こんにちは、“IMIC社長”です。

 

NHK大河ドラマは一時期あまり見ていなかったのですが、軍士官兵衛あたりから再度見始めまして、今年の 西郷どん はホームドラマチックな要素があり過ぎるという批判もあるようですが、江戸時代末期から明治時代初期のど真ん中をドラマ化したものである、ということで、楽しく拝見させていただいております。

 

同時並行で、この頃の歴史的人物を改めて勉強しなおしているのですが、その中に認識を新たにした人物がおりました。

 

日本近代資本主義の父を呼ばれる 渋沢栄一 です。

 

渋沢栄一 と言えば、今の日本銀行のような中央銀行が存在しない時代から銀行の重要性と貨幣価値の安定を訴え、多数の銀行の創業に携わるだけでなく、鉄道、旅客業、印刷業、製紙業、造船業、酒造業、保険業、電気・ガスなどのインフラ業等、数えきれないほどの企業創出に関わった人物として、日本の歴史にその名を留めているだけでなく、起業家であるならば、一度はその足跡を辿り、少なからず憧れを抱く存在であろうかと思います。

 

彼の特徴の1つは、合本主義 という言葉を好んで使っていたように、政府や官の介在しない、民間だけの力(資本・株式会社)による商業の発展を目指すという点です。

 

ちなみに、IMICもお取引先は原則として民間のみ、としています。

渋沢栄一とは発想やプロセスに差はありますが、官に頼って食っていっても長続きしないという思いと、生殺与奪権を官に握られたくない、という2つの思いがあります。提携する検査会社さんの市場を荒らすことにもなりますしね。

そもそも、公共事業は我々の税金ですから、それに頼らず商売できるなら、それに越したことはないわけで、その分の税金は他の有用な方法で使っていただきたいものです。

 

三井のような財閥や地方の中小企業などと満遍なく手を組んで、日本に必要と思われる産業を選定し、そこを担う企業をどんどん作っていくのですが、その数500社とも言われており、渋沢栄一が看板(頭取や社長など)となりお金や人材を集め、スタートを切るところまでは率先して動き、その後は顧問的な立ち位置で、経営陣を信頼しつつ、しばしばアドバイスを送ったりアライアンスを手伝ったり ( 何しろ面倒をみている会社が山のようにありますから ) 、という感じで、彼に由来する会社がどんどん立ち上がっていきました。

 

もう一つの彼の特徴は、道徳心を非常に重んじたという点です。

晩年、道徳経済合一説 を唱えていたように、論語における 「仁義礼智信」 いわゆる 五常 を彼自身非常に重んじていました。

つまり、お金儲けをするのは良いし、どんどん儲けるべきだが、お金を稼ぐとき、あるいは稼いだお金をどうするか考えるとき、私利私欲ではなく広く社会に役にたつことを優先すべきだ、ということですね。

 

今の日本には三井や三菱などの財閥はありますが、渋沢栄一は自身の財閥は作りませんでした。道徳を重んじる彼からすれば、財閥化は会社の私物化に繋がるということだけでなく、市場をも私物化しかねないという目で見ていたのではないかと思います。

 

いずれにせよ、

  渋沢栄一 といえば 銀行家・起業家・資本家

というのが一般的なイメージだろうと思われます。

NHKの 英雄の選択 という番組で 海運業で三菱財閥と戦う 渋沢栄一 を取り上げていたようですので、ご参考までに。

 

一方で、あまり知られていない側面が、最後の最後まで臣下として徳川幕府15代将軍 徳川慶喜へ忠義を尽くした姿です。

 

私が最も感銘を受けたのはこちらの書籍です。

徳川慶喜と渋沢栄一-最後の将軍に仕えた最後の幕臣 

安藤優一郎著

 

良本なので、多くの方に読んでいただきたいのですが、朝敵となったことを恥じ敗者の美学を貫いた徳川慶喜を、大政奉還後の静岡藩の財政改革から、明治政府入りとその後の下野、日本の資本主義の父と言われるような八面六臂の活躍をしている中でも、片時も忘れることなく支え続ける姿が、残在する資料を基に丁寧に解説されています。

 

名士である地主農家の跡取りから尊王攘夷のテロリスト( 今で言う極右活動家?!しかも過激派 )になり、そこから徳川幕府の跡継ぎを設けるための御三家・御三卿の一つ一橋家に仕えるというウルトラC転職を達成するのですが、それから先は、明治政府に出仕しようがどこで何をしていようが、徳川慶喜から主替えをすることは終生ありませんでした。

 

尊王開国論者だったと思われる 徳川慶喜 には先見の明があり、渋沢栄一 とは気概が合ったのかも知れませんね。

渋沢栄一は、“士魂商才”という言葉を好んで使っていて、これが後の“道徳経済合一”に発展するのですが、士魂は武士の心であり、その忠義の先は 徳川慶喜 と決めていたのだと思います。

商才があったとはいえ、身分上は農民である 渋沢栄一 を武士に取り立ててくれたのは、他ならぬ 徳川慶喜 でしたからね。

 

それだけに、明治維新後の 徳川慶喜 の扱われ方には憤懣やるせないものがあったのだと思います。

ご紹介した書籍の文中にもある通り、徳川慶喜は徳川一派から見えれば、徳川将軍家をつぶした男ですから、徳川からも明治政府からもハブられ、天皇家からも距離を取られる。

沢山の趣味を持っていたので、静岡での隠居もそれなりに楽しんでいたとは思いますが、渋沢栄一 は財界で忙しく動き回る一方、徳川慶喜の名誉回復に、彼が死してもなお、動き続けることになります。

 

そして、忠臣としての 渋沢栄一 と経済人としての 渋沢栄一 の融合を良くあらわした良書が 自書 論語と算盤 です。

 

確かに、お金は人の命や性欲の次ぐらいに大事なものかも知れませんが、人格や道徳心を磨き、競争しつつ多くの人の利益になるような仕事でお金を稼ぎ、得られた豊かさや地位に甘んじることなく、“道徳経済合一” という形で、広く公共のためになるよう行動し、お金を使っていくことで、社会の支持が得られ、損して得を取る、ではないですが、結果として健善な繁栄が得られる。。。

 

 渋沢栄一の言う 道徳

 ドラッガーの言う 社会的責任

 バフェットの言う 誠意

 

私にはどれも同じ意味合いに思えるのですが、いかがでしょうか?

 

最後に、徳川慶喜について。

今まさに 西郷どん で活躍中ですね。

ややもすると江戸城無血開城による明治政府へのスムーズな政権移行を、勝海舟や山岡鉄舟の手柄のように語られることが多い昨今、渋沢栄一が語るように、一番は当時のボスである徳川慶喜の行動と決断がすべての根本にあり、最大の功労者であるのではないでしょうか。

 

徳川慶喜自身の資質については賛否あるのでしょうが、少なくとも、彼の鳥羽・伏見や大阪城での撤退行為とその決断などがなければ、歴史はだいぶ変わっていたのはないかと思います。

 

渋沢栄一 のお墓は、徳川慶喜 と同じ谷中霊園 にあり、あれだけの地位と名誉を手にした方であっても、死してなお忠義を尽くす姿を後世に伝えています。

 

私も近いうちに、両氏の英霊を訪ねてみたいと思います。

 

本日はここまで。