い試行錯誤を繰り返しながら正々堂々と歩め、と述べてますね。

活力という点では、最近は中国人などの新興勢力の活力に大分押され気味ですが、でも共感できる方も多いのではないでしょうか。

 

日本に数少ない本質を語れる思想家を失ったことは残念ですが、今を生きこれからを作っていく我々が、西部氏の意見への賛否というよりも、本質を見極めようとする考え方を理解し、自らに落とし込んでいくことで、西部氏への供養としていければと思います。

 

西部邁氏のご冥福をお祈りしております。

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こんにちは、“IMIC社長”です。

 

以前のブログで、経済は水もので、経済学は確立された学問ではない、というコメントをさせていただきました(歴史に学ぶことの重要性)。

 

実際に、日本経済・財政の改善・復活を論じる書物等を数多く読ませていただき、リフレ論、財政再建優先論、金本位制復活論、中央銀行陰謀論?などなどに接してきましたが、もろ手を挙げて賛成!となるような論じ手はなく、やはり不確定要素の高い世界だなと感じるところです。

だからこそ、学問追及の対象として面白いのかもしれませんが。

 

そんな中、日本の経済状況について、非常に納得性の高い記事が出ていましたので、紹介しておきます。

 

「成功している」日本経済から学べ 欧米メディアが注目するポイントとは(NewSphere) - BLOGOS(ブロゴス) text by 平湊音

http://lite.blogos.com/article/269637/

 

海外マスメディアの日本経済への見解をまとめて記事にされていますが、やはり外から眺めた方々の方が大局的な見地から、核心に近いところを突いてきている感じがします。

 

私は常々、日本国民の1人当たりのGDPを上げていきたいし、そのためのIMICにしたい、と考えています。

ただし、高齢者社会ですから、現役をリタイアした方はモノを買う事でしかGDPに貢献できず、しかも彼らの財布の紐は固いとなれば、やはり実体経済の動力源である我々が付加価値を生むなり、労働効率を上げるなり、あるいは取引先様を促すなり、直接的・間接的にGDPを押し上げる活動が必要になります。

この記事では、ある程度そのことに成功している、というのが大まかな論調で、これはとても喜ばしいことですし、日本の底力に繋がることでもあります。

 

日本の製造業は、グローバル競争で低賃金国へ生産拠点が移される空洞化が起こり、円高で輸出しづらくなっても、精密部品等の日本の得意品目に注力するだけでなく、賃金上昇を抑え、営業力を含めた売る力を身に着けることで何とか持ちこたえてきました。

今、中国を始め、かつての低賃金国はそれほど日本の賃金と変わらないところまで来ており、日本のコスト面の競争力は確実に上がってきています。

 

一方で、国内での格差の問題はあると思います。記事の中でBBCが指摘したとありますが、非正規雇用の問題に限らず、富裕者と貧困者との格差が広がり過ぎると、社会不安が広がったり、教育レベル低下による長期的な国力低下など、良いことはほぼありません。出生率もますます低下するでしょう。

雇用機会と条件については、都心部と地方との格差はあるでしょうが、トレンドとして良くなりつつあると思いますので、今税制改革で議論されている基礎的控除を上げて低所得者を保護し、一方で所得税率をあげて、高額所得者から税金をより多く取るという方向性には賛成です。ただし、消費税率を上げると、その効果が打ち消されるどころか、マイナスに働くことでしょう。

あと、どこかの記事で見ましたが、就職氷河期世代でこれから子供らにお金のかかる中産階級の方々(我が家も含む)は増税対象になるでしょうから、やはり教育無償化などとセットで議論するのが望ましいのでしょうかね。

 

また、前回のブロク(2018年を考える)でも述べましたが、日銀の通貨流通量(マネタリーベース)は増え、各金融機関の当座口座にお金はたくさんあれど、融資額(マネーストック・マネーサプライ)は近年ほとんど増えず、金融市場や実体経済にあまりお金が流れてきていない状況が続いています。

(ご参考 http://www.nippon-num.com/economy/money-stock.html

融資が増えなければGDPを増やしていくことはなかなか難しい (恐らくこれは経済学の数少ない自然の摂理)。

海外生産のうま味が薄れてきた今、海外に進出した製造業がある程度国内に戻ってくれば、融資額も増えるはずなので、ここは加速度をもって融資額が増えていく将来に期待したい。

財政出動による景気刺激策は対処療法でしかありませんから、民間が活力を取り戻すことが肝要です。

 

何はともあれ、外からの声となると近隣諸国からのものが圧倒的に多い昨今ですが、たまには違った角度からの声というのも大変重要なものです。

そして、やはり日本は実体経済の強さ、特に製造業とサービス業においては、山中鹿之助の“我に七難八苦を!”ではないですが、苦しい中をなんとか乗り切る地道な努力・創意工夫が、我々の足腰を確実に強くしてくれているのだと思います。

 

決して、アメリカやイギリスのような金融資本主義や中国のような膨張主義が日本の目指すところではないと思います。

 

日本は実体経済を着実に押し上げることが出来る国民性が強みである。

 

私はそう考えます。

 

本日はここまで。

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