愛と青春の旅立ち


1982年 アメリカ映画

監督 テイラー・ハックフォード

脚本 ダグラス・デイ・スチュアート

出演 リチャード・ギア



⚫︎あらすじ


海軍の父は家に戻らず、母が亡くなってしまったため息子はフィリピンにいる父親を訪ねる。すると父は酒に酔い、裸の若いフィリピン女性2人と一緒に居た。


そんな環境で暮らして大人になった息子ザック・メイヨ(リチャード・ギア)は米海軍のパイロット養成学校に入隊する。


鬼教官フォーリー軍曹は「お前らは女・子供にナパーム弾を落とさなければならん。それに耐えられんやわな奴は振るい落とす」と厳しい訓練で心身を追い詰められる。


訓練所の周辺には、パイロット候補生との恋愛を望む若い女性たちが集まり、ポーラやリネットも士官の妻の座を狙っていた。


士官候補生のザックと同期生のシドは美しいポーラとリネットに近づき、サバイバル訓練の間だけの遊び女として付き合った。


訓練も終盤のころシドは実家に戻り死んだ兄貴の恋人と結婚すると言う。それなら「女とは手を切れ、後腐れなく遊ぶのがいい!」と言い聞かせる。


しかし、リネットは「あなたの子供が出来た」とシドを引き止める。シドは「君と居て楽しくて訓練に耐えられた。中絶の費用も出すし病院にも行くから」と彼女を説得する。


ザックに「ワナかもしれない⁈」と言われるも、結局シドは士官学校を辞めて、リネットに指輪を差し出し求婚する。


しかしリネットは「私はパイロットと結婚したいのよ」と言われ、シドは首を吊ってしまう。


怒ったザックはポーラに「人を弄んでどういうつもりだ!最低だよ。君もリネットと同じだ、また次の士官候補生を狙え!」と言う。


この出来事はザックに深い衝撃を与え、彼が自分本位な生き方を改める契機となる。

数々の試練を経て、ザックはついに卒業の日を迎え、士官候補生から本物の海軍士官へと成長した。


真っ白い制服姿で工場に現れたザックは、仕事中のポーラを抱き上げ、仲間たちが見守る中で愛を誓う。





⚫︎感想


まぁー、感動のラストシーンですよねー!

このシーンだけは覚えてるんだけど、相棒が首吊り自殺したこととかは全然忘れてました。


堕落した父の姿を見ながら育ったザックでしたが父と同じ海軍の道を選びます。ですがザックは父とは違うエリートコースを選ぶんです。


そして厳しい軍曹のしごきを乗り越えて心身共に成長していきます。最初こそポーラを遊び女として考えていたザックでしたが、それでは母を捨てた父と同じになると考えたんでしょうねぇ…。



⚫︎アメリカ海軍とフィリピンの関係


1898年の米西戦争でアメリカがスペインに勝利し、フィリピンを領有しました。

第二次世界大戦後にフィリピンは独立しましたが、冷戦期には安全保障条約によってアメリカが軍事的影響力を持ち続けました。

特にスービック湾では、ベトナム戦争時にも米軍の重要な補給・修理拠点でした。そのため1980年代のアメリカ人には「フィリピン=米海軍兵の生活の場」というイメージがありました。

ザックの父は元米海軍の下士官で、退役後もフィリピンに居座り、酒や売春宿に入り浸る生活でした。ザックの母は夫の放蕩に絶望し自殺してしまいます。

父は息子をまともに育てようとせず、「人を信じるな」「女は利用するものだ」といった皮肉混じりの人生観を息子に植え付けます。


母を失い、父から愛情を注がれなかった経験が、ザックの「誰も信用しない」「本気で愛せない」という性格を作ったんですね。



⚫︎ナパーム弾とは


第二次世界大戦中にアメリカで開発された焼夷兵器です。粘着性が非常に強く、建物や人の体に付着すると簡単には落ちず、高温(800℃以上)で長時間燃え続け、普通の水では消せません。

日本本土空襲(特に東京大空襲)で、大量に投下され市街地を焼き尽くしました。また、ベトナム戦争でも多用され、ジャングルを焼き払い、民間人にも甚大な被害を与えました。「ナパーム弾で焼かれた子ども」の写真は世界的な反戦運動の象徴になりました。そのためナパーム弾は「都市や人を地獄の炎で焼き尽くす兵器」という強烈な印象を残しました。

映画『地獄の黙示録』の冒頭シーン(ベトナムでのジャングル爆撃)で描かれたのもナパーム弾です。




⚫︎ 士官との結婚を狙う女性は実在するの?


ワシントン州の海軍航空基地(ウィドビー島など)の近くでは、候補生や軍人と地元の女性が出会う機会が多くありました。実際に「士官学校や基地周辺では、軍人と結婚することを期待する女性が集まる」という現象は存在していました。 

1980年代、女性の社会進出は進んでいましたが、地方では「結婚=人生の安定」という価値観も根強くありました。そのため映画のように「候補生を射止めたい」と思う女性たちがいたのは事実です。

アメリカでは「軍人=安定した職業」のイメージがありました。特に士官は給与も手当もよく、社会的な信用も高かったため、「結婚相手として理想的」と見られることが多かったようです。



⚫︎ 工場で働くポーラは貧困なの?


1980年代のアメリカでは、工場で働く女性は「ブルーカラー」として描かれ、生活は安定していても豊かではない層に位置付けられました。ポーラの家も、決して貧困ではないけれど中流以下の生活です。

彼女は「士官狙いの女性」と一括りにされることを嫌がりつつも、現実の生活の厳しさを理解しています。だからこそ、ザックに惹かれる気持ちが「愛」なのか「打算」なのか、彼女自身もわからずに揺れ動いていました。


1980年代、敗戦国だった日本はバブルで好景気だったイメージですが、勝利したアメリカは貧困な生活者が沢山いたそうです。石油危機や「スタグフレーション(物価上昇と景気停滞の同時進行)」で、失業率やインフレ率が高く、景気は不安定でした。

1980年代の日本は、製造業が絶好調で、自動車、家電、半導体などが世界市場を席巻していました。そのため零細企業や下請けまでも仕事が潤い、地方経済にも恩恵が広がります。つまり輸出立国で国内の隅々まで利益が波及しました。

一方アメリカでは、日本や西ドイツからの輸入に押され、「ラストベルト」と呼ばれる工業地帯で失業が増加し製造業が衰退しました。経済の中心は金融・ハイテク・サービスへ移行し、高度教育を受けた層は豊かになりましたが、ブルーカラー労働者は仕事を失い、格差が生まれました。


1980年代レーガン大統領によるレーガノミクスは、大幅減税(特に富裕層や企業優遇)、規制緩和、公共支出削減、これにより経済は成長しましたが、富裕層や投資家がより恩恵を受け、低所得層は取り残されました。トリクルダウン(富裕層の利益が下に滴り落ちる)は期待ほど機能せず、格差が広がりました。

そのころの日本は、護送船団方式と呼ばれる、銀行・企業・官僚が一体となって企業倒産を防ぎ雇用を守りました。終身雇用、年功序列により、企業は社員を家族のように守る制度があり、「安定した中流生活」が保証されました。そして株や不動産の高騰で、一般家庭も「豊かになった」と感じられる時代でした。


あらっ?トリクルダウンを狙った日本のアベノミクスみたいなことが、1980年代のレーガン政権で行われていたんですね。

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