クリティカル・シンキングは怖い? | フランスの自然療法で美しいからだとこころを手に入れる Île des fleurs Paris イル・デ・フルール・パリ

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パリ在住19年のTomomiが、フランス本場アロマテラピーや自然療法のお話、日常生活をお届けします

こんにちは。アロマトローグのTomomiです。

 

今日のお話はクリティカル・シンキング!
まさにIPAP協会は「みんな違ってみんないい!」だから話そ!という協会です。
勉強会などを通して、アロマや自然療法の本質がわかったり、疑問がスッキリした人続出です♡

 

 

クリティカル・シンキングって知っていますか?

Critical thinkingと書きますが

日本語では「批判的思考」と訳すのだそうです。

 

先日「この訳はちょっと違うよねー」という記事を読みました。

私はその記事でクリティカル・シンキングを知ったのですが

読んでみると

「なるほど、この言葉が指す真意が伝わらないなー」と思いました。

 

Critical thinkingということばの本来の意味は

あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって

最適解に辿り着くための思考方法(Wikipedia)

だそうです。

 

例えば

「フランスでは精油を飲用する」ということに対して

「本当だろうか?」

「ここで言う「フランス」って、フランス人のほとんどなのか

特定の一部のフランス人のことなのか」

「ここで言う「飲用」って、飲み物のようにゴクゴク飲むのか」

など、ひとつひとつ問題(疑問点)を取り出し

事実関係と照らし合わせたりして

「フランスでは精油を飲用する」ということばが指していることがらを

正確に把握しようとするアプローチ法です。

 

記事では「批判的思考」じゃなくて「吟味的思考」がよい

という話でしたが

(このテーマの本の著者が「吟味的思考」と訳して書きました、という話)

たしかに「批判的思考」よりもずっといいと思います。

 

日本は「批評」とか「議論」と言った途端

「非難、批判されそうだから黙っておこう」

と身構えてしまう人が多いと思います。

「私は本当はそうは思わないけど、怖いから

みんなと同じ意見ということにしておこう」

だから誰も発言しない。。。

 

批判ということばはとてもネガティブで

「批判的思考」になると、さっきの例で言うと

「「フランスでは精油を飲用する」ってありえない

嘘にきまってる、どうしていい加減なことを言うのか?

その人は信用ならない」

と、ただただ否定的に捉えることに終わってしまいそうです。

 

これが「吟味的思考」になると

(このことばが最適かどうかはわかりませんが)

「フランスでは精油を飲用する」について吟味してみよう

ということですよね。

吟味とは詳しく調べて、確かめることです。

 

なんでこんな話をしているかというと

日常的にフランス人と日本人と話をしていて

すごく実感するからです。

 

フランス人に言うと

話が盛り上がるのに対し

同じことを日本人に言うと

明らかに雲色が怪しくなるし、黙ってしまう人が多い。

「私はこう思うんだけどね」という

ひとつの意見というつもりで発言しているのに

批判、否定、非難していると思われてしまうようです。

 

フランスだと「へー、そんな考え方もあるんだ、面白いね」と

その場にいる人がそれぞれの意見を言って楽しむんです。

もちろん「私はそうは思わない!」と言う時もありますが

だからといって、その人が気に食わないと思う人はいません。

異なる意見は大歓迎。どんな考え方も尊重される空気なのです。

 

ちなみに、大学生の頃は美術批評ばっかり読んでいました。

現代アート業界はヨーロッパやアメリカがさかんなので

(20年前の話。今はもっとグローバルです)

クリティカル・シンキングそのもの。

作品の批評は、読んでて面白かったです。

 

日本語で読むと「この批評家はこの作家が嫌いなのかなー」

なんて思うのですが、そうじゃないんですよね。

ひとりの批評家というプロが、作品を評価しているだけ。

作家を批判したり、非難したり

嫌ったり、悪口言ったりしているのではないのです。

アート市場での値段にも関わりますから

いろいろな批評家の批評が集まれば

正当に評価され、市場価値が決まります。

 

批評という言葉は、正当な評価につながるものなので

私にとってネガティブイメージはなかったのですが

記事では、大学生に「クリティカル・シンキングをしよう」

なんて言うと「仲が悪くなりそうだからイヤだ」

みたいな声が出てくるそうです。

 

また、義務教育でも

「クリティカル・シンキング」が推奨されていますが

他の国では大いに取り入れられているのに

日本ではなかなか取り入れられないのだそうです。

 

独裁国家でもない限り

1人の人の意見が「絶対」であることは本当はないはず。

そして、いろいろな意見があるからこそ

それを吟味して、最適な解決法は何かを話し合って

お互いをよりよく理解していけるんだと思うんですね。

 

「Aはどうでしょうか?」という提案に対して

「Aなんかダメだよ」としか言わない人がいます。

これはただの否定。

「それはダメだと思うな。だって、ここに問題があるじゃない?

その問題に対してはBのやり方の方がいいと思うけど」

などと代替案を出さなければ、建設的ではありませんよね。

 

どうして議論の場があったり、意見を出し合うのかというと

そのことがらを通して「もっとよくしたいから」。

だから、誰かの提案を「吟味」して

他の提案と折衷して、いいものを作っていくのが

いいんじゃないかなーと思います。

 

Critical thinkingを批評的思考と訳したのは

何十年も前だそうです。

なので、半ば定着してしまったようなのですが

日本で広まらない理由は

日本人の「批評」という言葉の捉え方に起因している模様。

でも、考え方、アプローチ法としては

多様性が叫ばれている現代ならば尚更必要です。

 

右にならえ、じゃなくて自分の意見を言う。

私もIPAP協会とオンラインサロンという場所を持っているので

なんの不自由もなく自分の意見を言える雰囲気を

作って行けたらなーと思っています。




なんでこれがアートなの?

って大きい声で言ってもいいんですよ!