教えてヨン!両班社会ってどういうこと?その2
皆さん、アンニ・ヨン。
「イルジメ」裏知識、その名も「教えてヨン!」のコーナー、今日は前回の整理からまいりましょう。テーマは「両班社会ってどんなこと?」。で、「両班」、あるいは「両班のような生き方」は、韓国の人たちにとって、憧れであり理想であり、それは言うなれば、日本人にとっての「武士」「武士道」に対する思いに似ている。ということを書きました。例えば、日本の男性諸氏は武士のような生き方に憧れ(だから宮本武蔵を描いた『バカボンド』が売れるわけで)、女子はそういう男達に惚れちゃうものですが、韓国の場合、「武士」という言葉が「両班」に変わるわけですね。まぁ、非常にざっくりした表現ですが。で、これをさらに詳しく今日は調べていきたいなと。
その前に…第1&2話で「両班」に関するセリフをざっくり抜き出してみたので、そこから始めましょう。
まず市場で幼いポンスンを「くさい」と突き飛ばしたギョム少年(のちのヨン)、ポンスン兄が言った言葉、「おい、両班だからって何だ?」
そして生意気な少年シワン(苦笑)が市場でぶつかったチャドル(のちのシフ)に対して抱く感想、「卑しい家の子のくせに」
セドルは輸入品の砂糖をなめながら、「両班様は幸せだね、こんなもの毎日食べて」とつぶやき、
イ・ウォノはチャドルに対し「正しく高貴な人になりなさい」と告げる。
で、これを受けて、「高貴な人になりたい」というチャドルにセドルは「勉強して科挙に受かれば高貴な人になれる。言いかえれば、両班になれるのさ」と話し、
で、ギョムに盗みの罪をあばかれ、チャドルをかばったウォノに対して、おバカなシワンが言うセリフが「あなたのせいで身分秩序が乱れます」…
そんなシワンに対してウォノは「両班らしくふるまってこそ、本当の両班と言える」と諭すのである。まだあるのだが、まぁこれだけでも十分だろう。
両班は両班であることにプライドがあり、両班でない(つまり身分の低い)者は両班に憧れ、また両班をどこかで妬んでいる。
そんな「両班」って何なんだろう?
前回も書いたが、元の意味は高麗時代における朝廷での官僚達の席。文官の席=東班と、武官の席=西班を合わせて両班。それがいつの間にか、「一定以上の代にわたって、科挙への合格者を出した名門一族」「官僚・支配階級層」を指す言葉になったらしい。
ここで断っておきたいのは、わたくし、学者や専門家ではないので、ここで展開する論はかなりざっくりしたものである、ということ。それと、より分かりやすくするために、私流の例えを持ち出しているので、細かい点では「違う!」って言われてしまう部分もあるかもしれない。でもまぁ、そこはあくまで「ドラマを見る上で知っておくと、ちょっといい」くらいの簡単レベル知識、ということで、ご了承頂きたい。明らかに「違う!」という場合は、ご一報くださいまし。
で、話を戻すと、「両班」とは法的に制度化された階級ではなく、社会的な慣習から「なんとなく」「いつのまにか」階層となったものである。武士もそうなのかな? すみません、こちらは調べていません。ちなみに、「なんとなく」「いつのまにか」は私流の表現です。誤解のないように…
なので、両班の概念が、セドルのセリフのように「勉強して科挙に受かれば」「両班になれる」という、非常にアバウトなものになってしまうのだ。が、逆に「勉強して科挙に受かれば」「両班になれる」という考え方が、韓国の人たちの「強い上昇志向」を生み出したのも確かなこと。科挙(いわば、国家公務員試験)は、原理的にはどんな人でも受けることができ、勉強して合格さえすれば、中央官僚になり国家を運営する支配階級になれ得る。が、制度的・現実的には、すべての人が科挙を受けることができるわけではなかった。庶子(シフがそうですね)・重罪人の子孫(ヨンがギョムであるとばれればそうなります)・女性などが、科挙を受ける資格を与えられなかったという。また、科挙に受かったところで、実際には一族に官僚を出している家の子息にしか官僚の座は与えられず、ほとんど世襲化していたようだ。受かったとしても、身分の低い家の子は下級役人が関の山(ヨンもセドルにそう言ってますね)。また、勉強しなくては科挙には受からず、学問を受けるにはお金がかかるというのは、今も昔も変わらない。学堂に通えるのは、両班の息子達のみで、身分の低い家の息子は通うこともできないのが現実だった。身分差別もあったから、ヨンはセドルの命令で「両班だと身分を偽って」学堂に無理矢理通わせられるのである。が、もちろん、両班の出身でないことはバレバレなわけで、シワンからイジメを受けるのである。
ではなぜ、シワンは身分の低いチャドルやヨンをいじめるのか? これは前述のように身分差別が色濃くあったから。イジメとは差別であり、差別意識があるからイジメが起きる。これは今の時代でも同じである。で、この身分差別は職業差別、と言い換えてもいい。両班とはホワイトカラー、つまり知識・学識を職業にする人たちで、身分の低い人とはブルーカラー、肉体労働者を言うわけだ。イルジメ=庶民が、一部の腐敗両班=ダメ支配者を席巻・凌駕するというのは、言ってみればもうビートルズの世界ですね(違う?)。いつもいじめられているブルーカラーの俺たちだって、こんなにすごいのさ!すごくなれるのさ!それも剣じゃなくて、魂でさ!(すみません。飛躍しすぎました)。でも、それくらい、庶民にとっては、ホワイトカラー出身の英雄より、ブルーカラー出身の英雄のほうが、勇気と希望を与えられるものなのだ。なので、庶民がイルジメをどれだけ英雄視したか、というのはお分かり頂けるだろう。ウンチェはジョン・レノンに憧れる女子、みたいな感じなのだ(すみません。飛躍しすぎです…)
あれ? また両班から話が飛んでしまった。もう少し両班の話をしたいが、私も電車で家に帰りたいので(苦笑)、続きは次回。
アンニ・ヨン~!
