戦場のピアニスト


監督 ロマン・ポランスキー

脚本 ロナルド・ハーウッド

原作 ウワディスワフ・シュピルマン

出演 エイドリアン・ブロディ



⚫︎あらすじ


ユダヤ人のピアニストのシュピルマンは家族とともにナチス・ドイツの占領下で苦しみ、ワルシャワ・ゲットーに閉じ込められます。


やがて家族は強制収容所へ送られますが、シュピルマンは奇跡的に助かり、廃墟と化したワルシャワで孤独に生き延びようとします。


飢えと寒さに苦しむ彼を救ったのは、意外にもドイツ軍将校ホーゼンフェルトでした。


彼はシュピルマンのピアノの才能に感銘を受け、彼を匿い、食料を与えます。


しかし、戦争が終わるとホーゼンフェルトはソ連軍に捕らえられ、シュピルマンは彼を助けられませんでした。


戦争が終結し、シュピルマンは再びピアニストとして活躍しますが、彼の心には戦争の傷跡が深く残ります。音楽と人間の尊厳を描いた感動の実話です。





⚫︎感想


ポーランドで暮らすユダヤ人ピアニストの話でした。第二次世界大戦でドイツがポーランド侵攻してくるとユダヤ人迫害が始まります。


そしてピアニストのシュピルマンもゲットー(ユダヤ人居住区)に入れられてしまいます。


ユダヤ人だって言うだけで差別され、いつ殺されてもおかしくない状況でシュピルマンは逃げ延びます。


その中でピアニストのシュピルマンのファンのポーランド人が助けてくれたり、ドイツ軍なのに芸術の分かる人が助けてくれたりします。


芸は身を助けるとは本当ですね。銀行家が会計士の力で刑務所を生き延びた「ショーシャンクの空に」を思い出しました。




1939年ワルシャワ「イギリスがナチスに戦線布告、ポーランドはもはや一人じゃない」とラジオ放送が流れます。


ユダヤ人は持ち金に制限がかかり、ユダヤ人お断りのカフェ、公園のベンチに座ってもいけない、外出する時はダビデの星の腕章を付けることなどが義務付けされます。


歩くだけでドイツ兵から「挨拶が無い」と顔を叩かれ、歩道を歩くな!と罵声を浴びせられます。


そしてワルシャワ居住区へ移り住むと、ドイツ人に質問しただけで脳天に弾丸を撃ち込まれ、道には死骸が転がっています。


ゲットーの中でベニスの商人を読むユダヤ人がいます。


ベニスの商人は、キリスト教社会の中で強欲なユダヤ人高利貸しとされるシャイロックが法廷で財産を没収される話です。


そんなゲットーで暮らす若いユダヤ人たちはジャガイモの中にピストルを隠し、戦う決意をしています。


そしてポーランド人も立ち上がると決意しています。


がしかし、戦おうとしたユダヤ人たちはすぐにナチスに鎮圧されてしまいます。


ユダヤ人の死体にガソリンまいて焼かれのを見ながらシュピルマンは、とにかく現状を見極めながら逃げ延びる。


情勢が変わるまで生き延びろってことですね。



⚫︎ウワディスワフ・シュピルマン


実在するユダヤ系ポーランド人ピアニストです。ポーランド・ワルシャワのショパン音楽院でピアノを学び、ドイツ・ベルリン音楽大学で教師をしていましたが、ヒトラーが政権を握ったため、ワルシャワに戻りポーランド放送のピアニストをしていました。


実物はなかなかのイケメンですね!



⚫︎ユダヤ人はなぜ迫害を受ける?

古代イスラエル人(ヘブライ人)は、エジプトで奴隷として苦しんでいました。神はイスラエル人と契約を結び、エジプトから脱出させます。そのかわりに神の教えを守る責任があります。

ユダヤ人として生まれたキリストはユダヤ人以外も神は救ってくださると言ったため、ユダヤ人たちはキリストを異端として処刑してしまいます。

また中世ヨーロッパでは、キリスト教徒に対する高利貸し(利子を取る貸付)が禁止されていました。そのため、ユダヤ人が金融業に従事することが多くなり、これが「金貸し」としてのステレオタイプを生みました。彼らが経済的に成功すると、嫉妬や反発を招き、迫害の口実とされることがありました。

ユダヤ人は、選民思想(自分たちだけが神に選ばれた人)、イエス・キリスト磔によるキリスト教徒からの反発、キリスト教が禁じている金融業をしていて裕福、などそれら複雑な要素が絡み合い差別されるようになりました。


日本人には特にユダヤ人を嫌いになる要素はありませんね。イスラエルの軍事行動は別として…


⚫︎実は親日国のポーランド


ポーランドが親日的なのは、日本が過去にポーランド人を助けた歴史があり、共通の敵(ロシア)を持っていたこと、文化的な価値観が似ていることなどが理由です

ロシア革命後、ロシアに反抗した多くのポーランドが捕虜としてシベリア送りにされます。その子どもたち(シベリア孤児)は極寒のシベリアで苦しんでいました。日本は約800人のポーランド人孤児を救出し、日本で手厚く保護した後、ポーランドへ帰還させました。この人道的な行動は、ポーランドで今も感謝されています。そのためポーランドのワルシャワ大学には何と日本学科もあります


親日国ポーランドに行ってみたくなりましたねー。日本とは隣にロシアがある国という共通点があったんですね…