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女性アイドル誌「ボム」のPCサイト「BOMB.TV」が11日に更新された。今月は公開中の映画「ロボゲイシャ」に主演や、BeeTVのドラマ「減量ボ クサー」に出演と話題が多い木口亜矢を大特集している。新年早々、人気上昇中の彼女の、時には健康的に可愛らしく、またある時には妖艶なビキニ姿を高解像 度グラビア画像や高画質ムービーで披露。そのほか、彼女の声をPCのシステム音にできる音声ファイルも公開中だ。

 また、森下悠里の DVD付きムック「グラドール」が発売中なことを受け、今まで撮影された彼女のグラビア画像とムービーが期間限定で公開された。ほかには、安定した人気を 誇る川村ゆきえ、山本梓のほか、西田麻衣や山本ひかるといったアイドルも多数登場。一部のサンプル画像と動画は無料視聴可能となっており、月額1,050 円で全コンテンツが楽しめる。現在は年間契約が10,500円という期間限定サービスが実施されている。
新年1月3日。期待とともにNHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタートした。放送開始の直前4時間前に龍馬役の福山雅治がラジオ番組で今年の活動について語った。今年は龍馬伝の収録スケジュールで多忙を極める福山。
そのため音楽活動については「知ーらないっ」という言葉も聞かれたがその真意はどうなのか?

1月3日16時から放送された「福山雅治のスズキトーキングFM」でのことだ。
福山主演の「龍馬伝」開始まで4時間を切り、番組の内容も龍馬伝開始記念的なものとなった。
例えば冒頭の福山のトークで
「年末、日本の首相が過去のお金周りの問題でいろいろ騒がれてましたが・・」
「日本の代表が年末にあんなに弱気な表情をされたら『日本はどうなっちゃうの?』と思っちゃいますね」
「そんな日本の新年にはじまる龍馬伝をよろしく」
という感じである。

事実、龍馬伝には国民の多くが何かしら期待していると言っていいだろう。
テレビCMでも龍馬をからめたものが増え、年末年始には龍馬特集の番組が目白押しだった。
人気者の福山雅治が主演することももちろんだが、この時勢に坂本龍馬という人物から元気をもらいたいという期待の現われとも考えられるだろう。

ただ、福山はラジオの中で音楽活動との兼ね合いについて苦慮していることを明かした。
ドラマや映画でも活躍する福山雅治だが、本業はやはりミュージシャンなのである。
昨年は20周年記念全国12ヵ所ライブや武道館ライブ、故郷長崎での稲佐山ライブなど活発なライブ活動をこなした。またCDではアルバム「残響」やシングル「化身」「はつ恋」のヒットなどミュージシャンとしてもフル回転の年だった。
今年はそこに大河ドラマの収録が入ってくることになり、実質両立は困難な状況といえる。
そうした経緯を踏まえて、福山は次のように話した。

「福山龍馬として一年過ごす訳ですけども、ミュージシャン福山雅治としてはどうなのか?」
「それは今のところなんともいえませんな。年末に無期限活動停止宣言・・・してないですが(笑)」
「何かが始まるかもしれないし・・・・」
と今年の音楽活動についてはまだ見えていないようだ。
しかし「今年の書初め2010年。干支をあいうえお作文」のコーナーではより本音が聞かれた。

福山が即興で書いた、
寅年(とらどし)を使ったあいうえお作文の書初めである。

と。とんでもなく
ら。ライブがしたくなったら
ど。どうしよう
し。知ーらない
という内容の書初めを読み上げた。

その真意はこうである。
「大河を撮ってる最中はライブはできないんですよ」
「WOWWOW放送用のライブの編集なんかしてるとやっぱりライブがやりたくなる」
「でも、どうしても大河が終わらないとできないのよ」
「それでライブがしたくなったら『知ーらない(笑)』みたいな・・・」
という自分でも答えは出せない事情なのである。

大河ドラマの収録がいつ終わるか不明だが、当面、音楽活動は難しいようである。
 新潟県警佐渡東、佐渡西両署で大みそかから元日にかけて、「交通事故等で困っている人に役だてば幸福です 月光仮面」などと書かれたメモと現金入りの袋がそれぞれ見つかった。

 両署は善意の“お年玉”として、県交通遺児基金などに寄付する予定。

 佐渡東署(佐渡市両津湊)では12月31日午後9時頃、同署駐車場に止まっていた車のボンネットに紙袋が置かれているのを、巡回中の署員が発見。中には 1万2910円分の硬貨とB5大のノート紙が入っており、紙には「毎日1枚ずつ集めた小銭です。交通事故等で困っている人に少しでも役だてば幸福です 月 光仮面」と書かれていた。

 「月光仮面」と称する人物から年末年始に同署に寄付が届くのは、1974年以来37回目。

 一方、佐渡西署(同相川羽田町)では1日午前0時40分頃、佐和田幹部交番の入り口に置かれたビニール袋を署員が見つけた。やはり1万6002円分の硬 貨と、「交通遺児のために使って下さい」などと書かれたメモ紙が入っていた。同署への寄付は87年から毎年続いているという。