日露戦争2. アヘン戦争(1839~1842)



⚫︎ざっくりまとめ


 イギリスは産業革命で労働生産性が増すと、お茶を飲む文化が発達して行きました。ですが自国でお茶は採れないので清から輸入しました。

 お茶による貿易赤字が膨らむと売るものが無いイギリスはアヘンを中国に売り中毒者が増えました。

 怒った中国がアヘン船を焼いたことで英中戦争(アヘン戦争)になり、負けた清は賠償金を取られ香港を割譲されてしまいます。




⚫︎イギリス産業革命

労働者の疲労対策として紅茶需要が高まります。これらの香料やお茶などアジアからの産品をヨーロッパ諸国で取り合いが始まります。


⚫︎アジアに広がる植民地

イギリスインド

フランスインドシナ

オランダインドネシア


ところがイギリスは清からお茶を買うばかりで貿易赤字が起きてしまいます。

なぜなら清はイギリスから何も欲しいものが無いから。


そこでイギリスは清にアヘンを売って赤字解消を考えました。


それにより清の100人に1人はアヘン中毒になってしまいます。


「言うこと聞かない奴は麻薬付けにしてしまえ」というマフィアと同じやり方です。


そこで清の役人がアヘン船を焼いてしまいます。これに怒ったイギリスが仕掛けた戦争がアヘン戦争です。


負けた清は香港を割譲され、お茶の苗木をインドに持ち帰りダージリンティーが誕生します。それで清によるお茶の独占が終わります。


さらにイギリスは清に対してアロー戦争(1856~1860)というのも仕掛けて賠償金を取ります。


しかし清が拒否したためイギリス・フランス連合軍が北京に出兵して財宝を略奪します。この財宝は大英博物館に展示されています。


この際にさらに北京条約を結び、清の人々を労働力としての移民を認めさせます。この労働者によりシンガポールを開発させました。


この人たちは苦力(クーリー)と呼ばれる中国人労働者でアメリカ鉄道建設や中南米開発にも使われています。



*苦力(クーリー)

アメリカで黒人奴隷制が廃止され奴隷売買が出来なくなった後に、発展期に入った鉱工業や鉄道建設で労働力となったのが、インド人移民や中国人などの移民です。



アヘン戦争以降から東アジアに近代国際法システムが入り出します。それはどこらかどこまでがどの国という厳密なルールが決められています。


また、その西洋の考えには「先占の論理」と言って、まだ誰の土地でも無いところは先に占領した人のものになるんです。清からすると、この新しいルールに突如日本が出て来るんです。


このアヘン戦争を見ていた江戸幕府は清の二の舞いにならないようしなければいけないと考えました。


ですが各藩に大砲を置くのは中央幕府としては躊躇します。しかしそんなこと言ってる場合じゃない「世界をみろ」と言う吉田松陰や高杉晋作があらわれます。


日本の近代化は清のボコボコにされたのを見たからです。偉大な清がアヘン漬けにされたあとに黒船がやってくるんです。


ウエストファリアって対等な関係のように思いますけど、キリスト教国じゃないところには何してもいいという感覚があったんです。文明化されてない国はそもそも対等じゃないんです。



⚫︎感想

 「井の中の蛙大海を知らず」

やっぱり自分たちの身近な世界だけを見ていてはダメなんですね。

 当時の日本は明治維新していなければアヘン漬け、あるいは苦力(クーリー)になってしまうと考えたんでしょうね。

 世界は全てイギリスの思惑どうり動いているんですね。

 イギリスの東インド会社ジャーディン・マセソン社は中国の広東でアヘン密貿易から始まった会社だそうです。

 日本のグラバー邸もジャーディン・マセソン社のものです。そこに坂本龍馬が隠れていた話は有名ですよね。

 よく坂本龍馬の資金はどこから出ていたのかっていう話も聞きますよね。





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