教えてヨン!両班社会って、どういうこと?その1
皆さん、アンニ・ヨン・ハセヨン。
さぁ、今回は予告通り「両班社会ってどういうこと?」
が、その前に…(なんか、「その前に」が多いです。すみません)
私、日本の俳優では二宮和也(かずや、じゃありません。かずなり、です)の大大大びいきなのだが(主観入ってます。でも、役者として「すげぇ」です)、彼が台本をもらって一番初めにやることについて「スタッフさんの名前を覚えること」と話している記事を目にし、「おぉ、イ・ジュンギと同じ!」と共通点を見つけ、妙にテンションがアップしてしまったのである。贔屓の俳優が同じ演技観を持っているということだけで、もう「すげぇ嬉しい~!」。
だって、この2人、単純に演技が上手いだけでなく、他者との絡みが非常に良いのである。これ、思っている以上に難しいこと。1人で涙を流したり、セリフなしで感情を表したりという演技が難しいのはもちろんで、そういう演技ばかり注目されがちだが、演技の大半を占めるのは他者とのやり取りで、こういうシーンは単純でさらりと見てしまいがちだが、実はものすごく難しいのだ。個人的には、他の演技者と絡むときにこそ、その俳優の力が問われると思っている。自分ばかり出過ぎてはいけないし、ナチュラルに見えなくてはならない(つまり演技に見えてはいけない)。自分1人でいるときの自身の顔を見ることはできないわけだから、その演技が上手いかどうか、自然かどうかは、正直分かりにくい。まぁ、そういう1人演技の場合は、自分の(キャラの)内面を感じてもらうか、という点が重要になるわけだが、他者との絡みはまた別の話。人と人のやり取りは普段から目にしているわけだから、その演技が自然かどうかはすぐに分かるし、人とのやり取りの中でその人(キャラ)の性格が出るわけだから、これはもう非常に高度な演技だと思う。
で、ジュンギはインタビューなどでも答えているように、作品が決まると一番初めにキャスト、スタッフを誘い、飲むことから始めるのである。それはもう、●●助手、みたいな下の下の人まで誘っちゃうのである。そう!ニノとジュンギは、作品が決まると、まず共演者、スタッフとの交流、に重きを置くわけですな。だから、どんな人(キャラ)とのやり取りも、見ていて、非常に気持ちいいのだ。特に「イルジメ」では、養父セドルとのやり取りを筆頭に、ポンスン×ヨン(喧嘩ばかりだが憎いわけではない)、コンガル×ヨン(一見軽そうだが重い信念を隠し持つこの2人、実は似ている)、ウンチェ×ヨンとウンチェ×イルジメ(この関係は一言で言えないので、またいつか)、シワン×ヨン(ある意味バカップル?個人的にこのコンビが好き。特に後半)、ヒボン×ヨン(一度信頼したら、固く結ぶ義理人情)、タン×ヨン(複雑な関係。だが後に…。私はタンびいき。これについてもいつか)…などなど、とにかく、それぞれの絡みにいろいろな味があって、良いのだ、良いのだ!
