「小野寺、今日の夜例のキャバクラに付き合えよ」悠に言われて宏仁の頭のあのぶち切れた女性の悪夢を思い出した。
「俺は遠慮しておきます」宏仁は悪夢を思い出しては引きつった顔をした。
「どうしてだよ。いいじゃねぇかよ!」悠はいじけたような顔を浮かべた。
あの狂ったように発狂したあの女の鬼のような形相は宏仁の小さなトラウマになっていた。
近寄りたくもない。
(―俺があの女の最後の男になる?冗談じゃないよ!)でもあの女性は何か自分が拒絶したこと以外にも何かトラウマなのか気持ちの中に抱えているものがありそうだと思えてくる。だから突然叫びだしたりするのだろうか?でもあの時、彼女を拒絶したのは美緒に対する罪悪感でもなかった。ただ、脳裏にもう二度と会うことのないあの子の顔が浮かんだだけなんだ。あの子がそんなに気になるんだろうか?〈未歩〉というまだ15歳のあの少女がこんなにも気になり現実を邪魔するのはそんなにあの子に惚れているからなのか?もう二度と会うことがないであろうあの子を好きなんだろうか?
でもあの子は二度と会うこともないのだからもう忘れた方がいいんだよ。宏仁は自分にいい聞かせるように思った。
(もう会うこともない子なんだし、もし、もし、運命の人ならきっとどんなことがあろうともきっと3度目の偶然も訪れてくれるだろう・・きっと・・)
あの子の置いておいて宏仁とあの女性はキスまでは進んだ仲を思うとあの時拒絶したのか自分で自分で不甲斐ないような気がした。そんな関係の女性は自分にはいないのだから惜しいことをしたように思えてくる。
そこまで行けたのならきっとまた行けるのではと密かに考え始めた。本命の彼女と体の関係まで進んでいないのにいきずりの女性とそういう関係になってしまうなんて不思議な気もするがこれが本命の彼女とやりたいだけの女性との違いだよ。宏仁はまるで自分に言い聞かせるように言った。
(俺の心汚れていくよな・・・)
「あっ、藤倉!」宏仁は悠の背中に声をかけた。
「んっ?」
「やっぱり今日行きましょう」宏仁は冗談っぽく取り繕うように言った。
「本当か?行こう、行こう。俺は会いたい子がいるから・・ありがとう。じゃあ帰りにな」悠は冗談っぽくウインクをした。
あの悪夢の夜以来の来店だった。宏仁は悠の後ろから中を伺うようキョロキョロしながらついて行った。
「いらっしゃいませ・・・」店員があいさつをした。悠は自分が気に入った例の女の子を指名した。指名された女の子の顔をみるやいなや藤倉は嬉しそうにデレデレした。2人の横に宏仁が座るとあの女性の姿を目で探した。見回してみたけれどいないようだった。
(今日はお休みかな?)宏仁は気が抜けたようにグラスに注がれたジントニックを一口飲み干した。
(はぁ~、気が抜け・・・)宏仁がふと横を向くとあの女が立って見つめていた。
「あっ!」気の緩んだ拍子に立っていたので喉元のお酒がつかえた。
「いらっしゃい、お隣よろしいでしょうか?」女は微笑みを浮かべた。
「あっ、はい」宏仁は少し狼狽しながらうろたえた。あの女は何事もなかったかのように宏仁を見つめた。
「この間はすみません・・・」宏仁は小さく頭を下げた。
「あぁ、気にしないで・・」女は水を一口飲んだ。
「何か僕も気持ちがよくわからなくて・・・」
「あなたのことだけじゃなくていろいろ考えることが多くて思い出すだけでおかしくなりそうなの・・・・」
「何かあったんですか?」
「あなたと一緒だった夜、私は娘のことを思い出したの・・・あなたのことだけじゃないのよね・・」
「娘さんですか」
「世の中には怨念とか代々伝わる噂とかいろいろあるけれど本当の・・・本当の・・・悪魔は・・・・この私なのかも知れない・・・」女は寂しそうに小さく小さくつぶやいた。
「どういう意味なの?」
「あたしが本当の悪魔なのよ」何かを断ち切りたいようなつらそうな顔をした。苦情に満ちた曇った表情だった。
「・・・・」宏仁は女の顔をしげしげと見つめた。
「呪いでもなくこの私なのよ、悪魔は・・・」女は胸のつかえを吐き出した。
「・・・」宏仁は神妙な顔で見つめた。
「この私が娘も傷つけたの・・・」女の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「大丈夫ですか?もう今日は帰りませんか?」2人は店を抜け宏仁は女をマンションの前まで送り届けた。あの女の精神状態を思うと部屋の中まで入る気にはならなかった。
「あまり思いつめないで下さいね。何があるかは知りませんが・・・」宏仁は思いつく最大限のいたわりの言葉を投げかけた。
「うん…」女は店にいた時より平静を取り戻して頷いた。
「ごめんなさい。取り乱して・・・」
「つらくなったらいつでも僕で良かったら話くらい聞くから、相談して・・・」
「ありがとう・・本当にありがとう・・・・あなたは私の最後の・・」女は言葉の途中で口を噤んだ。
「えっ?」宏仁は女の顔を深く神妙に見つめた。
「何でもないわ。ありがとう。おやすみなさい」女は何かを断ち切るように足早に去った。思いつめたように足早に去っていく後ろ姿を見つめた。宏仁の中に悪い予感が芽生えた。
(ま、まさか・・)宏仁は階段を登りあの女の住む、3階までダッシュで向かった。3階についた時、女の姿は見えなかった。あの女がエレベーターで去ってからそんなに時間はかからなかったはずなのに・・・廊下にはいない。宏仁は女の部屋に行きドアのチャイムを連打しながら鳴らした。帰ったばかりの女は出て来なかった。宏仁はエスカレーターの所に再度向かった。エレベーターは最上階の10階で止まっている。宏仁は固唾を飲んだ。宏仁は階段で10階をめざして登り始めた 。
つづく、、