ココ・アヴァン・シャネル


2009年 フランス映画

監督 アンヌ・フォンテーヌ

脚本 アンヌ・フォンテーヌ

出演 オドレィ・トトゥ



『孤児院で育ったココ・シャネルの物語』



⚫︎あらすじ


母が死んだガブリエルと姉のアドリエンヌは父に孤児院に入れられた


日曜日には父が会いに来てくれると信じて待っていたが、父は一度も来なかった


成人した二人は昼は仕立て屋、夜は酒場で『ココの歌』を歌って稼いでいた


その歌のためガブリエルは“ココ”と呼ばれていた


ココは酒場で知り合った資産家バルザンの家に押し掛けて暮らすようになる


バルザン家には毎日のように金持ちらが集まってパーティーが繰り広げられた


貴婦人たちは、羽根のついた大きな帽子をかぶり、ウエストを窮屈に絞り上げ、裾をズルズルと引きずって歩いていた


しかしココは男性的で動きやすい服装を作り着ていた


ココは、パーティーで出会った舞台役者の帽子を作るようになる


そのパーティーではイギリス実業家ボーイと恋人同士になる


ココはバルザンのもとを離れボーイの助けを借りてパリに自分の店を持つ


しかしボーイにはイギリスに妻がいて、ココは愛人だった


ボーイはココに「次は長くパリに長く居れるようにするよ」と優しい言葉をかけた矢先に自動車事故で亡くなってしまう






⚫︎感想


映画『アメリ』のオドレィ・トトゥがココ・シャネルの役を演じました。


ココ・アヴァン・シャネルのアヴァンとはフランス語で「〜の前」という意味で、デザイナー・シャネルになる前のココを描いています。


ココは姉と2人で孤児院で育ち、酒場で歌って、金持ちの妾として暮らします。


最初は役者の帽子を作ることから始まり、徐々に人気が出ていき、動きやすい女性の服を作っていったんですね。


今でも超一流ブランドのシャネルはこうして生まれたんだと思いました。


でも残念ですが、シャネルの一生は幸せそうには見えませんでした。



⚫︎ココ・シャネル


ガブリエルのココの歌の中で“ココリコ”と言うフレーズがあります。ココリコ(Co Co Rico)とはフランス語で鶏の鳴き声です。

ガブリエルは酒場で“ココを見たのは誰?”という歌を歌っていたためココの愛称で呼ばれるようになったそうです。

孤児院育ちのココが、金持ちバルザンの愛人となってチャンスをつかみます。

バルザンのもとで乗馬を覚え、動きやすいパンツルックの発想を持ちます。

また、バルザンの友人でイギリス人のボーイと恋に落ち、イギリス発祥のジャージー素材を知り、楽に動けるジャージー素材の服を創ります。

ボーイもココと同じように愛称で、本名はアーサー・カペルです。ココはボーイを本当に愛していましたが、身分が違うためやはり愛人として暮らしました。しかし自動車事故でボーイが亡くなってしまうと、ココはがむしゃらに仕事に打ち込んだそうです。



⚫︎シャネルの創り出したもの

1910年〜

装飾が派手すぎないシンプルな帽子

1920年〜

シンプルでエレガントな黒いドレス

働きやすく動きやすいシャネルスーツ

香水、シャネルNo.5

1930年〜

模造の宝石を使ったアクセサリー

1940年〜

第二次世界大戦中のため休業

ドイツのスパイ容疑もありスイスへ亡命

1950年〜

丈夫なチェーンストラップのバック

1960年〜

チェーンベルトやアクセサリー


ココのいた孤児院は修道院でした。修道院の服は黒のシンプルなものでした。

この修道院で、家族が会いに来る子だけは、派手な赤いガウンを着ていました。

ココが派手な衣装を嫌い、シンプルな黒こそエレガントだと思う原点があったのだと感じました。


⚫︎マダムとマドモアゼル

ココに“マダム”と呼んだ店の人に、“マドモアゼル”よ!と呼び方を訂正するシーンがあります。

マダムは結婚して、社会的な役割に縛られていることを意味します。

これに対してマドモアゼルは未婚の独立した1人の女性の生き様を表しているのです。

ココは「マドモアゼルよ」=「私は独立した男と対等な女性よ」と言っていたのでしょう。



ココ・シャネル、魅力的で芯の強い女性でした。

彼女は独創的なファッションセンスを持っていて、当時の抑圧された女性の服装を、開放的で動きやすいように変化させていきました。

ココの生きた時代、孤児院に預けられる子供も珍しくはなく、また金持ちの男性に複数の女性がいることも、よくあることだったようです。

そんな時代に、ココは裕福な男達を逆に利用して世界に知れ渡るトップデザイナーになっていったんですね。



オドレィ・トトゥのアメリはこちらから

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