フッカーのブログ -13ページ目

フッカーのブログ

備忘録のようなものです。

 

 

よく、「風化させないように」とか「忘れないように」などと言うけれど、

 

 

残念ながら、『人は忘れていく生き物』だ。

 

 

 

 

だから、今の心持ちを、忘れぬうちに書き留めておきたい。

 

 

 

 

 

 

 



2025年4月5日(土)、同い年の会社の同僚が亡くなった。

 

 

彼は、金曜日に有給をとって、週末を利用し家族で熱海に旅行に行っていて、

 

土曜日の朝、起きてこなかったという。

 

 

いわゆる突然死。

 

 

 

 

 

土曜日は朝早く起きて、前述の通り池田山へ登山に出掛けていた。

 

お昼過ぎには帰宅して、13時からのプロ野球が始まったその時、電話が鳴った。

 

会社の上司からだ。もう嫌な感じがした。

 

 

事の次第を聞き絶句。

 

 

テレビからはプロ野球の映像は流れ、音声が出ていたはずだけど、

 

聞こえた記憶がない。

 

 

 

早起きのせいか、いつしか眠ってしまっていた。。

 

起きたらプロ野球は終わっていた。





夢じゃなかった、、

 

 

 

 


 

翌4/6(日)、お通夜に参列。

 

拝顔して、少し実感が湧く。

 

 

「なんで顔が冷たいんだよ、、」

 

 

 

 

 

 

木曜日まで普通に職場にいたし、

 

別の用事で亡くなる前日の夜もSMSでやり取りしていたのに。

 

 

 


世の中、桜が咲き誇っている。

 

 

 

5年前の4月の桜が散る頃にも、友人が空へ行った。

 

 

以降桜が散る頃にはその友人を想ったけど、

 

今度は満開の花を見る度に、旅立った同僚を思い出すことになりそう。

 

 

 

 

春くれば

 

散りにし花も 咲きにけり

 

あはれ別れの かからましかば  

            ~具平親王

 

 

(春が来て、昨年散った花もこうしてまた咲いた。

別れた人ともまた会えるならば、嘆くこともないのに)







(追記)

同い年だった同僚、世代的にもミスチル世代。

お通夜会場にはミスチルが流れていた。

ミスチルの代表曲、「Tomorrow never knows」の一節にもこうある。


 人は悲しいぐらい 忘れてゆくいきもの














4/5の土曜日、岐阜県池田町にある池田山に登山に行きました。

でも登山はどちらかというとついでで、本丸は、

霞間ヶ渓(かまがたに)の桜!!


池田山の麓にある桜の名所です。

日本の桜の名所100選に選ばれています。


山桜や彼岸桜は国の天然記念物と名勝に指定されています。
どちらの指定も受けている桜は、全国に5か所しかないそうです。




うんちくはこれくらいにして、、










朝陽と桜!














朝陽を浴びる満開の桜がエモい。笑




時間は朝6時前。

4:15起床の甲斐はありました。





ささっと池田山(標高924m)に登って.

降りて(往復4時間弱)、




陽が高くなった霞間ヶ渓の桜をまた愛でる。












朝とはまた別の顔です。


人もいっぱい。笑





その後車でそこから離れてみると、

霞間ヶ渓と山肌が薄ピンクに染まっている。




これが霞かがったように見えるという、霞間ヶ渓の所以かと納得。











この日、この後、信じられないことに接することになろうとは思いもしませんでした。









 

 

 

前回、地元の山(米田白山)のことを書きましたが、

 

米田白山と私が住む地域に深く関係する、その道では有名な僧侶がいます。

 

 

 

その名を 播隆(ばんりゅう)

 

江戸時代後半の浄土宗の僧侶です。

 

その功績の最たることは、北アルプス「槍ヶ岳」を開山したことです。

 

槍ヶ岳と言えば、百名山の代表格、登山者憧れの名峰です。

 

登山愛好家からは、『日本初のアルピニスト』とも呼ばれています。

 

 

 

 

そんな播隆がどう米田白山と地域に関わっていたかというと、

 

米田白山の稜線下に、播隆が修行した「三鉢洞」という修行窟があります。↓

 

そそり立つ岩壁の下にあります。

 

この窟に辿り着くには、急な斜面をロープをつたって降下しなければいけません。

 

 

 

米田白山は今でこそ、低山ハイクを楽しめる山として多くの人に親しまれていますが、

 

播隆窟は知る人ぞ知るスポットです。

 

知る人ぞ知る、なもので、ここに来て人に会ったことがありません。笑

 

播隆の当時の佇まいに想いを馳せます。

 

 

 

 

播隆は、米田白山の三鉢洞以外にも近隣で修行していたそうです。

 

 

そして最期は住んでいる美濃加茂市でその生涯を閉じています。

 

美濃加茂市の祐泉寺には、播隆の歌碑があります。

 

 

 

世の人の 恐れ憚る槍の穂も 

 

やがて登らん われ始めて

 

 

 

 

彼は自分が槍ヶ岳の登って満足するだけでなく、

 

たくさんの人が槍ヶ岳の魅力を享受できるように、

 

頂上直下の岩場に大綱や鎖をかけた。

 

 

 

 

なかなかのお人が郷里にいたものです。