ひとつひとつのコンビについては、またおいおい語っていくとして、とにかくジュンギの演技では、ヨン(あるいはイルジメ)が相手によって微妙に演技スタイルを変えているということを、なんとな~く念頭に入れて見ていただけると、より「すげぇよ!」と思えるのではないかと。
やばい…「その前に」が、こんなにも長くなった。
さ、本題の「両班社会って?」に参りませう。
実は今回見直してみて、第1話のイ・ウォノのセリフを筆頭に、皆がやたらと「両班とは…」と話しているのだ。とにかく「両班」についてのセリフが多い。つまり「イルジメ」というドラマを語るには、「両班」は外せないのだ。で、「両班社会」について少しでもわかっておくと、ヨンの置かれた状況がよりリアルに伝わるのではないかと。
少しでも韓国に興味のある人なら、「両班(ヤンバン)」という言葉や、いまだにそれが韓国社会に大きな影響を及ぼしていることはご存知のことと思う。一言で説明するのは、これまた難しいのだが、もともとは高麗時代における朝廷での官僚の席を表す言葉だった。国王に謁見するとき、文官は東側に、武官は西側に整列し、そのためそれぞれ文官=東班、武官=西班と呼んだそう。で、2つ合わせて「両班」というわけ。文官、武官ともに官僚であり、高麗~朝鮮王朝時代においては支配階級である。セドル目線だと「偉い人たち」なわけだ。
が、「両班らしくあるべき」というウォノのセリフからすると、「偉い」ばかりでもない気がする。両班=「高貴な人」というセリフもある。我々、日本人には「両班」という言葉が持つニュアンスをうまく理解しにくい。でも、逆に言うと、日本人独特の「武士道」は他国の人たちには理解しにくいものだ。そう!「両班」に対する韓国の人たちの思いは、どこか日本人の「武士」に似たものがある。もちろんイコールではないが、その国民性を表しているというか。
「武士は食わねど高楊枝」とか「花は桜木、人は武士」という言葉があるが、日本人には「武士」のような生き様に憧れがあったり、逆にどこか古くさいもの、カタイもの、といったイメージを抱くこともある。で、おそらく韓国の人たちにとって、それが「両班」なのだ。
ものの本にはこうあった。「韓国の儒教の思想の源は、両班の生き方の中に見出されるといわれる。それはつまり、高尚な学問にいそしみ、体面と秩序を重んじ、金銭など日常の雑事に煩わされることなく生きる、ということである」
平たく言うと、韓国社会は儒教社会である。それは両班の生き方(あるいは、それに対する憧れ)が土台にあって、知識人(ある意味、哲学者)として生きることを最善としている、という感じか。ちなみに、ウォノのセリフにあるように「両班らしく生きる」「両班らしく立ち振る舞う」と言う場合、「紳士的」といった意味を持つらしい。日本人の我々には、時に「武士らしい」が「紳士的」なことだったりするものだが、韓国の人にとっての「ジェントル」な行為は「両班らしい」ということなのだ。で、ギョム(ヨン)もチャドル(シフ)もこの両班の血を引いているのである。が、一方で、シワンやピョン・シクも両班だったりするわけで、理想と現実は違うというか、「両班にもいろいろ」というか。
すみません。ここまででかなり長いです。なので、続きは次回に…。
中途半端ですが、一旦アンニ・ヨン!
「イルジメ」吹き替えについての補足
皆さん、アンニ・ヨン・ハセヨン。
コメント、読ませていただきました。(今頃かよ!すみません…)
アジドラで放送していた際にあちらの公式サイトでもブログをやらせていただいておりましたが、そのときから引き続き読んでくださっている方、お初の方、ありがとうございます。心して、布教委員会会長、頑張らせていただきます。
で、ですね、吹き替えについてのコメントが結構多かったようで、この件で少しだけ補足しておきたいなと。
「イルジメ」に真っ先に食いつく方は(表現が下品ですが)、イ・ジュンギのファンの方たちだと思います。その方たちが、「ジュンギの声で見たい!」というのは、もうしごく当然であります。だって、私がそうだから。
が、布教委員会会長としてはイ・ジュンギファン以外の方にも、「イルジメ」の魅力を知ってもらいたい。例えば、うちの母親などはなんとな~くテレビをつけっぱなしにしていて、吹き替えだからなんとな~く聞こえてきて、なんとな~く見ちゃって、面白いかも?とテレビの前に正座になり、のちに某レンタルショップに借りに行ってオリジナルで見直しちゃったりして、ずっぼりはまるという口なのだが、そういう人は少なくないはず。「冬ソナ」だって、それでブレイクしたわけですから。なので、入り口として吹き替えもありかなと思うわけです。幸い、思った以上に良い出来でした。もちろん、オリジナルのジュンギ君の声(というか言い回し)にはかないませんが、イ・ジュンギファン以外の視聴者を獲得するひとつの手段だと思っております。それに、ブログ記事でも書きましたが、映像に集中できるため、ヨンの表情、仕草のひとつひとつを食い入るように見ることができ、「やっぱ、上手いわ」と改めてその演技力に感嘆できるわけです。いやほんと、イ・ジュンギの演技って、雑誌なんかにも再三書いたのですが、弾力があるのですよ!喜怒哀楽、様々な感情の幅を自由に伸び縮みする。なんて、役者としての筋力がある子だろう!って思うわけです。あれ? 何を書いていたんだっけ? あ、吹き替えだ。
以上のようなことから、吹き替えかぁ…と見るのを避けるのはもったいないぞ!と言わせてください。もちろん、オリジナルはDVDなり、オリジナル版で放送するCSなりで楽しんでいただくとして、地上波では吹き替え版ならではの楽しみ方をしていただけると、布教委員会会長、非常にうれしく思います。
長くなりました。これって、携帯で読むには長すぎるかな…
何はともかく、いろんな形で「イルジメ」を楽しんでください。どんな形でも、「やっぱり、すげぇよ」には変わらないはず!というわけで、予告した「両班社会」ネタはまた今度。(といいながら、違うネタになったりして…)
ではでは、いったんアンニ・ヨン!