一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、お天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、「その日一日をただありのままに生きる」、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのです。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。(※借用しました。)
日日是好日やっと観ました。
私たちが若い頃は周りの友人たちのほとんどがお作法習いと言ってお茶、お花、お料理…などと様々なことをやってましたねー。そういう私は全くやりませんでした😓多分母への確執(笑)
私は、それ以外の体を動かす方は何度もトライしてますけど😆。
姉はお茶、いとこはお琴、叔母さんは生け花の池の坊の師範で、母もそこでずっと習っていました。違う叔母さんはお茶の裏千家の師匠でそこでもお茶を習ってました。娘の私からすると『そんなことする暇あるなら家に早く帰宅すればいいのに…』と思っていたわけですよ。😓
最終的に母は師範も取りましたが、教える暇なんてあるはずもない💦
でも大人になってからはその気持ちは理解できるようにもちろんなりましたし、病気で倒れてからも様々やったほうがいいよと話してましたから笑。
帰省した時には、折々の生け花があちこちに生けられて、それを目にして心が満たされていたように思います。←受容した心境ですね。
ある年のお正月、なんちゃってお茶会でもしようかってことになり、みんなで嬉し恥ずかしのお茶会となりました。
父はのりのりで、すましてポーズまで撮ってます。笑