日露戦争3. 新しいルールを作るのは誰だ
⚫︎ざっくりまとめ
列強による黒船来航で圧倒的な差を感じた明治政府は急いで文明開化をして文明国と認められるように努力しました。
同時に不凍港が欲しいロシアが東アジアを南下して来ることにも恐れていました。
そのため朝鮮に独立した国家になって欲しい日本と、それを嫌がる清が敵対していくのでした。
日本に黒船がやって来て不平等条約を結ばされてしまいました、不平等条約だということは対等な関係では無いんだと気付きます。
そこでウエストファリア的な先進国に追いつくため明治政府は海外に視察に行きます。
この時プロイセンのビスマルクが
「国際関係は弱肉強食である、先進国は都合の良いときには国際法を持ち出し、都合の悪いときには大砲を持ち出す。要は軍事力だ。プロイセンは遅れて近代化した小国だから日本との親善に最もふさわしい国である」と教えてくれました。
明治政府の中では、海外視察組と国内居残組により意見が分かれます。
視察組=左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通
留守組=西郷隆盛、板垣退助
留守組も近代化するため地租改正「税金を米から現金に)などを行います。お米なんかで税を集めていたら文明国と言えませんからね。
この頃から視察組と留守組で朝鮮をどうするかでもめることになります。
視察組=国内を固めよう
留守組=朝鮮に出て行こう
留守組は、古いルールの外交を新しいウエストファリア的な外交に結び直さなければならないと考えます。
視察組は、今は海外に行くと帝国主義だと見られてしまうので、国内の整備を固めるべきだと考えます。
この意見対立がのちに西南戦争につながっていきます。
ここで1つの概念として万国公法(国際法)という考え方があります。このルールに従っている国だと示せない限り対等ではない。これこそウエストファリア体制で生きるということです。
しかしこの考え方はキリスト教地域だけのことで、それ以外の野蛮人の住む未開の地は植民地にしてもいいというものです。
文明国の人間が、非文明国の野蛮人に教えてやるという考え方(パターナリズム)があるんです。
黒船がやって来て開国を迫られ、国として認められはしたが、不平等な条約を結ばされたということは、いつ植民地化されてもおかしくないという危機感を持ちます。
そのため近代国家と認められるために明治政府は文明開化を一気にしました。
着物を洋服にしたり、男性同士の恋愛を禁止したりしました。
⚫︎ロシアの南下が脅威だった
当時ロシアはシベリア鉄道を作っていました。日本は、その鉄道が朝鮮にまで入って来ては困ると考えていました。
イギリスとロシアは敵対していて、日本はイギリスから情報を取っていたため、ロシア=悪というバイヤスも掛かっていたと思います。
朝鮮がウエストファリア的に独立国家として日本とロシアの中間に立って欲しいと考えていました。
しかし、朝鮮をそのようにされて困るのは清だったんです。朝鮮は清の一番の朝貢国ですからね。
⚫︎感想
このままじゃ列強に植民地にされると考えた明治政府は海外に視察に行ってビスマルクに弱肉強食を教えてもらいました。
そのことを知りロシアの南下を恐れて朝鮮に独立して欲しかったんですね。
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