柳生一族の陰謀
1978年 日本映画
監督 深作欣二
脚本 野上龍雄
出演 萬屋錦之介
千葉真一
松方弘樹
西郷輝彦
大原麗子
三船敏郎
徳川二代将軍秀忠の死後、次期将軍の座をめぐり、幕府、柳生、朝廷などの策謀が交錯するフィクション時代劇盤「仁義なき戦い」です。
⚫︎あらすじ
二代目将軍、徳川家忠が急死し、跡目争いが起きようとしていた。
長男の家光(松方弘樹)は顔にアザがあり、どもりだったため、次男の忠長(西郷輝彦)に跡目の期待が集まっていた。
毒殺を疑った服部半蔵の手下が秀忠の死体から胃袋を奪おうとするも、柳生一族に奪われてしまう。そして柳生但馬守(萬屋錦之介)は毒殺を見破る。
しかしこの毒殺は、二代将軍秀忠が弟秀長を跡目にすると知った家光の配下がしたのだった。
秀忠の死後、京都の天皇から、なかなか家光に将軍宣言が出なかった。
跡目が決まらぬうちに、駿府城に居る弟秀長のまわりに、兄家光との戦さを嗅ぎつけた浪人衆らが集まって来ていた。
秀長の愛人、出雲の阿国(大原麗子)は駿府城で京の公家衆らに踊りを披露していた。
忠長側はすでに仙台の伊達を仲間にして、後は加賀の前田、安芸の毛利を仲間にする手はずだった。
柳生但馬守に並ぶ剣の達人、小笠原玄信斎(丹波哲郎)も、秀忠側についた。
京都の公家衆たちは、家光と秀長の内乱で徳川の力を削ぐ策略を練っていた。武家に天下を取られ、今こそ王政復古のみことのりを上げる時だと。
しかしその公家衆も、柳生但馬守の策略で殺されてしまう。
策略に敗れた忠長は駿府城を追われ、上州高崎へ。そして写経の毎日を送った。
出雲の阿国が尾張様(三船敏郎)に家光が仕組んだワナだったと申し出る。
しかしすでに柳生但馬守は手を打っていた。家光の手紙を持参して忠長に切腹を命じた。
忠長は「兄上は父上を殺し、弟に死を与えなければならない、不幸せな方だと伝えよ」と言い腹を切る。
そして但馬守は秘密がバレないように、裏で色々と働いた根来衆も皆殺しにしてしまう。
小笠原玄信斎は、但馬守に申し出て一騎討ちとなるが但馬守に斬られてしまう。
十兵衛が根来の里に来てみると、柳生又十郎に根来の里が襲われて、ほぼ皆殺しにされたことを知る。
家光のために協力した根来衆までも殺した但馬守に怒った十兵衛は、征夷大将軍になった家光のもとにあらわれ家光の首を斬る。そして柳生但馬守の右腕も斬り落とす…
⚫︎感想
どもりで顔にアザのあった徳川家光は、父の秀忠から疎まれ、弟の秀長に家督を譲ろうとした。
そのことを知った家光の家臣らは父の秀忠を毒殺し、後に弟の秀長も殺した。
その筋書きを書いたのは全て柳生但馬守だったというストーリーです。
家光は祖父家康を慕い、日光東照宮を建造しました。しかし父秀忠にはそれほど盛大な墓が無いことを知る我々は「ちょっとあるかも⁈」ってなる話しです。
しかしこの映画が作られた経緯は、ヤクザものがネタ切れした東映が「仁義なき戦い」を時代劇にしたものを作ったそうです。
そう聞くと、いくら柳生十兵衛が強いとはいえ、一人で江戸城に侵入して徳川家光の首を斬るなんて無理!と思います。
痛快娯楽時代劇としては、オールスターキャストでなかなか面白い映画です。
⚫︎徳川家光
幼少期は病弱で吃音があり、容姿も美麗とは言えなかったと言われています。
父・秀忠は弟の秀長のほうを寵愛していたため福(春日局)は駿府の家康に実情を訴え、憂慮した祖父・家康が長幼の序を明確にし、家光の世継が決定したと言われています。
⚫︎柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)
徳川家光の兵法指南役となり、新陰流を伝授します。その後、将軍に就任した家光からの信任を深めて加増を受け、一万石の大名になります。日本の歴史上、剣豪から大名になった唯一の人です。
長男の十兵衛は素行が良く無かったため家光の機嫌を損ね謹慎をさせられます。そのため父との不仲説もあったそうです。
⚫︎根来衆(ねごろしゅう)
根来寺
紀伊の国(和歌山県、三重県南部)北部の根来寺一帯に居住していた僧兵集団です。
史実上にはきちんと根来と柳生の関係は記されてないようです。ただ柳生家は大和国(奈良市柳生地区)で、根来衆の里とは近い場所ですので関係性はあったかもしれませんね。
根来寺杉の坊算長(津田監物)は自ら種子島に渡り、鉄砲と火薬の製法を習いこれを根来の地に持ち帰りました。
その鉄砲と同じ物を根来坂本に住む、堺の鍛冶師、芝辻清右衛門に製作させたのが本州最初の鉄砲と言われています。
戦国時代の根来寺勢力は、鉄砲をいち早く取り入れた強力な武装集団として、戦国大名も無視できない存在でした。
その後、秀吉は10万の大軍で根来寺を攻め根来一山は灰燼と化したのです。
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