論語 孔子


孔子と弟子たちの会話をまとめた512文の言行録です。「一を聞いて十を知る」「過ぎたるは及ばざるが如し」など現代でも使える教えです。


孔子はBC552〜BC479、春秋戦国時代(日本の弥生時代)に生まれ74才まで生きました。戦いに明け暮れた時代に現れて世を正すべくことを説いた諸子百家の一人です。


武力による支配ではなく、君主の徳により天下を治めるべきと考えた孔子は儒教を広めました。


儒教には五常というものがあります。

仁 他人を愛し思いやること

義 私利私欲でなく世の為人の為に行動

礼 相手に敬意を払い接する礼儀作法

智 学び道理をわきまえ善悪の判断をする

信 人を欺かず約束を守り誠実であること



“子曰く”で始まる孔子と弟子たちの対話を、少し抜粋いたしました。


学は及ばざるが如くせよ。

なお之を失わんことを恐れよ。


学びには終わりがない、知識を得てもまだまだ深いところがあると考えなさい。そして学んだことを失わないように常に復習しなさい。


学んで思わざれば即ちくらし。

思うて学ばざれば即ちあやうし。


学んでも自分の頭で考えないと身にはつかない。しかし自分の頭で考えるばかりでは独断的になって危険である。


先ず其の言を行うて、

しこうて後に之れに従う。


まずは行動しなさい。言葉は後からついてくる。口だけの人にならぬことだ。


故きを温(たず)ねて新しきを知る。


歴史や古典から昔のことを知り、そこから新しい知識を得ることだ。温故知新。


義を見て為ざるは、勇なきなり。


正しい行いを知りながら、それを行わないものは勇気に欠ける。


巧言令色(こうげんれいしょく)、

鮮(すく)なし仁(じん)。


言葉巧みに表面上だけ良い格好している者は思いやりの心が欠けているので気をつけなさい。巧言令色。


これを知る者はこれを好む者にしかず。

これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。


ある物事を知っているという人は、それを好きな人には及ばない。それを好きだという人は、それを楽しむ人には及ばない。


己の欲せざる所、人に施すことなかれ。


自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない。


過ぎたるは、なお及ばざるが如し。


やり過ぎは、やり足らないのと同じように良くない。何事も中庸が良い。


老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、小者はこれを懐(なつ)けん。


老人には安心され、友人には信頼され、若者には慕われる人でありたい。


厩焚けたり、子、朝より退きて曰く、人を傷(そこな)えりやと。馬を問わず。


当時高価だった馬の小屋が焼けたときに、馬のことよりも、まず先に怪我人がいないかと問い、馬のことには触れなかった。


君子は徳をおもう、小人は土をおもう。

君子は刑をおもう、小人は軽をおもう。


人格者は賢く生きる方法を考えるが、小者は楽な生活をすることを考える。

人格者は過ちをすれば罰があると知り身を正すが、小者は物質的な豊かさを望む。


性(しょう)、相(あ)い近し。

習えば、相い遠し。


人は生まれたときに大きな差はない。しかし学ぶか学ばないかで善にも悪にもなり差が広がってしまう。


人の己を知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患う。


自分のことをわかってもらえないと嘆くより、自分が人を理解してないことに気をかけなさい。


利によりて行えば、怨み多し。


自分の利益ばかり考えていると人から恨まれることが多くなる。



論語は、聖徳太子や徳川家康、二宮尊徳、新渡戸稲造、渋沢栄一など、多くのリーダーに読み継がれてきました。


聖徳太子が制定した『十七条憲法』の第一条「和をもって尊しとなす」も論語の教えを取り入れています。また、渋沢栄一は論語を基盤として多くの企業や団体の設立に関わったことで知られています。


論語は、人間として身につけるべき道徳の教えが書かれており、日本人の道徳や「信」のもととなる価値観です。


江戸時代には儒学が盛んになり、徳川幕府は儒学の一種である朱子学を正学として採用し、明治維新につながる思想の土台を築きました。


近代日本においては政財界人を含めた幅広い日本人の思想に「儒教」は大きな影響を与えています。



⚫︎感想


いやぁ、論語を少し知るだけでも「学び、人を欺かず、思いやりの心を持ち、正しく生きよう」と思いますね。